私の系譜 5

中学の頃から貧しい思いをした父は、基本的に食べ物の好き嫌いがない。
健康な、強い歯をしていて、何でも美味しそうに食べるのだが、
そんな父にも、私の知る限りただ一つ、食べられないものがある。
それは「鯨」だ。
鯨肉は、食べてみるときわめて美味で、
動物愛護の皆さんには怒られるだろうが、
しかし長い時代にわたり、日本人の貴重なタンパク源の一つであった。
父は海軍時代、食べられるものが鯨肉しかなかったときがあったらしく、
大きく揺れる船上で、吐きそうになりながら、
しかし生命を維持するために必死でこれを口に入れた。
そうして、戦争が終わってみると、二度と食べることができなくなったという。
ちなみに、戦時中、南方を転戦した父は、
終戦後、現在に至る70年近くの間、なんと一度も海外に出ていない。
わが家では、父も母も、パスポートというものをもったことがなく、
楽しみのために、ゆったり、のんびり旅行したこともないだろう。
子供の頃、兄にせがまれて旅に出たことはあったが、
自宅に帰り着くなり……

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私の系譜 4

昭和16年の開戦の年、父は22、3才の健康な男子だったので、
おそらくはそのずっと前から徴兵されていたことだろう。
戦争の想い出は、言葉にできないものが多々あったに違いないが、
そのような話を本人が自らしたことは一度もない。
腰にある大きな傷については、拙著『アガスティアの葉』のなかでも触れたとおり、
その日、何かの加減が少しでも違っていれば、父の体全体が吹き飛んだり、
またはよくて重度の身障者となって帰国しただろう。
その場合はもちろん、
皆さんが私から瞑想を習ったり、【ギーター】の解説を聞いたり、
今、このようなブログを読んでいることにもならなかったが、
しかし予言の葉にははるか太古の昔から、私の両親が戦後結婚して、
ある日、ある時、ある惑星の配列の許、私が生まれることが書かれていたわけだから、
父があの戦争で重傷を負うことと同様、死なないことも、
聖者は知っていたとしか言いようがない。
その他にも、父には戦争で負った傷がさまざまにあった。
艦船が南方を航行中、激しい腹痛に襲われ、
盲腸だということでやむを得ずシンガポールに上陸したが……

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私の系譜 3

大正6年を西暦に直すと1917年に当たることに気づいたのは、
つい最近のことだ。
ファティマにご出現になった聖母マリアのことを今までどんなに解説しようと、
それが、父の生まれた年のこと、という感覚は皆無だった。
この年の5月13日、ポルトガルの寒村で、
3人の牧童が光輝く貴婦人を見た。
彼女は、これから毎月13日にこの同じ場所に来てくれるよう子供たちに望み、
そこからファティマのさまざまな奇跡が始まっていく。
その二度目のご出現の少し前、
広島県福山市の山あいの村に父は生まれた。
6人兄弟の末っ子で、生来、賢いと言われた少年は、
当時名門といわれた広島・修道中学に進学したが、
家は貧しかったので、充分な仕送りもなかったし、
大学進学など当然、夢物語だった。
当時の父にとっての、より現実的な夢は……

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私の系譜 2

3年前の夏、ヨーロッパ・アフリカの旅に出る前に、
私にはどうしても書いておきたいことが一つあった。
それは、当時民主党によって示されていたバラ色のマニフェストは、
決して実現することはないという事実だった。
友人のなかには、
「それでも、とにかく一度やらせてみたい」などと言う者が何人もいて、
それはそれなりに理解もできたが、
そうした結果支払うことになるであろう代償は、
我々国民の一人ひとりが負担することになるんだよ。
それは今、誰も想像できないくらい高くつくかもしれないよと、
私は必ずつけ加えた。
それらを示す根拠をまじめに文章にまとめ、
出発の前に順次掲載していく予定であったが、
しかしさすがに内容が政治的に過ぎるし、
だからといって自民党がいいと言っていると誤解されてもいけないと思ったので、
私はこれを見送り、そのままアフリカに発つことにした。
この判断は間違ってなかったのかもしれないが、しかし実際には……

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私の系譜 1

大正6年生まれの父は、今年6月、95歳の誕生日を迎えたが、
贈り物が届いたはずなのに、特に何の反応もなかったため、
どうしたのだろうと思っていた。
そのころ、父が体調を悪化させ、
それどころではなかったことを知ったのは、ずっと後になってからだ。
そんなとき、わが家の人間は、何も言わない。
家族に心配をかけるのが嫌なのだ。
いわゆる仲のよい家族を構成しておられる皆さんからは、
「家族って、そんなもんじゃないでしょう?」と言われるのは分かりきっているが……

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イブと恥骨

「『マダムと肋骨』シリーズ、とても面白かったです。
 でも、SHOさんのにはお応えできても、
 Pure Landさんのリクエストにはさすがに応えられないでしょう?」
読者の方からそんなメールを受け取ったのは、
26日、あの神聖なプージャが行なわれた翌日だった。。
このような挑戦、いや“挑発”は、やはり受けて立つしかあるまい。
しかもタイに行く前に。
そう思って出発の直前、筆をとった。
“恥骨”といえば、思いだすことは一つしかない。
昔、F原M彦先生と話していたとき、彼はこう言ったのだ。
「新婚時代、家内とプロレスごっこをしていて、
 骨折をしたのです。
 それは、人体のなかでは柔らかいほうの骨で、
 普通絶対に折れたりはせず……」
F先生といえば、作家・新田次郎のご子息にして、数学者。
『若き数学者のアメリカ』で作家デビューされ、
平成の大ベストセラー『国家の品格』の著者としても知られる。
これを聞いたときは、まだ『国家の……』をお書きになるはるか前であったが、
それにしてもあのような方が、たとえ新婚時代とはいえ、
プロレスごっこをしていて骨折された、しかもその箇所が……などと、
にわかには信じられなかった。
ちなみに、一方の当事者であるはずの奥さまは、やはり高名な科学者のご息女で、
才色兼備とはこのことかというような方である。
まさに人類の、女性の原型を彷彿とされる方だ。
こうして、今回のブログのタイトルが導出されるのであるが、
それにしても、どう考えても、現代の日本を代表する言論人と、
その美しい夫人が、新婚時代とはいえ、プロレス……。
それはきっと、私の空耳だったのかもしれない。
私は、夢でも見ていたのかもしれない。
いや、そうに違いないと思う、今日この頃なのである。
ちなみに、このタイトルでブログを書いてほしいとコメントされたPure Landさんご自身、
実に……

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マダムと肋骨 6

骨折後、確かにゆったりしていたわけではなかった。
いつも重そうに見えるリュックを持ってはいる。
しかし、少々無理をしたり、リュックを持っているからと言って、
二本目が折れるわけでもないだろう。
そう思ったが、しかしこの医師の無邪気で人のよいさまや、
ひょっとして本当は重いんじゃないかとリュックを持ち上げてみる看護師の素直さは、
あらゆる論理を差し挟む余地を与えず、私を包み込むに充分だった。
そして秘かに納得もした。
こんなふうだから、お年寄りの患者さんがたくさんくるのだと。
タイ旅行を目前に控え、
こうして傷口は、むしろ拡大したかのように見える。
しかし、大丈夫だ。
タイの仏たちが私たちを待ってくれている。
そう、そうに決まっている。
その証拠に、医師が「アレ、二カ所折れてたんだ……」と声を挙げたとき、
私が唖然としていると、周囲に付き従っている看護師の皆さんが、
--全員が年輩の女性であるが--
一斉に私のほうを見て微笑んだのであった。
少なくとも私には、そう見えた。
ずらりと並んだその笑顔を見たとき……

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マダムと肋骨 5

「二カ所だったんだ……ふ〜〜〜ん……」
(ふ〜〜〜ん……とか言っちゃって、納得しないでほしい)と、私は思った。
痛むのは二カ所だと、最初から言っていたのだ。
しかし医師は、悪びれるでもなく、むしろ楽しげにすら見えた。
まるで、パズルが解けてはしゃぐ少年のようなその様をみると
私も少々気が抜けてしまったが、彼はこちらをキョロリと見て言った。
「青山さん、ひょっとしてあなた……」
「ハイ……?」
「無理をしたでしょ?」
「え……」
相手の弱みを的確についたと思ったのか、
医師は、私の普段持っている黒のリュックを指さして言った。
「たとえばあのカバン、重いんでしょう??」
「い、いえ、そうでもないと……」
たまたま、普段入れているような本や書類、水は置いてきていた。
だから、重くないと私が言っているのに……

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マダムと肋骨 4

長期の夏休みが終わり、医院は患者でごった返していた。
夕方、私の番が来るまでには医師は疲れ切っていそうだったので、私は、
「先生、さぞやお疲れでしょう」と、
二週間になんなんとする夏休みをとったばかりの医師に声をかけた。
現状を切り出すのにはいささか躊躇せざるを得なかったが、
しかしそのために来たのである。なんとか気力を振り絞り、
「実はまだ、胸が痛いんですけど……」
と切り出すと、案の定、医師は意外そうな目で私を見た。
「え……? もう3カ月近くになりますがねぇ……」
「ええ、でもまだ、痛むんです」
そう言うと、医師は私の胸を触ったり、深呼吸させたりしていたが、
「あの……レントゲン、撮らせてもらっていいですか?」
と、申し訳なさそうに言った。
前回、被爆を恐れて、私がこれを延期してもらったからだ。
しかし、今回はそうも言っていられない。
レントゲンが撮れてきて、
目の前にかざしてみると、医師は思わず、
「アレ……アレアレアレ〜〜〜」と声を出した。
以前、きれいに折れていたその部分は、
画像としてはモヤモヤしてよく分からない状態になっていて、
まだつながっていないことが素人目にも見てとれた。
やはり、いろいろ出歩いたのがよくなかったのか……。
しかし、医師が声をあげたのは……

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マダムと肋骨 3

今回、四国から広島、京都・奈良方面を回ればそのまま東京に戻れると思っていた私は、
考えが甘いことが後に判明した。
出発の直前になって、善光寺に行くようにという予言が出てきたのである。
“Zenkoji”という音が、タミルの古い文字で書かれているそうで、
読み手のほうは、それがどのあたりにある、どのような寺なのかはもちろん知らない。
ただ、少し前、長野からおいでになった方について、
『あなたの近くに瞑想の師が近々行くことになるので……』
という記述があったので、そのことだと説明した。
長野訪問と善光寺参拝は、忘れ得ない巡礼となったが今回は割愛し、
ともかくも名古屋から長野を経由して東京に戻ったのが20日の深夜、
翌日、ふたたび広島に行くようにという指示があり、
22日の深夜にふたたび帰京した。
行く先々で骨の具合を聞かれ、
しかしその度、よい返事ができないので、
さすがに私も不安になってきていた。
が、いずれにしても、病院に行くことはできない。
あの飄々とした医師が、なんと……

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