昭和16年の開戦の年、父は22、3才の健康な男子だったので、
おそらくはそのずっと前から徴兵されていたことだろう。
戦争の想い出は、言葉にできないものが多々あったに違いないが、
そのような話を本人が自らしたことは一度もない。
腰にある大きな傷については、拙著『アガスティアの葉』のなかでも触れたとおり、
その日、何かの加減が少しでも違っていれば、父の体全体が吹き飛んだり、
またはよくて重度の身障者となって帰国しただろう。
その場合はもちろん、
皆さんが私から瞑想を習ったり、【ギーター】の解説を聞いたり、
今、このようなブログを読んでいることにもならなかったが、
しかし予言の葉にははるか太古の昔から、私の両親が戦後結婚して、
ある日、ある時、ある惑星の配列の許、私が生まれることが書かれていたわけだから、
父があの戦争で重傷を負うことと同様、死なないことも、
聖者は知っていたとしか言いようがない。
その他にも、父には戦争で負った傷がさまざまにあった。
艦船が南方を航行中、激しい腹痛に襲われ、
盲腸だということでやむを得ずシンガポールに上陸したが……
戦時下、本土から遠く離れた島に麻酔などというものがあろうはずがなかった。
現在、きわめて快適な一大リゾートアイランドともなっているこの島は、
私もインドからの帰り、ほっと一息ついたりするのであるが、
父にとっては、麻酔なしで手術を受けなければならなかった場所だ。
皮膚を切開し、盲腸を摘出すること自体もそうだろうが、
その後、激痛は長く続いたことだろう。
上官は父に、「これしきのことで『痛い』などと言うな!」と一喝したというが、
父をおいたまま、上官を乗せて出撃していった艦は、
シンガポールを出た後、米軍に撃沈された。