もし、実家に経済的余裕があれば、父はおそらく今でいう大学に進み、
早期の徴兵も免れるか、
またはあれほど過酷な前線に行かずに済んだのかもしれない。
会員の皆さんと話していて、なにかの拍子に、
ご両親が大学を出ておられるという話となったとき、
私は素直に、羨ましいと思ったものである。
しかし、そのような状況にまったくなかった父は、
同年代の多くの若者がそうであったように、
戦争に青春のすべてを費やしたと言っても過言ではない。
父は終戦後、偶然、税務署職員の公募をみつけ、受験したが、
たまたまこれに合格し、その後、長く税務署に務めることとなった。
毎朝決まった時間に淡々と出かけていく父がどんな仕事をしているのか、
子供の私には知る由もなかった。
しかしある日、非常に難しい案件があったらしく、
この日、それに失敗したら、クビになるかもしれないと私は母から聞かされた。
小学校に上がる前、まだ幼かった私は、
「クビになる」とは命をとられることだと勝手に思い……
「仕事」というのはそれほど厳しいものなのかと、
一日、悲痛な思いで過ごした。
今日のわれわれには想像もつかないが、
かつて「仕事」がそれほど厳しいものであった時代も、
実際、わが国にはあったのである。
在るのかどうかよくは分からない「神さま」に何かをお願いするということを、
初めて真剣にしたのは、そのときだったかもしれない。
幸い、この最初の願いは聞き入れられて、
父はその夜、帰ってきた。