逝去

日本時間の3日未明、ローマ法王ヨハネ・パウロ2世が世を去った。84歳、教会史にとどまらず、世界の歴史に名を残す法王だった。
11世紀に分裂した東方正教会との和解を図り、16世紀の宗教改革で分かれたプロテスタント諸派とここまで本気で対話を重ねた法王が、いままでにいただろうか。
中世紀の異端審問や、ガリレオ・ガリレイの破門が過ちであったと赦しを乞うようなローマ法王が、いまだかつていただろうか。
彼は戒厳令下の83年に祖国ポーランドへ戻り、弾圧されていた自主管理労組「連帯」を支持した。
結果、ソ連は確実に崩壊に向けて歩み出すこととなったが、世界政治にこれほど具体的かつ肯定的な影響を与えた法王がいただろうか。かつてのローマ法王たちは、領土と財産、ときには子孫を増やすことに血道を挙げていたというのに。
ローマ法王は今後も立つだろう。それぞれに魅力的な法王が立つだろう。しかし、他ならぬこのローマ法王を見ておいてほしいと思い、ヨーロッパの巡礼の旅に法王謁見を入れたのは間違いではなかった。
そして実際に謁見することができたことを、今となっては感謝するばかりである。
040503-1

若かりし日のカロル・ボイティワ
(後のローマ法王ヨハネ・パウロ2世)
050403-2

慈父

カテゴリー: キリスト教 | コメントする

法王 1

先日の<瞑想くらぶ>で、ある方から突然、ローマ法王ヨハネ・パウロ2世の健康状態に関するご質問をいただいた。質問者は、飄々とされてはいるが鋭く、内面の豊かな男性の方である。
現法王の体調がすぐれないとは、最近日本でも報道されていた。1978年の就任以来、欠かしたことのない復活祭のメッセージも、側近の制止を振り切って自ら発しようとしたものの、声にならなかったと伝えられている。
しかしだからと言って、急に今、ローマ法王の健康がわが国で関心があろうとは思っていなかったので、私はある意味、この質問に意外な感を得たのである。
現ローマ法王ヨハネ・パウロ2世は、就任して3年目の初夏、謁見中に撃たれて重症を負った。そのとき、わずかなところで弾は致命傷とならずに済んだのであるが、「聖母が手を添えて、弾道を逸らせてくれた」と、後に述懐している。
それがファティマの聖母の記念日であったことは、おそらく偶然ではなかっただろう。法王自身、はっきりとそう言っている。

カテゴリー: キリスト教 | コメントする

法王 2

そのとき、法王が負った肉体の傷が完全に癒えることは、遂になかったと伝えられている。そうして、「犯人を許す」との談話を発表したものの、法王自身は病身の身へと転じていった。
その法王の危篤が伝えられたのは、質問を受けた3日後だった。今回のも健康上の波の一つと高をくくっていた私も、決して楽観できる状況でなくなっていることを知り、驚いた。
ヨハネ・パウロ2世には、『大いなる生命と心のたび』でも、何度か謁見に拝した。カトリック教会の歴史上、偉大な足跡を残しつつある現法王が謁見可能な間に皆さんをお連れしたいという気持ちがなかったと言えば嘘になる。が、実際不測の事態が現実味を帯びてくると、なんとかふたたび回復していただきたいという気持ちが募る。
法王の故郷ポーランドを始め、現在、世界中で祈りが捧げられている。

カテゴリー: キリスト教 | コメントする

法王 3

ところで、来る4月17日は、通常の<プレマ・セミナー>の後で、日頃の感謝を込め、皆さんで映画『ブラザーサン・シスタームーン』を鑑賞する。
アッシジの聖者フランシスコは、当時のローマ法王庁にも大きな影響を与えた。映画のなかでもそのことが描かれている。もしも時間が許せば、現ローマ法王と微かではあっても、しかし深く触れ合うことのできた思い出についても語ってみたいと思っている。
そうして6月、ヨーロッパの最も美しい季節、われわれがローマに行く頃にはどうかご体調を回復されていることを祈っている。

カテゴリー: キリスト教 | コメントする

復活 1

春分の日が過ぎて最初の満月の後の日曜日は、キリスト教では復活祭と定められている。人類の罪を背負って十字架に架かったイエスが、死に打ち勝って復活したことを祝う日。クリスマス以上の大祝日である。
この日、瞑想者の一人Uさんが洗礼を受けた。
彼女は子供の頃から、霊的な存在に守られた人だ。瞑想をお教えしたその日、「よく教えを守ってきましたね」と、その存在からの声を聞いた。全身を包むような、温かい声……。子供の頃以来のことで、彼女自身、驚いたという。
その後、速やかな意識深化の進むなか、自然な流れとして、彼女は聖母マリアを最も敬愛するローマ・カトリックの洗礼を受けることとなった。洗礼名はガブリエラ。まだ少女であったろうマリアに、神の子の懐妊を告げた大天使である。
この日は彼女にとって、イエスやマリアとの絆をふたたび結び合わせるという意味での、まさに復活の日であった。

カテゴリー: 瞑想 | コメントする

復活 2

この日の予定が決まってから、さまざまなことがあった。
たまたま、もう一人の方が同じ日に別の教会で洗礼を受けることを希望しておられた。敬虔で、神々に愛されているこの方の洗礼にも、私は必ず立ち会う。代父になることが決まっているからだ。
この復活祭の日に先約があることを知ったこの人は、しかし、迷うことなく言った。
「私のほうは後で結構なのです。私は時期を待ちますから」
こうして、申し訳なくもこの方の洗礼は先のばしとなったが、その日にはふたたび、神さまが恩寵を垂れてくださるに違いない。

カテゴリー: 瞑想 | コメントする

復活 3

ところで、これに先立つ3月19日、第14期の瞑想講座を一人の青年が受講していた。限りなく優しい風貌をした彼は、名を大山利幸君という。
元柔道チャンピオン。全日本サンボ選手権を4度にわたって制するなど、輝かしい経歴を経てプロの格闘家となった。アメリカでのプロ転向初戦、一ラウンド17秒、彼は自分より30キロも重い相手を右の一撃で倒し、デビューを飾った。リングネームは大山峻護。業界では「大和魂の継承者」と呼ばれ、知られている。
しかし日本での初戦では、不敗の王者シウバの猛ラッシュの前に敗れ、その後には右目の網膜剥離を経験した。手術後、長期の休養を余儀なくされたが、グレイシー柔術のヘンゾ・グレイシーを敗って復帰を遂げる。
次の戦いで、復讐を誓うグレイシー弟と対戦したとき、右腕を決められたものの、彼は「ギブアップ」しなかった。彼には自ら諦めるという選択肢がないのだ。結果、右腕関節を脱臼骨折。その後、今度は左目を網膜剥離し、今回の試合が、まさに復活をかけた一戦だった。

カテゴリー: 瞑想 | コメントする

復活 4

戦いは、26日の埼玉スーパーアリーナ。相手は、「地獄の野獣」などと呼ばれる強豪ヴァレンタイン・オーフレーム。背中いっぱいに入れ墨をして、大山君より二回りほども大きい。ボクシングだったら、相手にならない体格差だ。
思えば、試合直前の調整期、彼は瞑想講座を受けに来ていたことになる。何ら特別な要求もしない。面談順を早めてくれとも言わない。三日間、彼は【意識の科学】にどっぷり浸かっていった。
しかし私には、一つの不安があった。実に、彼の瞑想の体験がとてもよかったのだ。最初からこんなに深く瞑想に入れるとは思わなかったと、彼自身が言う。
深い安らぎと、自らの内側の英知に触れて、もしかしたら彼は「格闘」というものに対する情熱を失い始めはしないかと、私は密かに思ったのである。実は、かつてボクシングをしていた私自身がそうだった。
 この日、晴れの復帰試合に、彼は私を招待してくれるという。……が、これもお断りした。私はこの日、復活祭のミサに出て、祈る。祈りの力が大山君に届くと、私は信じているのだ。

カテゴリー: 瞑想 | コメントする

復活 5

さらにこの日、もう一人の友人の試合があった。
後楽園ホールでのメーンイベント。大仁田厚・矢口壹琅組 VS 天龍・越中組、ノーロープ、床に有刺鉄線を張りめぐらしての時間無制限デスマッチだという。大仁田の引退試合になるというこの一戦をタッグで戦う矢口壹琅君が、誘ってくれたのだ。
なぜ、神さまはかくも多くの誘惑を送られるのか……。これも涙を呑んでご辞退。
こうして、復活をかけたすべての戦いが、同じ日、同じ時間帯にセットされた。

カテゴリー: 瞑想 | コメントする

復活 6

洗礼式は、復活前夜祭のミサの間に、厳かに行なわれた。
『天地の創造主、全能の神である父を信じますか……。
父の一人子、乙女マリアから生まれ、苦しみを受けて葬られ、死者のうちから復活した主イエス・キリストを信じますか……。
聖霊を信じ、聖なる普遍の教会、永遠の生命を信じますか……』
それらの質問に答えた後、受洗者の額に司祭の手から水がかけられる。
『われ、父と子と聖霊の御名によりて、汝に洗礼を授く……』
こうして、聖なる教会の一員となった彼女は、幼い頃から身近に感じていたイエスやマリアとの絆を、教会において公に復活させた。
同じ頃、後楽園ホールでは矢口壹琅が、埼玉スーパーアリーナでは大山峻護が戦っていた。矢口は流血の大熱戦を戦い、大山は身長で10センチ、体重で20キロほども違うであろう相手と五分に組み合い、あっという間に関節を決めた。
時間にして1分半。圧勝だった。

カテゴリー: スポーツ | コメントする