学会 2

世界保健機関(WHO)後援の学会を寝過ごしそうになった私も、講演自体はお手の物……のはずであった。
が、20分だと思っていた講演時間は、当日の朝、15分と訂正され、座長による演者紹介の際には10分とアナウンスされて度肝を抜かれた。
内容的には、普通に話せば少なくとも2時間はかかる、現代科学と東洋哲学の話だったので、これを10分でまとめるのは至難の業であったが、講演後のディスカッションを長くとるためであると説明された。
こんなときに使う一つの手は、本来なら具体例を挙げながら説明する概念も、専門用語で言い切ってしまうことだ。
たとえば、「指数関数的膨張」と「永久インフレーション」、「アインシュタインの局所性」と「実在の不可分性」を具体的に説明すればそれなりに時間がかかるが、それを前提知識であるかのように言い切る。……ということで、なんとか講演を終え、その後の質問にも答えた私は、この日の仕事のすべてを終えたと信じていた。

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学会

日曜の朝、目が覚めたとき、時計が9時近くを指しているのを見て驚愕した。
前の夜何時に寝ようが、朝は6時から7時の間には必ず目覚めるので、私は目覚ましをセットするということがない。「便利ですね」といわれるが、決して便利ではない。寝不足の状態で、そのまま一日過ごすことになるからだ。
ところが、よりによってこの日に限って、私は9時まで眠ることができた。それもまた、決してよいことではなかった。この日は、朝10時から、学会で講演なのであった。
学会は、日本実存療法学会という。人間存在の真実を求めつつ、これを医療に応用しようとするもので、関係学会のなかでも最先端をいくといって過言ではない。この日の後援には、世界保健機関(WHO)がついていた。
会場に向う途中、適当なところで電車を降り、タクシーに乗ることを思いついたのは、不幸中の幸いだった。
間に合いそうだ……。そう思って車中で胸をなで下ろしていたとき、私は異様な事態に気づいた。
財布のなかに、お金がほとんどないのである。そういえば前の晩、不意の出費で現金を使い、この朝の慌ただしさのなかでは銀行に寄れようはずもなかった。
タクシー代は意外とかかり、出るときには最後のお札──一万円札ではなく、千円札!──が消えてなくなっていた。

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黄金週間 10

ルルドで聖母を見た少女ベルナデッタは、貧しいので学校にも行けず、教会で教えられるキリスト教の要理も覚えられなくて、愚鈍な少女だといわれ続けた。
ところが、彼女が洞窟の上に現れた光輝く貴婦人を見ているときの表情があまりに美しかったので、それを見ただけで、つまり水による奇跡が起き始める前から、この奇跡を多くの人びとが信じたといわれる。
あるとき、聖母を見て恍惚としている彼女の手に大きなロウソクの火が当たり、炎は彼女の指の隙間から上に昇っていた。
その状態でも、彼女の法悦状態は変わることがなく、後で調べてみても手には火傷の痕跡がなかった。当時、ルルドにおける数少ない科学者の一人であったドズース医師は、この様子をつぶさに目撃し、記録を警察に残している。
一時的な意識の変容においても、われわれの肉体は変わる。まして、恒常的な意識の進化においてはなおさらである。
そのようなことを縷々話していると、過酷な黄金生活を続ける彼は言った。
「ところで、マリア様を見た聖女の遺体は腐敗しなかったというが、本当なのか?」
「本当ですが……」
「こっちは……生きてるうちに腐敗が始まりそうだ」
 彼はそんなことを言っては、大笑いするのだった。

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黄金週間 9

来月巡礼に行くアッシジの聖フランシスコは、あるとき天使の来訪を受けた後、両手・両足と脇腹に聖痕を受けたことで知られるが、彼もまた、体を宙に浮かせることがあった。
「師、空高く上がり光まといたれば、これをしかと見ること能わざりき」
などと、修道僧らが記録している。
ヴェーダ聖典のなかにも、聖者の体が光り輝いていたという記述がある。
『肉体を持つ人間の苦行、学習、禁欲、誓戒、長寿の妨げとなる
  さまざまな病がこの世に現われ出たとき
 徳高き行ないの大聖仙たちは、衆生に対する同情のゆえに
  雪山の清らかな中腹に集った
 彼らは真理と勧戒と禁戒の器であり
  油を注がれた火のように、苦行の威光によって輝いていた』
       (チャラカ・サンヒター 総論の巻 1-6〜14)
洋の東西を問わず、天使や聖者の頭や背後に光輪が描かれるのは、偶然でもなければ単なる表現でもないだろう。そういうことが現実にあるのである。
それにしても、瞑想者の皆さんのさまざまに神秘な体験を聞いていると、こうした現象もそれほど信じ難いこととは思えなくなってくる。
瞑想を続けていると、必然的に、体もまた変化する。意識が深まっていく過程で、さまざまに目に見える現象がおきてくる人もいれば、おきない人もいるわけで、いずれにしてもわれわれは日々、淡々と仕事や瞑想を続けていればよいのである。

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黄金週間 8

体が浮くことを好まなかったアヴィラの聖テレジアは、ある意味、健全だったといえる。人が瞑想したり修道生活をしたりするのは、神秘現象を経験するためではないからだ。
しかし彼女がこうした現象を罪と思い、生涯、これに抵抗して多大な労力を費やしたと聞くにつけ、この道における「知識」というものの重要性があらためて思われる。
もしこの聖女に太古の科学知識の一かけらもあれば、彼女はこれを生涯気に病む必要はなかっただろう。太古の科学は、こうしたことが意識進化の一つの現れにすぎず、傲慢の罪でも、悪魔の仕業でもないことを告げる。
むろん、それは聖女の責任ではない。教会権力の体現者らにとっては、キリスト教の教義という枠組みが絶対なのであって、それよりも深くて精妙な知識は忌避するしかなかった。その過程で、より深い実在に迫った多くの聖人・聖女らが、破門になって国を追われたり、火あぶりにされたりしたことだろう。
「ひょっとして、おれも昔そんなふうにされたから、今回の人生ではより深い知識を求めてしまうのか……」
黄金週間を一日も休まなかった男がそう言うので、私もつい、言ってしまった。
「それにしては、今回の人生も過酷ですね」

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黄金週間 7

昨年のあるとき、突然瞑想を習いに来た彼は、過酷な労働条件のもと、それでも瞑想は続けているというから、私は内心、敬服している。
「最近、なんだか瞑想していると体がピリピリ痺れたような感じがすることがあるんだけど……」
と彼は言う。
「不快ですか??」
「いや、それがすこぶる心地いい」
瞑想によって意識が精妙なレベルに入っていくと、体もまた、それに応じて精妙になっていく。
それは、体を構成する物質が精妙になっていると表現することもできるし、われわれの肉体と同時に存在する「より精妙な体」がリアリティを増してきている、といったほうが適切かもしれない。
たとえば、16世紀に生きたアヴィラの聖テレジアは、法悦状態に入ったとき、しばしば体が宙に浮くことがあった。彼女自身はこれを最初は幻覚と思い、自分が特別であることを頑に拒否したという。
しかしそれでも、彼女は多くの他の修道女の前で、ときには指導司祭の前で体を宙に浮かせた。聖女はなお、これを恥ずべきことと思い、なんとか体を浮かせないよう努力したが、無駄だった。

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黄金週間 6

こうした結果が出たとき、その解釈にはくれぐれも注意しなければならない。
この統計は、「野菜・果物をたくさん食べる人は、そうでない人に比べて、大腸ガンになるリスクが明らかに小さい」ことが証明でなきなかったというものだ。
このことから、「大腸ガンになるリスクは、両者の間に差がない」ことが証明されたわけではない。「明らかな差があることは証明できなかった」が、おそらく多少の差はあると考えるほうが自然であろう。
実際、多少の差はあったのだが(8%程度)、統計的有意差にまでは至らなかった。
また、他の研究によれば、「野菜や果物をごくわずかしか食べない人は、普通にとっている人に比べて、大腸ガンになるリスクは65%も高まる」という統計もある。
特に生き物(人間)が相手の場合、研究の切り口の違いや、文言の解釈の違いなどにより、さまざまにニュアンスの異なる結果が出ることがよくあるのだ。
ただし一般に、野菜や果物をとることが、胃ガンを初めとした多くの疾病に対し予防的に働くことについては、ほぼ疑いの余地がない

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黄金週間 5

実は、“黄金週間の男”をエッセーに書くにあたっては、一応承諾を得ようと思って電話してみたのである。夜の9時頃だったが、案の定、留守だった。
「昨夜は、随分早い時間に留守電にメッセージが入ってました。しかも眠そうな声で」
と翌日メールがあった。
「昨夜帰ったのは10時過ぎ。早寝早起きできる人が羨ましい」
などと続く。つまり彼は、黄金週間中も一日も休まず、その最終日曜日もまた、夜10時近くまで働いていたことになる。ちなみに、彼は遅寝早起きだ。
そういう生活習慣に加え、独身なもので、スーパーのお弁当で済ますこともしばしばだ。豪放磊落な男だが、ある日、田舎の公園で一人コンビニ弁当を口にする老人の背を目にしたときには、さすがに未来の自分の背中を見たようで慄然としたという。
だから、そんな食生活ではいけませんよと言ってやると、即座に反撃が返ってくる。
「だけど、野菜や果物をよく食べる人とあまり食べない人とで、大腸ガンになる率は違わないそうじゃないか」
たしかに、数日前の新聞に、そんな記事が載っていた。しかも厚生省研究班による、10年近くにわたる研究結果だというのである。

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黄金週間 4

「シヴァ・リンガムとは、何なのでしょう」
というご質問があった。
まず、シヴァ神は、ヴェーダにおける至高神の名である。だが、われわれは不幸にして、「神」そのものを想像したり、言葉で表現したりすることができない。
そのため、神はときどき、われわれが見たり聞いたり想像したりできる形でその姿を現す、とヴェーダは語る。
たとえば、男を知らなかったマリアは聖霊によって身籠もり、イエスを産んだ。イエスは、最終的な修行により神と完全に一致するや、その力と人格を発揮し、人びとを惹きつけた。
神そのものが化身してきたとされるクリシュナは、人びとの目に見える形で活躍し、われわれが読むことのできる神の詩(うた)を『バガヴァッド・ギーター』として残してくれた。
同じように、シヴァ神はときどき、自らをリンガム(またはリンガ)というモノの姿に現す。
聖者らの中には、一生のうちのある特別な日、それを物質化して世にもたらす者が稀にいる。インドでは、その姿を目にするだけで悟りと至福を約束される、リンガムを浸けた水を飲むことでさまざまに神秘な恩寵を得ることができる、等々と一般に信じられている。

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黄金週間 3

「ついに出たっ! エッセーの新ネタ!」
こんなメールが来たのは、昨日のことである。
「ローマ法王ネタが尽きたら、いったいどーするのかと思ってたよ……」
とメールは続く。そんなことを常々気づかってくれていた彼であったが、黄金週間最終日、実際に出たのは彼自身についてのネタだった。(意味が分からない方は、5月8日付けエッセーをご参照ください)
「しかし……世の中にはいろんな奴がいるもんだな。低所得で働き続けるかわいそうな『友人』にくれぐれもよろしく(-_-;)」
等とメールは続く。
「先生もGWの休みが1日もなかったのに、『受講生の皆さんのおかげで、この上なく幸せだった』とは!」
「いやいや、本当に幸せでしたよ。ただ、次のセミナーとか学会まであまり時間がなくて……」
と書くと、彼は次のような返事をくれた。
「ところで、その人もプレマセミナーに行くのか?行かないでもっと働き続ければいいのに(゜▽゜)」
「私もそう思ってました」とお答えしておいた。

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