バンガロール → プッタパルティ
この日、ホテルでゆったりした朝食バイキングを楽しんだ後、
専用バスでプッタパルティに向う。
アーンドラ・プラデーシュ州にあるこの村は、
サティア・サイババのアシュラムがあることで世界中から巡礼者を集めた。
私が初めてここを訪れたのは1990年であるから、
あれからもう20年以上が経ったことになる。
その間に、『理性のゆらぎ』『アガスティアの葉』『真実のサイババ』等を上梓し、
アメリカの大学で教え、帰国してからは瞑想をお教えするようになった。
これらの時間を、長かったというのか、短かったと感じるのか……。
その間に行なってきた仕事は、充実していたといえるのか、
あるいは本当はもっといろいろなことができたのか……。
それにしても驚くべきは、私自身はいまだに自分が死ぬことをあまり想定しないで、
わくわくするような次の仕事のステップを考えていることである。
そして、それらを完遂するまでは、死んでも死に切れないなどと思っている。
自分のことはもちろんのこと、ましてサイババのような方が亡くなるなどとは、
当時は想像もできなかった。
今、サイババが亡くなってみて、われわれは相対世界の無常を学ぶ。
たとえ神と一致した人格を宿していても、肉体は滅びていく。
ラーマも、クリシュナも、仏陀もイエスも亡くなっていった。
そうした無常の相対界に生きるわれわれは、
しかし心の奥底では変わらないものを求め、
変わらない何かをこの世に残したいと願っている。
サイババ逝去の後もサマディ・ダルシャンに訪れる巡礼者は後を絶たない。
この日夕刻、サイババがお育てになった僧侶らによるヴェーダ吟唱に耳を傾け、
それから神の讃歌バジャン、そしてサイババの墓参を行なう。
ご参加になるすべての皆さんが心の最も深いレベルで何かを感じ……
そうして何人かの方は特別なメッセージをサイババから受け取ることになるであろうことが、
まるで当たり前のように私には想像できる。