新約聖書の最初の文書となる【マタイによる福音書】には、
冒頭に近いところで『山上の垂訓』と呼ばれる部分が登場する。
ほんのわずかな行間に、この世に生きる英知が集約された、
世界宗教史上の金字塔である。
山上の垂訓を終え、イエスが山を下りると、
そこに待っていたのは群衆であり、多くの病者であった。
イエスはすでに、病者の癒しを行なっていたので、
これを聞きつけた人びとが数多く訪れていたに違いない。
そのなかには、ユダヤ教徒だけではなく、
異邦人、異教徒もいた。
ここでローマ軍の百夫長が、イエスに語りかける。
「主よ、わたしの僕が中風で寝込み、ひどく苦しんでいるのです」
それに対してイエスは答えた。
「行って、癒してあげよう」
多くの病者を癒して人びとを驚かせた、
そしてもしかしたらあの山上の垂訓により、さらに人びとを驚嘆させたイエスが、
自ら来ると言ってくださっている。
通常であれば、少なくとも内心、狂喜乱舞となるに違いない。
現代ならさしずめ、友人知人を呼び、写真やビデオ撮影の準備でもするのだろうか。
しかし、百夫長は言った。
「主よ、わたしはあなたを、自分の屋根の下にお迎えできるような者ではありません。
ただ一言、おっしゃってください。
そうすれば、わたしの僕は癒されます」--
この後、何が起きたかは、想像に難くない。
イエスの一言で、実際に百夫長の僕の病は癒されたのである。
そんなことが本当にあったかどうかといえば、
私は本当にあっただろうと思う。
イエスにはもちろん、それほどの力があったであろう。
そしてこの百夫長は、この恩寵を受け取るに値する人物であったに違いない。
この話を始めて読んだのが、大木神父の聖書のクラスであったか、
あるいは教会のミサのときであったか……。
いずれにしても、この一人のローマ軍人の信仰に、われわれは驚く他はない。
そして実は、このときのイエスのふるまいが……
キリスト教を後に世界宗教にまで押し上げた大きな要因となった。
今月28日の<聖書会>では、
山上の垂訓を終え、山を下りたイエスによる奇跡の嵐をみていくこととなるが、
しかしその実、それは単なる奇跡現象ではない。
キリスト教を不朽の世界宗教へと発展させていった、
より深い奇跡の理由を、われわれはみていくこととなる。