復活 7

心優しい彼は、その場にいることのできなかった私に電話をくれた。
「先生、実は不思議なことが起きたんです」
彼は開口一番、そう言った。
「花道に立ったとき、暖かいものがどこからともなく降りてきて、自分を包んでくれたんです」
その暖かい“何か”は、どんなことがあっても自分は大丈夫なんだという確証を、彼に与えてくれたという。
「リングに立ったとき、まったく冷静でいる自分がいました。本当に不思議でした」
実は、彼は試合直前、練習中に脇腹を痛めていた。当然、試合はキャンセルできない。
苛立ち、不安に苛まれそうなものなのに、習ったばかりの瞑想に毎日浸り、試合前にも控室で瞑想をしたという。そうして花道に立ったとき、“それ”が降りてきたのである。
「先生と、皆さんの祈りが届いたんです」
どこまでも謙虚な彼はそう言った。そうかもしれない。祈りは届くのだ。
しかしもちろん、この勝利は、彼の努力と忍耐による。そうして、度重なる怪我に泣かされてきた一人の格闘家が、文字通り、この夜復活した。

カテゴリー: 瞑想 | コメントする

座長 1

26、27日と都内の大学で「国際生命情報科学会」が行なわれた。現在の西洋科学では理解できないが、しかし厳然として存在する生命と意識に関する現象を、ただ神秘だというだけでなく科学的に検討・究明しようという学会である。現在、世界10カ国に会員を有し、8カ国に情報センターを持っている。
初日の午後は、シンポジウム『経絡・経穴に実体はあるか?』が行なわれた。
経穴とは、中国医学のいういわゆるツボであり、経絡はそれらを結び合わせる経路であると説明される。数千年も前からある概念だが、その実体は今日もなお、科学的に充分解明されたとはいえない。
ところが、経絡と経穴には、これに相当する解剖学的実体があるし、実際にそれを検出・分析したと主張してきた韓国の学者グループがいる。
彼らのなかの指導的な学者を迎え、いや、それらは機能として存在するだけで、対応する組織があるわけではないとする日本の学者、さらに経絡・経穴という概念は幻想にすぎないとまで言い切る学者を交え、喧々諤々の議論になった。

カテゴリー: 医学・科学 | コメントする

座長 2

シンポジウムに予定されたのは、午後1時から6時までと異例の長時間であった。
ところが、それでも議論は尽きることがなく、日本語、英語、韓国語が交互に飛び交うありさまで収拾がつかない。日・英・韓を操ることのできる通訳者は一人しかおらず、途中で疲れてしまった彼は英語の通訳をしなくなったので(無理もない……)、可哀相な座長は通訳と進行、議論の整理のすべてを兼ねることとなってしまった。
株式会社ライトフィールド社長である池田明子氏のご主人は梅沢劇団・副座長であるが、科学の世界の座長はそれとは少し性格が異なる。学会の座長は、口演者の紹介に始まり、時間配分、質疑応答の割り振り、議論の整理、ときには通訳等々、学会口演のすべてを仕切る。
結局、時間を大幅にオーバーして、5時間半を費やした議論を終了したが、その後もここそこで局地戦が戦われた。
……が、その頃には、私はすっかり疲れてしまっていた。不覚にも、この長時間シンポジウムの座長を引き受けてしまったのが、私だったのだ。

カテゴリー: 医学・科学 | コメントする

座長 3

翌27日は、西洋科学と東洋哲学の現状と未来について、一時間程度の講演をした。
会場には、医学、物理学、化学、哲学等々、さまざまな分野の専門家がおり、それぞれに一癖も二癖もありそうである(失礼……)。
うかつなことを発言すれば揚げ足をとられかねないので、普段にも増して慎重に講演を行なったが、最後には予期せぬ感謝状を学会からいただき、恐縮することとなってしまった。
懇親会で、やっと解放感に浸りながら果物に手を出していると、自ら物理学者であり、学会事務局を兼ねるY君が話しかけてきた。
「災難でしたね……」
大混乱に陥ったシンポジウムのことである。
「それにしても、こうして座長をやっていただいたり、講演していただいたりするのも、あのとき、ボクと出会ったのがきっかけでしたよね」

カテゴリー: 医学・科学 | コメントする

座長 4

記憶をたどってみると、たしかにそうだった。
三年ほど前の冬、インドから帰った翌日、たまったFaxを整理していると、ベストセラー『神々の指紋』の訳で知られる翻訳家・大地舜さんのセミナーのご招待状があった。見れば日付けは当日で、返答の締め切りはとっくに過ぎていた。が、それでも電話してみると、意外にもお待ちしていますという返事が返ってきた。
その夜、セミナーの間に私はインド文化に関する発言をしたが、たまたまこれを前の席で聞いていたのがY君だった。私の読者でもあった彼は、国際生命情報科学会の事務局を兼任しており、研究室に遊びに来るよう誘ってくれた。
それから芋づる式に、国会議員で構成する『人間サイエンスの会』や、国際生命情報科学会での講演が決まっていき、未知の領域の研究……ならぬ、未知の領域の人びとにも出会うこととなっていった。人と人との出会いとは、常にそうしたものである。
そんなことを思い返していると、Y君は果物を頬張りながら、嬉しそうに言った。
「あの会でお会いしたのが、先生の運の尽きでした……」

カテゴリー: 医学・科学 | コメントする

座長 5

懇親会の後、今度は佐古曜一郎さんが待っていた。佐古さんは、かつてソニーの井深さんの肝入りで始まったエスパー研の室長で、何冊かの著書もある。冬には半袖のTシャツで、夏には長袖のセーターで学会に現れるのは、エスパー(超人)研究の賜物だという説を聞いた。
彼はまた、アルコール飲料の研究家でもあり、獲物を捕捉しては二次会、三次会へと送り込む。お酒の飲めない私は餌食にならないようにと心がけたが、彼に腕をひっつかまれて、何年ぶりかの飲み屋に入った。
そこにはすでに、韓国の研究者や中国からの学者もいて、日本料理と日本酒をいただきながら、英語で冗談を言い合っていた。
中国人の学者さんは気功の話で盛り上がり、まだあどけなさの残る韓国の女子大生は、「ヨンサマ(と彼女は言った)はあまりスキじゃない。イ・ビョンホンのほうがいい」などと語り、合間あいまに科学や哲学論が交わされている。
幸せかもしれない……そう思った。政治のレベルではぎくしゃくしている国の学者たちとも、下らない冗談を言い合うような場が持てる。それに何より、自由に科学ができる。
人類の歴史上、それほどなかったに違いない、このような幸せな時代がいつまでも続いたらいい。(座長は大変だったが……。)そんなことを思う、二日間の学会だった。

カテゴリー: 医学・科学 | コメントする

心中 1

かつて東大に、上村勝彦先生という、サンスクリット詩学の大家がいた。この先生が助教授に着任された頃、ある出版社から一つの依頼があった。
「インドの大叙事詩『マハーバーラタ』の全訳をお願いできませんか」
太古の大叙事詩として知られる『マハーバーラタ』は、全10万詩節、20万行になんなんとする大作である。同じく大叙事詩といわれるホメロスが併せて2万7000行余にすぎないことを思えば、その大部ぶりを想像できる。
そこで先生は考えた。これから毎日10詩節を訳せば、1万日かかる。毎年300日をこの仕事に費やすとして、30年余り。
しかし、英訳からならまだしも、サンスクリットの詩を毎日10詩節訳すとなると、他に自由な時間はなくなるだろう。年間300日をこれに費やすのも、実際には不可能だ。
だがもし、毎日20詩節、30詩節を訳すことができれば、その半分、1/3の時間でできるかもしれない……。

カテゴリー: 人生 | コメントする

心中 2

かつて『マハーバーラタ』の英訳者van Buitenenは、わずか3冊を出したところで亡くなった。
『マハーバーラタ』と並び称せられる、しかし量的にははるかに少ない『ラーマーヤナ』を訳し始めた岩本裕先生は、2冊を出したところで他界された。
この仕事にかかりきりになれば、死ぬまで他の仕事はほとんどできない。つまり、心中することになるのである。
ところが上村先生は、この仕事に着手することを決意する。四十代という年齢のなせるわざだったかもしれない。だが、なんといっても、『マハーバーラタ』ならば心中の相手として不足はない……という気持ちが、その決断をさせたのに違いない。
そうしてどうなったか……。予定された全11巻のうち、第7巻を出されて、亡くなられたのである。
新聞紙上で先生の訃報に接したときの驚きを、私は今も覚えている。やはり『マハーバーラタ』と心中されたか……。
だが、気の毒だとは思わなかった。むしろ、なんと幸せな人生であったろうと、勝手に想像した。こういう生きざまを、わが国では「男子の本懐」と呼ぶのである。

カテゴリー: 人生 | コメントする

心中 3

<プレマ・セミナー>では、数カ月前から、『マハーバーラタ』のなかでも東洋の聖書といわれる『バガヴァッド・ギーター』の解説を始めている。
現在、3回のセミナーを経て、第一章詩節三まで進んだ。毎回、古典でありながら、現代の人生に応用できるあらゆるトピックが現れるので面白くて仕方がないという有り難いお便りをいただいたりするが、実は誰より、私自身がそう感じているのである。
それにしても、3回かかって詩節が3つ。このままでは、センセーも死んでしまうと思われるかもしれない。しかし、心配はいらない。
これまでは全体像のおおまかな説明をしてきたので時間がかかったが、これから物語は実際にアルジュナが悩み苦しむという本編に入り、加速していく。
西洋の聖書を説く者は日本にも数多くいるが、東洋の聖書を語らせてもらえる者は少ない。そのための準備は毎回、小説書きと同じように「楽し苦しい」作業となるが、訳出をされた諸先生方も同じような感じだったのではなかろうか。
それより、ちょうど上村先生が訳出に没頭されたのと同じ年頃となり、先人が、文字通り命を賭して残してくれた業績のおかげでこのようなセミナーが持てることの幸せを、私もかみしめているところである。

カテゴリー: 人生 | コメントする

天災

年末も押し迫った12月29日、夜の10時近くであったろうか、突然一本の電話がかかってきた。
「谷奥です……」
いつも柔らかな物腰で、謙虚なその声に、この日は心なしか元気がなかった。
「実は、これからスリ・ランカに行ってきます」
大陸旅遊の谷奥社長とは、すでに二年越しのプロジェクトが進んでいた。スリ・ランカで仏教やヒンドゥ教の壮大な遺跡を訪ね、全員がアーユルヴェーダのマッサージを体験し、象の孤児院で授乳や水浴びの様子を見、なおかつスリ・ランカの絶品料理を堪能する、という旅行を計画していたのである。
彼はそのためにあらゆる情報を仕入れ、サービスで世界一のシンガポール航空の席を確保し、おまけにシンガポールでの乗り継ぎ時間ではクルージングまで楽しめるようにして手配してくれていた。
(完璧だ……)確信をもって、旅行のご案内をホームページにアップした。そんなとき、スマトラ沖地震がやって来た。

カテゴリー: 大いなる生命とこころの旅 | コメントする