私たちの知らないところで、何が起き、どのようにして運命が決まっていっているのか、
私たちは、まさに与り知ることができない。
それは、何十年も、何百年も前に起きたことかもしれない。
地球の裏側で“偶然”起きたことかもしれない。
天界で神々が相談したことかもしれない。
こうした考え方は多くの人びとにとって非常識に聞こえるかもしれないが、
私には、すべてが物質世界のなかで営まれていると信じられることのほうが
申し訳ないが常識的でないと感じられてしまう。
瞑想を教えたり、教えられたり、
聖典や聖句を解説したり、それを聞いたり、
聖地にご一緒して共に祈りや儀式を捧げたりする会員の皆さまとも、
Yさんのようなご縁をそこはかとなく感じる瞬間があり、
いい知れぬ感興に浸ることがある。
が、それらのご縁がどういうものだったのかを知ることは、私たちにはできない。
ご尊父様は2012年1月25日に亡くなられたが、
和尚様の法話によれば、
浄土宗の開祖であられる法然上人がお亡くなりになったのが……
1212年1月25日であったという。
ちょうど800年の歳月を経てお亡くなりになったお二人にも、
きっと深いご縁がおありだったのだろう。
そのようなご尊父さまに、これからも私たちを護り、導き、
どうか私たちが十分な仕事を地上で完遂して、それから再会させていただけますようにと、
式の間中、祈らないではいられなかった。