父が亡くなり、7日毎の法要のため、毎週実家に帰ろうとしたが、
事情があってそれができなくなってしまったことを、年越しのエッセイに書いた。
生きているときにもあまり孝行はできず、
亡くなってからもそうなのかと少し情けない思いにかられたが、
その分、何とかして毎週、ホームレスの皆さんにお弁当を配ったりして、
父に喜んでもらおうと思ったのだが、
果してその首尾はどうだったか。
亡くなった父はそうしたことをもちろん知って見ているだろうが、
それ以外に、今まで知る由もなかった私の人生を眺めて、
愕然と(!)しているのかもしれない。
亡くなった人にも未来が見える可能性があると私は確信しているが、
父ももしかしたらある程度未来を見たりしながら、
今は何を思っているだろうか。
相対世界で起きてくるさまざまな問題の本質は……
要するにわれわれが物質や肉体、または五感のレベルに生きていることにある。
そのレベルにわれわれは幸福を探そうとするのであるが、
そこには一時的、または部分的な幸福の片鱗はあっても、
幸福そのものはないので、勢い、失望する。
われわれは「自分自身」と、その肉体、物質、心、五感を混同し、
行動にすっかり巻き込まれているので、
『不変にして不動、不滅の真我』が見えない。
まさに無知が真我を覆い隠してしまっている。
そのような状態が不憫に映らないはずがなく、
ときどき自然界はクリシュナ神のような方を生み出すわけであるが、
そのクリシュナ神は、このような状況をどう見、解決策を示されるのか、
その宝庫が【バガヴァッド・ギーター】第5章だ。
1月13日のギーターでは、
以上のようなアルジュナの疑問にスッパリ答えたクリシュナ神の言葉を解説し、
また、予言のなかでシヴァ神がことさら指示された、
『1月4日から2月2日までの間のアビシェーカ・プージャ』を捧げる。
まず神々の言葉を学び、それから祈りを捧げ、
ご一緒に新しい年を始めたい。