代償 1

 数年前の学会で、ある医学者の講演の座長をした。近代医学発祥の地ギリシャから来た彼の講演演目は、東洋伝承医学アーユルヴェーダだった。別れ際、アテネに住む彼は、オリンピックのときには遊びにおいでとさかんに言ってくれた。オリンピックを生で見られればいいに決まっているが、テレビで見るのも悪くない。何やかや言っても解説はそれなりに学ぶ点も多いし、テレビは最高の角度で、選手の表情まで映してくれる。

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代償 2

 今朝の新聞には、「アテネ・オリンピック」という記載があった。オリンピックの予告や予想ではない。明後日の開会式を待たずして、すでに女子サッカーの予選が始まったのだ。
 4年に一度、世界中のトップアスリートが夢にまで見る舞台。それが面白くないわけがない。オリンピックのどこがいいかといえば、やはりそこに満載のドラマがあるからだ。記録や勝敗自体もそれなりに興味はあるが、そこに至る人間の夢と苦悩、生き様にはかなわない。そして、そうした後に神が与える結果に、妙がある。
 勝者は一人(チーム)しかいないのだから、結果の多くは、選手にとっては落胆する、場合によっては残酷なものであるに違いないが、それがまた、人生の縮図であるところが面白い。

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代償 3

 4年間、待ってましたのオリンピックだが、実は今回は生で観戦どころか、テレビで観ることすらできない。日本にいないからだ。よりにもよって、行き先はインドである。
 今年の4月に教え始めた瞑想はおかげさまで好評で、何カ月か先まで予約が入っている。学んでいただいた皆さんも、「こんなに瞑想が気持ちいいなんて、思いもよらなかった」「慢性病が治ってしまった」「人生が変わった」等の感想を次々寄せてくださる。そのたびに、ぼくは幸福感をかみしめている。
 が、同時に、ぼくには一つの義務がある。このような驚くべき方法を伝えてくれたインドの聖仙や神々(もちろん、神はどこの神も同じであるが……)に感謝を捧げ、インドの人びとを幸せにするようなことを、少しずつでも続けていくことである。そのための適切な日どりというのがあって、それが今回、ちょうどオリンピックと重なった。

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代償 4

 それは、瞑想を始めた皆さんとぼくの幸せがますます大きくなっていくことの、わずかな代償ともいえる。すでにもたらされ、これからさらにもたらされるであろう幸福に比べれば、本当にわずかな犠牲だ。が……しかし……平和な日本にいてオリンピックを見られる皆さんのことを少しだけ羨ましく思いつつ、ぼくは旅に出る。

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聖女 1

 「ファティマに行きましょうか」
 そう言ったのは、ポルトの知人フリオだった。
 幼い日のある晩、彼は眠れなくてベッドから抜け出し、母親のベッドにもぐり込んだ。そうして目をつぶろうかと思ったとき、信じられないものを見た。目の前に、美しい女性が現れて微笑んでいたのである。
 一瞬、母親かと思った。が、母親は傍らで寝ている。あまりの美しさに心奪われたが、同時に恐怖心にとらわれたフリオは、思わず毛布を頭からかぶってしまう。ふたたび目を開けたとき、もう貴婦人の姿はそこになかった。
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ファティマの大聖堂 1

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聖女 2

 たしかに聖母マリアだったと思う。だが、自分一人の体験であり、誰にも証明することができない。半世紀近くそう思い続けていた彼は、あるとき、インドの聖者にそのことを問うた。
「あれは聖母だったのでしょうか、それとも幻覚だったのでしょうか」
 それに対し、聖者は答えた。
「間違いなく聖母ご自身でした。私も今回の人生で、ときどき聖母にお目にかかっています」
「どうしたら、もう一度お会いできるのでしょう」
 フリオは、あのとき思わず毛布をかぶってしまったことを、もう何十年も後悔している。それに対し、聖者はこう答えた。
「ファティマに行ってごらんなさい。そこでお会いできますよ」
 聖者は、フリオがポルトガル人であることを知っていたのだろうか。いずれにせよ、聖者自身、ファティマに何度も巡礼に行っているという。
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ファティマの大聖堂 2

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聖女 3

 ファティマは、ポルトから車で約3時間の場所にある。この地で、3人の牧童に聖母マリアがご出現になったのは1917年。そうして、人類の未来に関するいくつかの予言を行なった(拙著『最後の奇跡』208〜235頁)。
 ファティマは、平日にもかかわらず、多くの巡礼者で賑わっていた。大聖堂に入ると、主祭壇の両脇には、「福者」として認定されたジャシンタとフランシスコの墓がある。ともに1917年、聖母を見た彼らは、聖母の予言どおり、ほどなくしてこの世を去った。その墓の脇に、一つ空の墓があるが、そこがもう一人の見神者・ルチアの入ることになっている墓である。
 聖堂を出てから、祈りのロウソクを立てた。このロウソク一本いっぽんの光を、聖母ご自身がご覧になっているに違いない。
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福者ヤシンタの墓(左)と
ルチアの墓(右)

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聖女 4

 ファティマを後にしたわれわれは、コインブラに向った。ファティマで聖母を見た少女ルチアはその後、この地のカルメル会に入り、現在も祈りの生活を送っている。当時10歳だった彼女は、今、97歳のはずである。一説では、ファティマ第3の予言に書かれた破局を、ルチアは見てから死ぬともいわれてもいる。
 だが、そのルチアに会うことは誰にもできない。彼女は修道院の奥深く、世俗の喧騒から離れたところで、祈りと労働の生活を、すでに80年以上も続けているのだ。
 固く閉ざされた修院──。
 その前に立っただけでも胸がいっぱいのぼくを横目に、フリオが呼び鈴を押した。思いがけず応答があって、何やら話をしている。
「日本からファティマの物語を本に書いた作家が来ています。少しだけでも中に入れてもらえませんか……」
 予め相談されたなら「やめて」と言ったであろうそんな交渉を、フリオはしたらしい。そうしてしばらくして、中から一人のシスターが出てきたのだった。
「少しだけですが……」
 彼女はそう言って扉を開けると、聖堂にまでわれわれを導き入れてくれた。そこは毎朝、ルチア自身がミサに与る聖堂だった。
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カルメル会修道院の聖母像

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聖女 5

 「シスターに何か質問したらどう?」
 フリオに促されたが、急には何も浮かばない。
「シスター・ルチアはお元気ですか?」
 ありきたりのことを思わず口走ると、「足のリウマチがありますが、大変元気です」という丁寧な答えが返ってきた。
「ルチア様にお手紙を書くことはできるのですか?」
 この問いに、シスターはこう答えた。
「いいですよ。この紙に書いてください」
 時間を無駄にはできない。手渡された紙に、ぼくは必死で思いをつづった。日本で、ルルドやファティマを主題にした本を書いたこと。日本人の多くは特定の宗教を持たないが、敬虔な民族であること。日本と、真実に対する私の使命のために、どうか祈ってほしいこと……。
 1917年に聖母マリアをその目で見、ファティマの預言を語ったあのルチアが、本当にこれを読んでくれるのか……。だがそのとき、ぼくは“背筋の凍るような”発言を背後で聞いた。
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ファティマの聖母像

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聖女 6

 「インドの聖者・サイババを知ってます?」
 悪戯好きのフリオが、シスターにそんなことを聞いている。こうして修道院に籠もり、生涯を祈りに捧げるカトリックのシスターが、サイババを知っていようはずがないではないか! 笑顔を崩さないままのシスターに、フリオは追い打ちをかけた。
「じゃ、サイババの映ったDVDを、今度贈りましょうか」
 手紙を書き終えたぼくは、ふたたび、シスターと向き合った。おそらくは70代であろう彼女の肌が、透き通るように白く、美しい。カルメル会の修道服も、高校の頃に見た聖女テレジアの写真どおりだ。そのシスターに、ぼくは手紙を手渡した。
「たしかに、ルチアに渡します」
 前々日、井手氏に出会って、一生分の運を使い果たしたかと思った。それが時を経ずして、このような幸運に見舞われるとは……。
 それはもしかしたら、日本で祈ってくださっている皆さんの心の力かもしれない。そう思うと、ぼくは始めて少しだけ納得したような気になったのだった。
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聖地ファティマ近くの鍾乳洞
(水がエメラルド色をしていた)
事務局より:
 このときのポルトガルの旅行談、特にファティマの聖母預言とルチアの話は、9月11日の<プレマ・セミナー>で行ないます。テーマは、『世界の未来と聖母預言』です。座席数が限られておりますので、希望される方はお早めにお申し込みください。
お申込はこちらからどうぞ e-mail: info@lightfield.co.jp

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