アダムの肋骨7


携帯に対応しながら、私は事故現場を離れ、幹線道路に出た。
どれくらいの時間が経っていたのだろうか、通りはウソのように車が流れていた。
すぐにタクシーが来たので、私は座席にからだを忍び込ませようとした。
体をかがめても、腰掛けても、胸が痛んだ。
肉体的な胸の痛みと、彼女を一人残してしまったという胸の痛み……。
しかし、あのままあの場所にいることはできなかった。
こうする他はなかったのだと、何度も自分に言い聞かせた。
携帯での会話の一部を聞いたのであろう、
「今日は新幹線でお出かけですか?」と、タクシーの運転手が声をかけてきた。
「はい」
「どちらまで?」
「伊勢です」
こんなときに、妙に陽気な運転手に当たってしまったものだ。
運転手は、続けて言った。
「伊勢と聞いたら、どうしても『うどん』を思いだしちゃいますねぇ」
そうかもしれない。一般の人ならば。
しかし今日、私はなんとしてでも伊勢神宮までたどり着き、
外宮と内宮で儀式をあげ、瞑想をして帰ってこなければならない。
「うどん」どころではないのだ。
そんな私の気持ちをよそに、運転手の話は止まらなかった。
「私、昔JCのとき、あそこで禊をしたことがあるんですよ」
JCとは、日本青年商工会議所、つまり若手経営者の集まりである。
「1月の厳冬期に、五十鈴川に入るんです」
運転手は、かつて青年実業家だったのだろうか……


しかし会社はどうにかなってしまい、今はタクシーの運転手をしているらしい。
「1月に五十鈴川に? どんな感じでした?」
私が聞くと、運転手は笑って答えた。
「いやあ、禊といえば聞こえがいいですが、
 川には一瞬だけ入って、その前後は、要するに飲み会ですわ」


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