偶然 1

  フランスツアーの皆さんと泣く泣く別れて、ポルトガルの小都市ポルトにいたときのこと……。
 ポルトを流れるドウロ川には、ポートワインを樽に入れて運ぶ舟が停まり、沿岸にはこれを貯蔵する蔵がある。この蔵のなかで、10年、20年もの時間を過ごしたワインは、最上級品として世界に供給される。
 ポルト在住の知人とその沿岸を歩いていたとき、斜め前に、見覚えのある顔が見えた。
 梅沢富美男さん、料理家の山本益博さん宅を設計し、最近はライトフィールドのビル改装のデザインをお願いした井手孝太郎氏にそっくりだ。だが、一流の建築家として多忙を極める氏が、こんなところにいるはずがない。
 そう思いながらもじっと見ていると、目があった。

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偶然 2

「青山先生……」
 先にそう言ったのは井手氏のほうである。なんということだろう。こんな、ポルトガルの小さな街で……。美しい奥様も、驚いた表情をしている。
「こんなところで、何してらっしゃるんです?」
 それはこちらが言いたいセリフだ。ともかくも互いに知人を紹介し、再会を喜びあう。
 彼らは、たった一日のポルト滞在だと言った。たまたま夜、こうして食事に出、翌朝早くには帰国の途につく。その、わずかな時間の再会だった。
 それにしても不思議である。井手氏は前の日に、なぜかぼくのことを思い出していたという。果して、その思念がこういう偶然を生んだのか、あるいは、こうなることを氏が予知したのか……。
 いずれにしても、人生は偶然の連続だ。幸運もくれば、不運もくる。ほとんど地球の裏側に近い場所、ドウロ川沿いのきらきらした夜景を見ながら、ぼくはこれはまずいかもと思い始めていた。
(もしかしたら、人生の運の大半を、これで使い果たしたかもしれないぞ……)

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夢 1

 カリフォルニア州立大学に客員教授として赴任したとき、学部長のリー・ギルバートが車でキャンパスを案内してくれた。目の前に大きな球場が見えてきたとき、彼は誇らしげに言った。
「ウチの主戦投手は、今度のドラフトの目玉なんだ」
 カリフォルニア州立大学は、その名のとおり、カリフォルニア州内に多くのキャンパスを持つ。そこで、それぞれのキャンパスごとに、学問的業績のみならず、その他の分野でもいい意味で競い合うことになる。
 私がこのとき赴任したフラートン・キャンパスの出身者で、世間的にもっとも有名なのは、おそらくケビン・コスナーだろう。堅実・重厚な演技で今をときめく彼は、現役時代、あまり目立たない学生だったという。
 そして今日、ぼくは朝日新聞の1/3面広告を見て驚いた。わがキャンパスの現役学生であるマーラ・ダヴィが、「42ND STREET」日本公演のため来日中だと書いてある。

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夢 2

 3歳の時ダンスを習い始めた彼女は、その後、まっすぐにミュージカルスターを目指してきた。
 「なぜそんなに好きかは分からない。私のDNAに組み込まれていたとしか言いようがないわ」と、インタビューではインテリらしさを滲ませている。
 「42ND STREET」は、今は大女優となったキャサリン・ゼータ・ジョーンズが16歳のとき、ロンドン公演の主役の代役のそのまた控えで女優としてのキャリアをスタートさせた名作。当然、オーディションも激戦で、今回マーラは1500人を勝ち抜いて主役の座を得たという。朝日新聞のインタビューでは、まだ若い彼女が、泣かせるセリフを吐いている。
 「夢に届くまで懸命であることが、生きることだと思う。いくつになっても夢を持つこと、あきらめないこと。力を振り絞ると、そこからさらにエネルギーが湧いてくるわ」

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夢 3

  それはそうだ。まさにそのとおりなのだが、どんなに才能に恵まれ、運にも恵まれても、人生のある時には立ち止まったり、押し返されたりすることもあるかもしれない。というより、そんなときは必ず来る。逆境にあったとき、ツキにすっかり見放されたようなとき、今度はその同じことをどう表現するかで人間の深みが決まってくる。
 若く、美しい彼女は、まだそうした人生を知らないかもしれない。が、知らない者には知らない者の強みがある。今はこの役に賭けるときだ。そうして思い切り飛翔するときだ。そうやって一生懸命生きた人に、深みは必ずついてくる。
 もしも「42ND STREET」日本公演を見に行かれる方がおられたら、どうか温かい声援を送ってください。……などと、直接教えたわけでもないのに、つい思ってしまう。

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第九回 〜ルルド モン・サン・ミシェル リジュー〜 八日目

 裕福な家庭に生まれ、賢く、誰からも愛されたテレジアに比べると、ベルナデッタは極貧で、読み書きもできず、皆に罵倒されながら育っている。
「なぜ、あなたのような愚鈍な人に、聖母は現れたのですか?」
  このような質問に、彼女はこう答えた。「私よりも愚鈍な者がいたら、聖母はその人にお現れになったでしょう」
  ベルナデッタは、その後ヌヴェール愛徳修道会に入り、短い生涯を終えた。遺体はじめじめした地下聖堂に埋葬されたが腐敗せず、精神の、物質に対する優位を指し示しているかのようだ。
  昨年お会いしたシスター川田は、今年もお元気で、われわれを迎えてくれた。巡礼を終えてから、シスターと少しの間、おしゃべりをする。「修道院に入られて、一番嬉しかったことは何ですか?」
  この問いに、シスターはゆっくりと答えられた。「一日のなかで、静かに神様と向かい合う時間を持たせてもらえること、これにまさる歓びはありません……」
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最後の力説
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シスター川田と
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聖女の眠っていた
小聖堂より
 
この日のフライトは、夜の11時25分。この後ポルトガルに向う私は、パリの空港で皆さんを見送らねばならない。
 一緒に日本に帰りたいと、どんなに思ったことだろう。だが、それはできない。次の旅行や、その次の旅行で、皆さんに来てよかったと思っていただけるためにも、もうしばらくヨーロッパに留まって学び、研究することがある。
 なんとか、そう思い定めようとした。が、一人の方が目を濡らし、しばたたかせるのを見たとき、私も思わず涙がこぼれそうになった。
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最後の絶叫
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お疲れさまでした

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第九回 〜ルルド モン・サン・ミシェル リジュー〜 七日目

 北フランスの裕福な家庭に生まれたテレジアは、幼いときから特別な霊性を示し、戒律の厳しいカルメル修道会に十五歳で入会を許された。彼女はそこで結核を病み、24歳で亡くなるが、死後出版された自叙伝は瞬く間にヨーロッパ中の人びとを虜にする。
  この一世紀、世界でもっとも愛された聖女テレジアに、私もまた、中学・高校時代、心寄せて過ごした。フランス旅行6回目にして初めて訪れたリジューの修道院、聖女の実家、そして記念聖堂は、あまりに深い印象を心に刻み、語り尽くすことができない。
『イエスよ あなたのなかに 私は美しい大自然を持っている
  虹も 真っ白な雪も はるかな島々も たわわな収穫も
   蝶たちも 華やかな春も 畑も
    私はすべてを持っている』  
              ──幼いイエスの聖テレジア──
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聖テレジア大聖堂
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聖女の遺品
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ビュイソンネの実家 
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聖女の通った司教座聖堂
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聖女テレジア

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第九回 〜ルルド モン・サン・ミシェル リジュー〜 六日目

 この世界には、物質よりも精妙な霊的実体がたしかに存在し、それをキリスト教では天使とか、妖精などと呼ぶ。天使のなかでも、大天使は特異な存在だ。特に大天使・聖ミカエルは、悪を駆逐する天の軍団の総帥として各国の守護の天使として崇敬されている。実は日本も、その例外ではない。
 8世紀の初め、フランス司教であった聖オベールの夢枕に大天使・聖ミカエルが降り立ち、ノルマンジーの地に僧院を建てるように命じた。その後、長期にわたる難工事を経て完成した僧院モン・サン・ミシェルは、砂と海の上に浮かび、千年以上にわたって世界のキリスト教徒の憧れる巡礼地となった。後の百年戦争でこの地を包囲したイギリス軍は、どうしてもこれを落とすことができず、敗退の原因となった。
 遠く、モン・サン・ミシェルの偉容がバスから見えたときの感動は、誰にも忘れられないものとなった。ゆっくりと内部を見学した後、めいめいに絵はがきや、有名な「プラーおばさんのクッキー」を買う。
 夜10時過ぎ、下からのライトと上からの月の光に浮き上がるモン・サン・ミシェルに、ふたたび感動、というより驚愕……。
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夜のモン・サン・ミシェル
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祈りを捧げる修道女は
まるで人形のように
美しかった
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モン・サン・ミシェルで
祈る少女

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第九回 〜ルルド モン・サン・ミシェル リジュー〜 五日目

 午前9時、冠の聖母像の前で立ったままインタビュー。なぜ人はルルドに魅せられるのか、ルルドに来て仏教徒の皆さんはどんなことを感じて帰るのか、そもそもなぜ、聖母出現にまつわる本を書いたのか……。
 1945年、アムステルダムにご出現になった聖母は、自らを『すべての民の母』と名乗っている。もしかりにそうなのだとしたら、ルルドの聖母がどんな国の、どんな信仰を持った人を惹きつけてもおかしくはない。実際、水浴場に並ぶと、インド人ぽい人やアラブ系の人とかを容易に見かける。私にはマリアが、キリストや、キリスト教徒だけの母だとは思えないのだ。
 その聖母は、あるとき、自分に対する呼びかけの言葉として次のような祈りの文言を教えている。『かつてマリアであられた、すべての民の御母が……』
 彼女は、かつてマリアであったかもしれない。だが、別のときには別の姿で現れたかもしれない。あのような方の真実を、われわれの意識レベルでどうして理解しきることができよう。もちろん、ルルド・マガジンの編集者にそこまでは言わなかったが……。
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冠の聖母の前で
インタビュー
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トゥールーズの
空港で

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第九回 〜ルルド モン・サン・ミシェル リジュー〜 四日目

 午前、ミーティング、取材等で多忙を極めるルルド医学研究所所長P・テリエ博士から30分をもぎとったわれわれは、ルルドにおける奇跡の意味、研究の歴史などのお話を直接うかがう。
 その後、お礼かたがた事務局にうかがい、博士の秘書とよもやま話などしていると、突然、彼女が言い出した。「ルルド・マガジンの取材を受けてもらえないでしょうか……」
 こうして毎年、極東の国から巡礼にやって来る人びとを、取材したいのだという。できれば集合写真も欲しいというので、翌朝、時間のある方に集まってもらうことにする。
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テリエ博士と、
30人の仲間たち
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楽しいお食事
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ボランティアの少女

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