礎石 5

シモンはがさつな男ではあったが、骨太で、純朴であったろう様子が、聖書のさまざまな箇所で垣間見える。イエスに心寄せる者のなかには、教養があったり、金持ちであったりした者はいくらもいただろうに、イエスはこのシモンをそばに置いた。
そうしてあるとき、イエスは言う。
『おまえはペトロである。わたしはこの岩の上に、わたしの教会を建てる。地獄の門も、これに打ち勝つことはないであろう』
ペトロとは、ラテン語で岩を意味する。ペトロという堅牢な岩の上に、イエスは自分の教会を建てると宣言した。ここから、名実ともにペトロがイエスの一番弟子であり、その後継者が教会の首長であるという解釈が生まれた。
ちなみに、ペトロは晩年、ローマへ布教に赴き、そこで殉教している。このことから、彼が初代のローマ司教(司祭たちを束ね、一定の地域の布教を司る責任者)とされた。その後継者は、依然、ローマ司教であるが、特にローマ法王と呼ばれ、カトリック教会全体の首長と見なされる。
その265人目の法王を選ぶ選挙は、日本時間の今朝0時、バチカンで始まった。

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礎石 4

昨年の5月、マザー・テレサの修道会に入った知人の誓願式で、その誓願の言葉の美しさに、私は心洗われる気持ちだった。立願者たちは、こう言ったのである。
「主よ、あなたが私を選ばれました……」
聖書のなかで、イエスは言っている。
『あなた方が私を選んだのではない。私があなた方を選んだ』(ヨハネ15・16)
『あなた方は、この世のものではない。私があなた方を選んで、この世から取り去った』(同 15・19)
魚でいっぱいになり、沈みそうな舟のなかで、シモンは、もしこの人と関わりを持つならば、自分はこれまでのような普通の人生を歩んでいくことはできなくなると強く感じていたに違いない。
だからこそ、「どうか私から離れてください!」と叫んだのだが、そう言いながら、実はもうシモンの心はイエスに捉えられていた。
見透かしたかのように、イエスが言う。
『恐れることはない。あなたを、人を漁(すなど)る漁師にしてあげよう』
中東の片田舎で漁師をしていた、純朴でがさつ、教養のない男が、歴史に名を留める大聖人となったきっかけは、こんなふうだった。

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礎石 3

イエスは、シモンを弟子にするにあたり、他の華々しい(?)奇跡を見せることもできたに違いない。だが、プロの漁師が一晩中漁をして何も獲れなかったのに、一転、大漁となったときの感覚が、シモンにとっては何にも増して確かなものだったのかもしれない。
イエスの超越性を見せつけられたシモンは、しかし同時に、自らが普通の、罪にまみれた人間であることを自覚していた。そこで、どうかあなたのような方は私からお離れになってください、という言葉が出た。
ここにシモンという男の、神的なものに対する畏怖の念が垣間見える。イエスが一介の漁師を自分の一番弟子にするにあたり、そのような純朴なところを愛でたであろうことは容易に想像がつく。
神聖な存在に対する畏怖の念は、すっかり悟りを啓いてしまうまでは、人間としてある程度必要なものなのかもしれないと、ときどき思うことがある。
瞑想講座の初日、瞑想で用いる神聖な音(マントラ)をお教えするわけであるが、この音や瞑想の方法に対して皆さんがそれぞれに厳粛な思いを持っておられることが伝わってくるとき、教える側もまた、心からよかったと思うのである。

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礎石 2

シモンという名のこの男は、ガリラヤ湖畔に住む漁師であった。ある日、一晩中漁をして魚一匹獲れなかった彼は、舟をおり、網を洗っていた。そこにイエスが通りかかり、乗り込むと、岸を少し離れたところから教えを述べ伝えた。
それが終わるとイエスは、舟をもっと沖に出し、網を下ろすようにとシモンに言った。だが、シモンは気乗りしなかった。彼らは一晩中働いて、何も獲れなかった。その上、もう網も洗ったのだ。
しかしイエスの言葉には、柔らかでいて有無を言わせぬものがあったのだろうか、ともかくもシモンは網を海に入れ、すぐに引き上げようとした。が、そのとき、シモンの手に電流が走った。大量の魚で、網は破れそうだった。
シモンはすぐさま、他の舟に応援を頼むしかなかった。魚は二艘の舟にいっぱいとなり、なお、舟は沈みそうだった。
このときのシモンの言葉を、4人の福音史家のうち、ルカだけが克明に伝えている。
シモンは、イエスに礼を述べたわけではない。感心してみせたわけでもない。イエスの足元にひれ伏すや、「私は罪人です。どうか、私から離れてください!」と叫んだのである。

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礎石 1

亡くなったヨハネ・パウロ2世が264代、在位33日で亡くなり、バチカンの高官により毒殺されたと一部で信じられているヨハネ・パウロ1世が263代、不眠症に苦しみながらも第二バチカン公会議をまとめた謹厳な学者法王パウロ6世が262代、第二バチカン公会議を招集し、教会の近代化を打ち出した聖人法王が261代、11カ国語を操り、申し分のない人格者であったにもかかわらず、在位中に第二次大戦が勃発、ユダヤ人を積極的に保護しなかった責任を歴史に問われている悲劇の法王ピオ12世が第260代、ファティマにご出現になった聖母マリアが、いまだ存在しないその名を口にされ、人類が悔い改めないならばその在位のおわりに第一次大戦よりももっと大きな戦争が起きると預言されたピオ11世が第259代……
とずっと遡っていったとき、初代のローマ法王は誰だったか。
実は初代ローマ法王は、もともと聖職者ではなかった。

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組織

亡くなったヨハネ・パウロ2世は、第264代ローマ法王と呼ばれている。だが、彼が果して本当は何人目のローマ法王であるかは、微妙な話だ。
なぜなら、歴代ローマ法王のなかには、殺人や姦通罪で罷免された者や、女性であったと噂される者がいて、彼(?)らをローマ法王として勘定に入れるかどうかという問題になるからである。
だが、そんなことを言っていると、莫大な資金を投入して法王位を買い取った者や、親戚の法王からお金で法王位を譲り受けた者など、次々とグレーゾーンは拡がり、収拾がつかなくなるので、総じてヨハネ・パウロ2世で264代であるとされている。
いかなる宗教にも、大なり小なりそのような歴史がある。人間が組織を創り、利権や権力が発生する以上、腐敗もまた起きてくる。そうして消えていった新興宗教は、歴史上、無数にあるだろう。
それでもキリスト教が、そのような時期を乗り越え、世界の人びとに対して慈善的な事業を行なうことができているのは、キリスト教がそのなかに、どのようにしても打ち消し難い真実を含むからに違いない。

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葬儀 2

二千年の歴史を持つローマ・カトリックの様式に基づく葬儀は荘厳で、長く記憶に残るものとなった。
先日、15期で瞑想を習った生徒さんが、瞑想中に体験した恍惚感というものについて、「未だかつて経験したどんな歓びや恍惚にもまして、その100倍も強烈なものだった」と言われたが、そうした経験のことをもし知らなければ、このような儀式によって経験する感動は他に類がない、と私は言ったかもしれない。いずれにしても、それは地上で最も美しい宗教だと、私は思ったものである。
しかしこの日、それと同じように印象深かったことがもう一つある。それは、2時間以上にもわたる式の間、皇太子がほとんど身じろぎ一つしなかったことだった。それには、ただただ驚くほかはなかった。
そのように厳しく教育、または訓練されてきたのは、誰のためか。皇室のためともいえようが、しかしわれわれ国民のためでもある。
日本国の象徴である天皇と、その後継者は、われわれ国民の品位を高め、これを汚さぬため、あのような教育を受けておられるのだと思った。もう30年近く前のことである。

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葬儀 1

今から27年前、パウロ6世という偉大な法王が亡くなられた。不眠症に苦しみ、謹厳な顔つきで、あまり一般に親しまれた方ではなかったが、しかしまぎれもなく、この法王は偉大であった。
その前のヨハネ23世と、このパウロ6世の名にあやかって、この後に選出された方はヨハネ・パウロ1世を名乗られた。
そして、わずか33日の在位で亡くなったヨハネ・パウロ1世の名にあやかり、今回亡くなった法王はヨハネ・パウロ2世を名乗ったのだった。(最近、日本のマスコミ関係者や政治家のなかに、何とこの名前を省略してパウロ2世と呼ぶ人がいて驚愕した。ジョージ・ブッシュを省略してブッシュと言ってもよいが、パウロ2世という名の法王は、歴史上、別にいる。)
パウロ6世が亡くなったとき、私は日本での葬儀に参列した。
場所は東京大司教座・聖マリア大聖堂。東京に出て来て2年目で、右も左も分からぬ頃だった。
着いたときにはすでに“立ち見”状態で、2時間以上の葬儀を立って参列かと思っていたとき、関係者がやってきて、われわれを前方に導いた。たくさんの招待席が、空席のまま残っていたのだ。
するとすぐに、全員の起立を促す声がした。追悼ミサの始まりではない。皇太子殿下が到着されたのだった。(昭和)天皇の名代として来た皇太子は、最前列席の前に設けられた席に着かれた。私の位置からわずか数メートルの場所に、今の天皇がいた。

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破局 6

 今朝方、そして夕方、東京ではかなりの地震があった。そんなときにはドキリとし、イエスの次のような言葉を思い出す。
『洪水の前、ノアが方舟に入るその日まで、
 人びとは飲み、食い、娶り、嫁ぎなどし、
 洪水が来てすべてを滅ぼすまで何も知らなかった。
 人の子の来臨もそれと同じである。
 そのとき、二人の男が畑にいたら、
 一人が取られ、一人が残される。
 二人の女が臼をひいていたら、
 一人が取られ、一人が残される。
 警戒せよ、主がいつの日来られるかは、だれも知らぬ。
 あなた方にも分かることだが、
 主人が盗人の来る時間を知っていれば警戒し、
 住まいの壁に穴をあけさせはすまい。
 あなた方も、思わぬときに来る人の子のために、
 用意をしているがよい』      
 (マタイ 24・38〜44)
 人生において、われわれは常に大小さまざまな破局に遭遇しながら、その都度、意識が変革されていく。より自分のダルマに従った生き方をしている人には、それは基本的に心地よい変化であるだろう。
 よりダルマに従わない生き方をしている人には、その多くは苦しい変化であるかもしれない。そもそも、なぜ瞑想をお教えすることになったかといえば、私も含め、ご縁ある人びとと、なんとかより前者に近い生き方をしていきたいと思うからである。
 天地は、いずれにしても過ぎ去る。過ぎ去らないものを、早く、スムーズに自分のものにしたいのである。

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破局 5

『天地は過ぎ去る。だが、わたしの言葉は過ぎ去らぬ』
過ぎ去らぬというイエスの言葉とは、カトリック教会のことではないだろう。
カトリック教会のうち、当然、建物は過ぎてゆくだろう。過ぎ去らないモノは、この世の中に存在しない。
 教会の枠組みや、ヒエラルキー組織も過ぎるだろう。永遠に続く組織など、存在しようはずもない。
そして教義すらも、過ぎゆくだろう。真理そのもの以外に、過ぎてゆかない仮説も、理論もあり得ない。
しかし、仮にそのようなことがすべて起きたとしても、イエスの言葉、イエスの教えの精髄が過ぎ去ることはないだろう。イエスの説いた『愛』の崇高さは、ローマ・カトリック教会の盛衰とはまったく別に、過ぎ去ることはないだろう。
ちょうど、ユダヤ教がそうであった。ユダヤ教の形式は、世界宗教としては、過去のものになったといってよい。だが、イエスはその精神を引き継ぎ、人類に精神的革新をもたらしたのであった。

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