第九回 〜ルルド モン・サン・ミシェル リジュー〜 三日目

 午前は、聖女ベルナデッタの生家、聖女の遺品、受洗の教会などを巡礼。最後に向ったホスピスは、聖女が聖母を見てからヌヴェールの修道院に発つまでの間に暮らした場所だ。
  われわれが入っていくと、たまたま一人のシスターが聖堂での祈りを終えて出てこられた。ベルナデッタが入ったヌヴェール愛徳修道会のシスターである。
  まず聖堂を見せていただくと、シスターは何やらフランス語でまくしたてる。そうして示されたのは、聖女の使っていた頭巾だった。頭巾には少量の髪の毛が添えられていたが、それが、まさに聖女の遺髪であった。
  次いでシスターが取り出されたのは、一つの顕示台。ガラスの中にあるのは、聖女が葬られて30年後、遺体が発掘されたときに採取されたという胸の骨だった。そのようなものを拝見できるとは思ってもいなかったが、それにしても……と思う。腐敗を免 れた聖女の遺体に、彼らはメスを入れたらしい。文化の違いか。
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話しまくる日々
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聖女の遺髪
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代表して記帳します
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聖遺骨

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第九回 〜ルルド モン・サン・ミシェル リジュー〜 二日目

 朝食前、多くの方は教会と修道院を見学したらしい。なんと、たまたま時間外で修 道院に入れてもらえた方がいて、彼女は聖トマス・アクィナスの柩を見たと、興奮気味に帰って来られた。
  古都トゥールーズを出発すると、南フランスの田園風景を両手に見ながら、3時間後にはルルドの町並みが見えてくる。
  昼食後、早速皆さんを水浴場へご案内すると同時に、私は日本からあずかってきた手紙の束をもってご出現の洞窟へ。後ろに並んでいる皆さんの視線もなんのその、一通一通、お名前を確認しながらマリア様宛てのポストに入れていく。
  夕方には、ほぼ全員が揃って施療院の見学に向った。施療院の責任者であるフランス人シスターのご案内で、内部をくまなく見学。「弱い人たち、社会で顧みられない人たちも、ここでは神様に愛されたかけがえのない個人として扱われます」
  そのためにここで働けるのが幸せだと、シスターは語った。
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シスター・ジャクリーヌと
(施療院前にて)
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夜のレーザーショー
(ロザリオ大聖堂)
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夜の水泥棒

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第九回 〜ルルド モン・サン・ミシェル リジュー〜 一日目

 毎年、いちばん楽しみにしている夏の巡礼。今年も、飛行機はほぼ定刻にパリに着 き、トゥールーズのホテルに着いたのは夜の9時。この季節のヨーロッパでは、まだ 太陽は沈んでいない。
  ここトゥールーズで見逃せないのは、中世にキリスト教神学を集大成した聖者トマス・アクィナスの眠るジャコバン修道院。市の中心にあるホテル・クラウンプラザか らは歩いて数分の距離だ。夜の帳の向こうに見えてきたヨーロッパ最古のドミニコ会 修道院はライトアップされ、ハッとする美しさだ。
 続いて、3世紀、この地にキリスト教をもたらして殉教した聖セルナンの教会に 行ってみたが、ふたたび息をのむ。旅行ガイドには書いてないことを発見し、初日から得をしたような気分になる。
  クラウンプラザの前は市庁舎と広場。周りには品のいいカフェが立ち並び、石畳の上に椅子席を出している。美しい教会で胸がいっぱいになったところで、添乗員の下江さんは空腹を訴え、食事となる。
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楽しい機内
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幻想的な聖
セルナン・バジリカ

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願い 1

「このルルド巡礼ツアーの日程は、先生が決めたんですか?」
 ある方から、そのような質問をいただいた。
「そうです」と胸を張っては言えなかった。なぜなら、どんなスケジュールにしても、都合のいい人と悪い人の両方がいる。それらをみな勘案したいけれども、しかし、それではいつまでたっても決まらない。だから最後は、「ごめんなさいっ!」と決めてしまう他にない。
 その方は、しかし質問の理由をこう説明した。
「2004年の6月19日、その日が人類の霊性にとって特別な日なんです」
 なんでも、太古の先住民たちがもたらした暦によれば、人類の霊的進化が急速になる時期というのがあるらしい。そして、われわれがルルドに着いた日からヨーロッパ を巡礼する間くらいが、ちょうどそれにあたるのだという。

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願い 2

 前回のエッセーで書いたローマでのことを、帰国したら書きたいと思っていたのに、まったく書けなかった。
 友人のTは立派にMissionaries of Charityの修道女となり、人生の新たな段階を踏み出した。が、その一週間にあったさまざまな出来事は私の心の綾に深く入り込み、簡単には書けなかった。まったく予定外に<プレマ・セミナー>で私はそのことに触れてしまい、思わず涙が出そうになった。そうこうしてい るうちに、今日、ふたたびヨーロッパの巡礼に発つ日がきてしまった。
 日程では、今日中にトゥールーズに入り、明日の昼時にはルルドに着く。昼食後、早速ご出現のあった洞窟前に行き、十数人の方からお預かりしている手紙をマリア様に届ける。同時に、さまざまに繋がりのある皆さんのことを思い出し、祈る。
 フランスで19日の午後2時頃は、日本時間では同日の午後9時頃にあたる。あるいは、その後の1、2時間は、旅の参加者がそれぞれの祈りを込め、ルルドの泉に浸かっている時間だ。そのとき、一瞬の時間でも、一緒にお祈りいただけたら嬉しい。
 私たちの思いや、共通の願いが、より深い意識のレベルで聖母に届くよう、一緒に祈れたら嬉しい。

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誓い 1

 友人のTがマザー・テレサの修道会(Missionaries of Charity)に入って、はや4年が経つ(『祈りの言葉』75ページ)。その間にTが重ねたであろう苦労は、言葉で言い表すことができない。慣れないイタリア語での修道生活。厳しい戒律と、貧しい生活。誰一人、知らない人びと。おそらくは自分より年下の先輩による、厳しい訓練の日々……。
 一度、読者の皆さんとローマを訪れたとき、一人で修道院に向ったことがある。そこは昔来たことがあったのに、ひっそりした修道院を見つけるのに苦労した。中に入れてもらうのに苦労し、そうしてTの教育係という人と、やっと内線で話すことができた。
「元気なんですか?」
「元気ですよ」
「イタリア語には、慣れましたか?」
「もう少しですね」
「日本のお菓子を、置いていってもいいですか?」
「結構ですよ」
 機械的な調子の会話は、じきに間を保てなくなり、終わった。
 私は、名刺に短いメッセージを書いて、お菓子の包装紙に忍ばせた。
『われわれのことを思い出したら、お祈りください。日本では、みんなで祈っています』

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誓い 2

 その菓子をTが実際に口にすることは、果してあったのだろうか。このようにして、立派な修道女になって人びとを救ってほしいという気持ちと、苦しければ日本に帰ってくればいいという気持ちが交錯して、4年が過ぎた。
 その彼女は、しかしいまだ、正式な修道女ではない。キリストに従う「清貧、貞潔、従順」の3つの誓いをたてて初めて、真に修道院に受け入れられる。そうして、マザー・テレサの会に特別なのは、この世のもっとも貧しく、弱い人びとのために、生涯のすべてを捧げるという誓いである。なぜなら、『わたしの兄弟である、このもっとも小さい者の一人にしたのは、私にしてくれたことだ』と、イエスは言ったからだ。(マタイ 25・40)
 午前5時をまわった。じきに車が来て空港に向かい、今日の夜にはローマに着く。そうして明日、彼女は神の前に誓いを立て、キリストの花嫁となる。

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続・月の魔力

 ふたたび、満月がやってくる。
 実は前回、第一期の瞑想講座を教えたとき、一人の方がこう言われた。瞑想を習って、すぐに満月の晩がきた。その日、習ったとおりに瞑想していたら、月からの慈愛が心と体に染み渡るようだったと。
 この体験を直接ご本人から聞いたとき、鳥肌がたった。というのも、月の満ちる時期に瞑想講座が始まったのは、偶然ではないからだ。将来、瞑想を教えるとき、最初は満月の日に始めるようにということが、予言の葉っぱには書かれていた。
 太古の昔からヴェーダを伝えてきた聖者には、“遠い、海に囲まれた”“火の山のある国”で、将来、一人の人間がヴェーダの科学を伝えることが分かっていた。そうして、それを始めるには満月の日が適切で、そのとき、月の慈しみの光を感じ取る者が弟子のなかにいることを、彼は知っていたに違いない。少なくとも私には、そう肌で感じられるのだ。
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少人数で行われる講座風景
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「意識」の本質に迫ります

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武士道 1

 知人のテレビプロデューサーが、先日、突然言った。
「こんど、空手見ません?」
 全日本空手道選手権。主催は、佐藤勝昭・王道空手宗師である。佐藤勝昭といえば、格闘技に通じた人なら誰でも知っている。私は二つ返事で、行くと答えた。
 私が佐藤氏に最初に“お目にかかった”のは、実は劇画の中である。昭和40年代、『巨人の星』や『あしたのジョー』に続く時代の人気劇画であった『空手バカ一代』を、私もときどき寮で見つけては読んだ。そのなかで、一代の天才・大山倍達が悲願の末に全世界空手道選手権大会を開催するのであるが、その第一回大会で優勝したのが佐藤氏であった。
 もともと講道館柔道の未来を背負って立つといわれた彼が、なぜ極真空手に身を投じ、どのような苦闘の末に初代世界王者となったかが、同劇画のなかで描かれている。(講談社ベストコレクション『空手バカ一代』第7巻473ページから巻末までのうち多くの紙数を、著者はこれに割いている)
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講談社ベストコレクション『空手バカ一代』第8巻744項

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武士道 2

 佐藤氏は、その後、自らの理想を追求して王道空手を創始するのであるが、いつも心の中にあったのは、『武士道』というものであった。あるいは『サムライの心』といってもいい。
 日本人のなかに脈々と流れるこの血は、しかし、他者を傷つけようというものではない。むしろその逆で、自己を克服しつつ、より大きな義を求め、同時に全体の調和を計るのが武士道である。したがって、佐藤氏にとっての武道とは王道であり、正道と呼ぶこともできる。常に公明正大であれ、恥を知れ、夢を持て、礼儀を正せ……塾生は、空手が強くなること以前に、そんなことをたたき込まれる。
 その理念のもと、氏が新たに主宰した全日本空手道選手権大会は、今年で19回目を迎えた。
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子供たちによる試割り

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