父の闘病から死、そして葬儀に至る一連の出来事を思うとき、
その様子は、よくも悪しくもあまりに“人間的な”出来事にあふれていて、
まとまった時間があれば一冊の小説にしたいくらいである。
それらをいま、短いブログに書くことは到底できないが、
通夜の晩のことを少しだけ書いてみたい。
夕方6時に始まった通夜は、7時には終わった。
東京で通夜に出席すれば、その後、弔問客全員に食事が振る舞われるが、
私の田舎ではそのようなことはなく、
食事は親族だけで行なった。
その席に、遅れて来られた知人が二人おられた。
一人は、広島県福山市を広島市と思ったために、
広島まで行ってしまったと言われ、大変申し訳ない気持ちになった。
もうひと方は、福岡から新幹線でおいでになって、
柩の前で拝まれると、そのまま出ていかれようとした。
「少しだけ、お食事でも……」
と申し上げたがお時間がなく、
そのまま新幹線でとんぼ返りしていかれた。
親族にご用意した料理は大量に余ってしまい、
斎場の方に相談したが、どうすることもできない。
「足りなくなるよりは、いいですから」
おそらく毎回のように言ってきたであろう台詞を、
私も聞いて納得する他なかった。
ただ、これだけの料理を無駄にするのは、
質素に生きてきた父に申し訳ないと感じたので……
東京からきてくれていたYさんに電話して助けを求めると、
一緒にいた皆さんが駆けつけてくれた。
美味しそうなものだけ少しずつでも召し上がっていただき、
翌朝の食事やデザートになりそうなものを包んでくれてほっとしたころ、
柩の前では、自然におしゃべりの輪ができていった。