中学の頃から貧しい思いをした父は、基本的に食べ物の好き嫌いがない。
健康な、強い歯をしていて、何でも美味しそうに食べるのだが、
そんな父にも、私の知る限りただ一つ、食べられないものがある。
それは「鯨」だ。
鯨肉は、食べてみるときわめて美味で、
動物愛護の皆さんには怒られるだろうが、
しかし長い時代にわたり、日本人の貴重なタンパク源の一つであった。
父は海軍時代、食べられるものが鯨肉しかなかったときがあったらしく、
大きく揺れる船上で、吐きそうになりながら、
しかし生命を維持するために必死でこれを口に入れた。
そうして、戦争が終わってみると、二度と食べることができなくなったという。
ちなみに、戦時中、南方を転戦した父は、
終戦後、現在に至る70年近くの間、なんと一度も海外に出ていない。
わが家では、父も母も、パスポートというものをもったことがなく、
楽しみのために、ゆったり、のんびり旅行したこともないだろう。
子供の頃、兄にせがまれて旅に出たことはあったが、
自宅に帰り着くなり……
「ああ、家(うち)が一番だ……」と、
二人とも必ず言った。
友人・知人たちは皆、両親との楽しい旅行の話をしてくれる。
私の主宰する聖地巡礼ツアーに、ご両親を連れておいでになる方もしばしばおられる。
その度に私はうらやましいと思い、
いつか自分も両親と、インドや、キリスト教の聖地に行ってみたいと思う。
しかし、いつか、いつかと思いながら、
それは未だに実現していない。