巡礼 3

『メジュゴリエという小さな村に着いても、そこが聖なる場所だということはピンときませんでした。多くの祈りが捧げられていましたが、私には興味がなかったのです。
私は、アメリカ人の神父のもとへ行き、ここへやってきた訳を話しました。彼は、私が長年患ってきた鼻の炎症を聖水で祝福してくれました。その日の夕方までに炎症は傷口を閉じ、数日のうちにすっかり治っていました。
ヨゾ神父に祈ってもらい、ご出現に与っているヴィッカという女性と会うこともできました。
ヴィッカは私のために、聖母に祈ってくました。ヴィッカが頭に手を乗せてくれたとき、体中を電気が走ったような感じがしました。生まれて初めて、自由になったような感覚がしたのです。
それはまるで贈り物のように私に与えられました。メジュゴリエに行って10日目の終わり頃には、私の髪は黒さを取り戻し、傷口はすべて治り、そして一番驚いたことは、禁断症状がなくなっていたのです(イリノイ州 ジル・ジェンセン)』
瞑想した際、体を電気が走るような感じがすることがあると、かなりの方が私に報告してきている。この感覚は、肉体よりも深いレベルの癒しが起きた際にしばしば報告されるもので、この文章のなかでも触れられている。
なお、ここに登場する「ヨゾ神父」は、1981年にメジュゴリエでご出現が始まった当時の指導司祭である。
彼は、圧力を加えてくる共産党当局から6人の見神者を守るために腐心するが、その過程で、約18カ月に渡って収監された。が、同時に、彼自身、聖母を見るという恵みにあずかった。
6年前、『最後の奇跡』の取材にメジュゴリエを訪れたときには、お会いしてお話をうかがったので、今度の巡礼でも可能ならばそうしたい。

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巡礼 2

『聖母マリアの出現』(天使館)という本には、特別な聖女ではなく、一般人が体験した聖母出現が数多く載せられている。
その多くはメジュゴリエにまつわるものなので、一部を、解説を加えながら引用してみる。(『』内が引用です。文章は読みやすくするため、多少改変しています)
『──私は14年間、麻薬中毒に陥り、生きる意味も失っていました。十代で試しにやり始めてから、26のときには一日500ドルものコカインを常用し、栄養不良、歯はボロボロ、髪もすっかり抜け落ちていました。
そしてついに、コカインを吸うこともできなくなりました。吸いすぎで、鼻の脇に穴が開いたのでした。
それでも尚、蒸気を吸う方式でコカインを続けた私は、幻覚を見始めました。昆虫に体中が覆われ、肌の上を動き回るというふうな。あまりの気持ち悪さに、自分の肌を掻きむしり、髪をひっぱり、カミソリで自分を切りつけたりもしました。
さまざまな治療センターに通いましたが、私をこの地獄から救ってくれるところはありませんでした。
その頃、伯母は私を見て、これではもう死も間近だと確信したそうです。母も、私自身も、自分を見限っていました。クスリをやめる気もなかったし、たとえその気があっても、どうしていいのか分からなかったのです。
伯母は、私は聖母マリアに会わせるしか救う手だてはないと感じました。彼女は、1988年にメジュゴリエというところに行っていたのです。
今振り返ってみれば、私の意志とは関係なく、そのときすでに何かが起き始めていたのです』

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巡礼

7年前、『大いなる生命と心のたび』でバリ島に行った。そのとき、執筆を計画していたのが『最後の奇跡』だった。
聖母マリアが仙台の孤児院に住む、二人の孤児に現れる。出現と、人類の未来に関するメッセージが、なんとその後、毎日続いた──。
この粗筋は、いうまでもなく、1981年から実際に毎日ご出現があったメジュゴリエをモデルにしている。なにしろ、あのルルドでも聖母は18回、ファティマでも6回しかご出現されていない。
聖母が毎日現れ、複数の人間と同時に、しかも別々の話をするなどということを、普通の人間がどうやって考えつくだろう。私が考えるのなら、もう少しありそうなことを考える。
そのとき、バリで小説の構想を話したところ、なんと、旅行参加者のなかに一人、聖母マリアを見たことがあるという女性がいた。彼女がまことに常識的かつ正直な人だったので、私はその話に大いに心打たれたのであった。
他にも、聖母を見た人を大変親しく知っている、という人がいて、この方もまた非の打ち所のない女性だった。高々4〜50人の旅行参加者のなかに、こういう方が二人もいたのである。

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学会 9

赤髭は素早く席を立つと、出口とは逆の方向にまっすぐ歩いて行った。
反射的についていった私に、レジ前で彼は言った。
「先生、私の分、おごってくれません??」
「あ……ああ……」
私は笑って誤魔化そうとした。野菜炒め定食、二人分は無理です! とも言えない。だが、赤髭は続けてこう言った。
「逆に、先生の分は私がおごります。これで気持ちいいでしょう」
「……」
幸い、私の850円は足りて、赤髭の世話にはならずに済んだ。500円玉の大物があったのが、最大の勝因だった。
それにしても、考えてみれば、もともと患者本位で金にもならない医療を実家と決別してまで実践しようという赤髭が、食い逃げなどしようはずがないのである。
そんなことをするくらいなら、漢方薬を出し、ステロイドや飲み薬もたんまり出して、保険点数を稼げばよい。それでもお釣りが来るので、マンションを買い、奥さんに隠れて女を囲い、一本100万円のウイスキーを浴びるように飲み……などすることもできるのである。
ただ、日々、医療の現場で孤軍奮闘する赤髭にとっては、このようにして人を担ぐのが楽しみなのかもしれない。
「私、頭が悪くてね……顔はいいんだけど」
赤髭はそう言って、ふたたび童顔をほころばせた。

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学会 8

私一人が出遅れたら、どうなるか。
「作家で科学者の青山圭秀氏、世界保健機関の学会当日の朝寝過ごし、講演時間もオーバーした挙げ句の果てに、食い逃げで逮捕……」
と新聞には出るのだろうか。だが、罪状がこれではいかにも情けない。いや、「食い逃げに逃げ遅れ……」ではさらにまずい。
裁判になったとき、検察側は問うだろう。
「あなたそのとき、ほとんど空の財布を手に持っていたそうですね」
「いえ、財布はポケットに入れてました」
「捜査員二人が目撃してるんですよ」
「捜査員が出せと言ったから、ポケットから出したのです」
「普段から、空の財布を持っているというのですか??」
「私も講演や、テレビ出演がありますので……」
などと、件の経済学者ばりに抗弁するのか。法廷闘争を経た挙げ句、判決は、「罰金850円と、財布一個没収……」とかになってしまうのか……。
そのとき、宙を泳いでいたであろう私の目を見ながら、頃合いを図っていた赤髭がついに動いた。

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学会 7

私は、にわかに緊張に包まれていた。朝は思わず寝過ごし、講演に遅れそうになった。講演時間は急に半分にしてくれと言われ、そうして今、現代の赤髭から、私は食い逃げの共犯を持ちかけられている……。
生唾を飲み込み、私は思わず、ボケットのなかの財布に手をやった。もし、不意にE医師がこれを決行に移したとき、私一人、出遅れたらどうなるのか。
別段焦ることなく、堂々と二人分払って出ればいいと思われるかもしれない。ところがこんな時にかぎって、お金がないのだ。下手をすると、自分の分だって怪しい。
それではということで、クレジットカードで払うと言えば、中華料理屋のオヤジは許してくれるか。
「あんた、ウチみたいな店に入るのに、ほんとにカードで払えると思ったの??」
オヤジは当然、そう言うだろう。あのオヤジ、決して優しそうではなかった。
そんなことを考えている間にも、赤髭はタイミングを計って、今にも立ち上がろうとしていることが伝わってきた。

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学会 6

人の人格は、当然のことながら、外見だけでは分からない。
あまりよい例えではないが、NHKを初め、民放各局でもひっぱりだこだった有名経済学者が、実は密かに意外なことを愛好していたというニュースが拡がった。愛好していただけならよかったのだが、残念なことに、彼はそれが高じて犯罪に及んだのだった。
もしかしたら、人はそれぞれの心の奥底に、他人からは理解できない何かをたたえているのかもしれない。そしてそれは、自分自身でも理解できないものなのかもしれない。
いったいどのようにして、週に数人の患者さんでやっていけるのか、その秘密を知りたがった私に、E医師は言った。
「お金に困ると、どうするか? いいですか。ここの肉野菜炒め定食が850円。こうしておしゃべりでもしながら、機を見てさりげなく出て行くんです。それで850円、うかせることができます」
「……」
「ただし先生、出遅れないでくださいよ……」
そう言ったE医師の目の奥が、微妙に光った。

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学会 5

「家内も、最初は玉の輿と言われて来たんですがねぇ……」
そう言うE医師の口許に、やや自虐的な笑みが洩れたように見えた。実は奥様は、一番苦しいときには自ら新聞配達をして家計を支えたのだという。
そのような妻を持ったことについて、E医師は多くを語ろうとしなかったが、そこにもやはり多くのドラマがあったであろうことは容易に推察できる。ちょうど、舞台に立つ役者が、女房を質に入れてでも自分の芸を肥やしていくというのと似ているだろうか。
言葉の端々から才気の滲み出るE医師は、続けて言った。
「私、馬鹿なんですよ。……顔はいいんですが」
ここへきて、医療の本来のあり方をめぐって苦闘を続けるE医師の人格が、実は当初、私が思っていたよりもさらに深く、複雑なものであるらしいという至極当然のことに、私はやっと気づき始めていた。

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学会 4

薬を一切使わず、宣伝も何もせず、医学の王道を行こうとするE医師。それで一日、何人くらいの患者さんが来るのだろうか。そういう医師を慕って、意外と医院は大繁盛しているかもしれない。
その疑問に対し、E医師は胸を張った。
「一日何人? いやいや、週何人と聞いてください」
「……」
聞けば、本当に患者さんは週何人、ということらしい。そうして、その何人かに、短ければ一人7時間、長いと一人12時間ほどもかけて初診をする。
まさに現代版赤髭を目の前にして、私はつい、余計なことを言ってしまった。
「それにしても先生、よく立派に妻子を養ってこられましたね」
この質問に、思わずのけ反るE医師。
「いや〜〜、それを聞かないでよ」
実は、彼の家族は立派な医者一族なのである。そのなかで、彼は自らの理想の医療を追求するあまり、実家と袂を分かった。
それは、口で言うほどたやすい道ではなかったに違いない。そして、忍耐強い奥様があればこそであった。

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学会 3

出番を終え、早く帰って仕事でもしようと思って会場を後にした私の目の前に現れたのは、開業医のE医師だった。
E医師は、私の講演を的確に論評してくれたので、正直、ほっとした。講演後、会場が静まり返っていたので、もしかしてまったく理解されなかったのかと心配していたのだった。
「実在に関するベルの定理」と「サーンキヤ哲学」の関係を10分で話せといわれてももともと無理な話ではあったが、E医師はさすがに本質的な部分を捉えていた。
これでやや気が楽になった私は、ご一緒にお昼でも……と誘われるまま、近くの中華料理屋に入ってしまったのだった。
 何事にも鋭いE医師は、いわば現代医学の反逆児である。アトピー性皮膚炎のご専門だが、飲み薬、塗り薬、張り薬、一切使わない。漢方薬すら使わない。
「漢方もですか……??」
絶句する私に、彼は、
「患者自身が本来、最高の医者です。われわれは、それをちょっと手助けするだけです」
と、当然のことのように言われた。たしかにそれはそうなのだが、その理念を実践に移せる医者はほとんどいない。それで彼は、宣伝も、何もしないのだという。

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