『大いなる生命とこころの旅』6


2009年12月18日(7日目-2)
新しく建った家は、貧しい集落の、しかし美しい田園地帯にあった。
少し離れて見れば、背後にはまるでシヴァ・リンガムのような山が聳えている。
一家で瞑想を楽しまれるS家の皆さんが留まって瞑想するのに、
ちょうどよさそうな感じだ。
実際、落成のプージャ(儀式)に続いて瞑想していきたいと思ったが、
われわれはその気持ちを振り払うようにしてそこを後にした。

DSCN0730

新しい家と、背後の“シヴァ・リンガム”

次に向った先はカンチープラム、すなわち
「不二一元の究極哲学」を数千年にわたり説いてきた
シャンカラーチャーリヤのマット(教場)である。
この日、この場所に、第69世シャンカラーチャーリヤ
シュリ・ジャエンドラ・サラスワティ聖下の姿はなかった。
その代わりに精力的に活動しておられたのは、第70世シャンカラーチャーリヤ
シュリ・ヴィジャエンドラ・サラスワティ聖下であった。
前回、69世に謁見し、もう出発しなければならないというぎりぎりになって、
この方が会おうとおっしゃってくださったのだった(2008年10月23日のブログ)。
そうして奥の部屋に招き入れられ、
大聖アディ・シャンカラの著作を日本語に訳すよう言われた。
私はそれを謹んで承り、帰国したのであった。
その日本語訳を、今回、持参してきていた。
小冊子を差し出すと、聖下は大変お喜びになられて言われた。
「これは、CDに入っていないのですか?」
訳された紙だけをお持ちしてきていたので、
「次回、CDに焼いてお持ちします」
とお答えした。
この後聖下は、日本とインドの文化についての短い講話をされた。
遠いはるかな伝統文化を尊ぶ気質が、徐々に薄れてきているのは、
インドも日本も変わらない。
いずれにしてもわれわれは同じ東洋の文化のもとに生きていること、
そしてその伝統を絶やさないためには適切な教育が必要であると言われた。

DSC06859

第70世シャンカラーチャーリヤと

チェンナイに着くまでの二時間、私はマイクを握って離さなかった。
もう、皆さん全員に話しかける機会はこれしかない。
そう思うと、話し続ける他になかった。
チェンナイの一流ホテルでのビュフェ形式の食事は美味しかったし、
今まで見たことのないようなさまざまな食材も並んでいたが……


私の気はそぞろだった。
皆さんと一緒に日本に帰りたい。
しかし実際には、私はこの日のうちに、
ふたたびチダンバラムまで帰り着かなければならない。
皆さんをバスでお見送りした後、
私はふたたび車で南に向かった。
深夜零時をとっくに回ってからチダンバラムに着き、
私はそのまま、泥のような眠りについた。

IMG_1783

バスのなかで話し続ける


カテゴリー: 大いなる生命とこころの旅 パーマリンク

コメントを残す