アダムの肋骨・番外編2


ある種の芸能人をみていると、
その皆さんはいかなる悲惨な状況も笑いのネタに変えるという才能をお持ちなようだ。
怪我をした、事故にあった、病気をした、離婚した……
それらの状況は普通の人にとっては苦痛に満ちたものであるはずなのだが、
彼らはそれをも笑いに変え、人生そのものを笑い飛ばす。
実は、そういう人がいるのである。
……スタッフのなかに。
今回の事故を語ることを私に躊躇させていた一因も、彼女にある。
きっと笑うに違いなかったからだ。
実際、私は言葉でこれを言うことができなかったので、
スタッフもブログの内容を読み、事故のことを知った。
……が、彼女は、それに激しく反発した。
「そ・ん・な・バカなっ!」
つまり、一見、普通に起きて仕事をしているように見えるのに、
そんなことになっているとは信じられないというのだ。
そこで、彼女はいろいろなことを言って、笑いをとった。
「ダメだ! 笑わせるな!!」
そう言っても無駄だった。
彼女にとっては、すべてが笑いのネタだ。
……というより、人生そのものが笑いだ。
私の不幸も、そして自分の不幸さえも。
キミはよくそんなことを経験して普通に生きていられるな、みたいなことでも、
彼女は常に、それらをも笑い飛ばしてきた。
その彼女にも、この度のことが現実であることは、
徐々に受け入れざるを得なかったであろう。
部屋に来れば、病院でもらってきた塗り薬やはり薬、飲み薬が山ほどあるし、
私自身も大きなコルセットを巻いている。
そうして、笑わされる度、痛そうな顔をしている。
それでも、もしかして彼女にとって、それはまだすっかり現実ではないのかもしれない。
なぜなら、今だに彼女は私を笑わせるからだ。
いつの日か、私が死のうというときも……


まさか彼女が傍らにいたりするのだろうか。
私が自分の人生の光景をみて笑ってしまうとき、
彼女は彼女で、別のことを言って笑いをとっているかもしれない。
そのとき、彼女がいくつになっているかは分からないのだが……。
こうしてさまざまな笑いに包まれて、
本当は苦しかった私の人生は終わっていくのかもしれない。
そう思うと、なんだか複雑な心境だ(笑……)。
ところで、24日(日)の【聖書会】では、
新約・旧約聖書全体を通じて私の最も好きな言葉の一つが登場するので、
今からついわくわくしてしまう。
『だからわたしは言う。
 蛇のように聡く、鳩のように無垢であれ……』(マタイ10・16)
神々の王・インドラの化身であったアルジュナは、
理性も感性も、人間として最高度に進化していた。
それでも、そのアルジュナですらも、肉体をもって生まれ、苦しんだのである。
すなわち、たとえ蛇のように聡く、鳩のように無垢であったとしても、
(その片方でも難しいが……)
なお、人は苦しむ。
ではどうすればよいのか、
イエスの教えをヴェーダに基づき、解説する。
【聖書会】に続く<祈りの会>のほうでは、
愛と驚きに満ちた今年のインド巡礼旅行の写真集解説の後半を、
満を持して行なう予定だ。


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