携帯に対応しながら、私は事故現場を離れ、幹線道路に出た。
どれくらいの時間が経っていたのだろうか、通りはウソのように車が流れていた。
すぐにタクシーが来たので、私は座席にからだを忍び込ませようとした。
体をかがめても、腰掛けても、胸が痛んだ。
肉体的な胸の痛みと、彼女を一人残してしまったという胸の痛み……。
しかし、あのままあの場所にいることはできなかった。
こうする他はなかったのだと、何度も自分に言い聞かせた。
携帯での会話の一部を聞いたのであろう、
「今日は新幹線でお出かけですか?」と、タクシーの運転手が声をかけてきた。
「はい」
「どちらまで?」
「伊勢です」
こんなときに、妙に陽気な運転手に当たってしまったものだ。
運転手は、続けて言った。
「伊勢と聞いたら、どうしても『うどん』を思いだしちゃいますねぇ」
そうかもしれない。一般の人ならば。
しかし今日、私はなんとしてでも伊勢神宮までたどり着き、
外宮と内宮で儀式をあげ、瞑想をして帰ってこなければならない。
「うどん」どころではないのだ。
そんな私の気持ちをよそに、運転手の話は止まらなかった。
「私、昔JCのとき、あそこで禊をしたことがあるんですよ」
JCとは、日本青年商工会議所、つまり若手経営者の集まりである。
「1月の厳冬期に、五十鈴川に入るんです」
運転手は、かつて青年実業家だったのだろうか……
しかし会社はどうにかなってしまい、今はタクシーの運転手をしているらしい。
「1月に五十鈴川に? どんな感じでした?」
私が聞くと、運転手は笑って答えた。
「いやあ、禊といえば聞こえがいいですが、
川には一瞬だけ入って、その前後は、要するに飲み会ですわ」