もしかして読者の皆さんは、疑問に思われるかもしれない。
私の交通事故は、予言されていなかったのかと。
もちろん、予言されていた。
何人もの聖者や神々によって、何カ所にもわたって。
しかしそれは、パリハーラムのおかげで軽減されると書かれていた。
そんなこともあり、例によって、私はその記述を忘れていた。
一体に、パリハーラムがどのような効果をもたらしたのか、
はっきり分かることもあれば、分かりにくいこともある。
それを行なったときと行なわなかったときの、両方を経験することはできないのである。
しかしいずれにしても、聖者や神々の記述のなかには、
二通りのものがしばしば見られる。
一つは、『パリハーラムのおかげで、これについては回避されるだろう』
というものだ。これにはしばしば、
『しかしそのとき、あなたはそれに気づくであろう』
といった記述がつけ加わることがある。
もう一つの記述は、
『このパリハーラムによって、この件は軽減される』
というものだ。
しかしこれにしばしば付随する記述は、
『だが、それを完全に避けることはできない』または、
『いずれにしても、あなたはそれを経験しなければならない』
というものだ。運命により、それは経験されねばならない。
しかしパリハーラムにより、神々の恩寵と貧しい人びとの祝福は、
これを著しく軽減するだろうというのである。
事故については、聖者アガスティア、マッチャ牟尼、聖仙アールティ、ムルガ神、
その他の聖者や神々が同様の予言をしておられたので……
それについて少しも経験しないでいられるとはさすがに私も思っていなかった。
マッチャ牟尼にいたっては、それは『神聖な旅の途上で』起こると書かれていた。
だから、その『神聖な旅』が、
皆さんとご一緒の『大いなる生命と心のたび』でないことを私は密かに祈ることがあったが、
幸い、その祈りは聞き入れられ、
さらには大難を小難で済ませていただいたようだ。