津波

今回のインド行きの大きな目的の一つは、津波の被災地を訪ねることだった。
インドにおける津波被害が、インドネシアに面した東海岸だけでなく西海岸も含め、南部の海岸線全域に及んでいることは知識としては知っていたが、今回、そのことを改めて認識することとなった。そうした村々の一つ、ナーガパトナムでは、5000人以上の人が亡くなり、または行方不明となった。
生き残った住民に話を聞くと、ツナミの際、何か海に変調がある、という噂が直前にあったという。だが、海を見ても、水平線上には、まるで雲のようなぼんやりしたものしか見えなかった。
数分後、それが巨大な水の壁となって村を呑み込むことになると予想できた者は、一人もいなかった。
そのときのことを「怖かったか」と問うと、村人は首を横に振った。
「何だろうと思っている間に、波が押し寄せた。怖いと思う暇もなかった」
そう言った元漁師は、咄嗟に寺院の尖塔に登った。眼下を濁流が洗い流し、多くの人が流されて行った。
助けようにも、どうすることもできなかったという。そうして多くの遺体が、後に残った。
050622

被害を語る漁師

カテゴリー: チャリティ, 世界 | コメントする

巡礼 12

【意識の科学<Art of Meditation>】講座は、おかげさまで、すこぶる教え甲斐のある状態が続いている。(寄せられた感想のごく一部を、体験談として掲載してあるので参考にしていただきたい)
 私自身、長年ヴェーダを研究してきてはいるが、ヴェーダ科学の威力をこれほどまでには想定していなかった面もあり、やや恥ずかしい。
ただ、ここまでで一つだけ心苦しいことがあったとしたら、それは面談の際、後のほうの方をときどきお待たせしたことだ。毎日、瞑想の状態をチェックするために、皆さんとは個別にお話しして帰っていただくが、私自身は時間が伸びても全然構わない。皆さんも、他の受講生の方とおしゃべりなどして楽しく待っているとは言ってくださるが、やはりお待たせするのは心苦しいものがある。
講座は、15人の定員に達するとキャンセル待ちの表示を出すが、どうしてもという方がおられて、17、8人になることが多い。
ところが、どうしたわけだか、6月18、19、25日の第18期講座だけ申し込みが極端に少なかった。この期はインドから帰った後で、神々からの特別な祝福が予感されるし、人数も少ないのでラッキー……などと思っていたら、ここ数日でやや18期も増えてきた。
そこで慌てて、8月の13、14、15日の3連休で第20期を設定することになったが、こちらもお盆の時期なので、果してお申し込みがあるのかどうか……。少なければやはり、ラッキーな期になる。
どんなに準備をしたと思っていても、海外に発つ前の晩は必ず徹夜となる。それでもなんとか、天界の住人たちの祝福を持ち帰るべく、これから日本を発つ。
(26日からの聖地巡礼ツアーも、先週、飛行機の座席が足りない状態になりつつあると聞きました。申し込まれる方は、とりあえず、電話ででも日本旅行に連絡をとってみてください。すでにキャンセル待ちになっていた場合は、どうかお許しください)

カテゴリー: キリスト教 | コメントする

巡礼 11

今では恒例となった夏の聖地巡礼は、年間で最も楽しみな行事である。
去年からはしかし、楽しみな仕事がもう一つ増えた。月に一度か二度、瞑想をお教えする。それが私にとって、胸のわくわくするような体験になってしまった。
だがそのために、私がやらなければならないことが少しある。瞑想を習った人たちを守り、導いてくださる神々や聖仙らをお喜ばせすることだ。
もちろん、瞑想することでわれわれが健康で幸せになることを、彼らは最も喜ぶ。しかし、神々に直接儀式を捧げたり、困っている人びとを助けることで、天界の住人たちはさらに喜ぶ。
私がそんなことでインドを訪れることができるのは、瞑想を習ったり、『ギーター』の解説を聞きにきたりしてくれる皆さんのお陰であると、天界の住人たちはよくご存じだ。こんなことを書くと、宗教か何かのような感じがするかもしれないが、宗教ではない。それが事実なのだ。
なので、皆さんが瞑想中に神々や女神が訪れ、あるいは聖仙が現れて話しかけてきたりするということが、稀ではあるが実際にある。
そういうことがあっても驚かなくていいし、また、そういうことがなくてもいい。仕事や瞑想をたんたんと楽しみながら、われわれは至福に近づいていく。

カテゴリー: キリスト教 | コメントする

巡礼 10

帰宅した夫は状況に驚き、医者に電話した。
医者の態度はすげなかった。
「リタが歩いているって? そんな馬鹿な」
「歩いてるんじゃありません。走ってるんです!」
医者は信じなかったが、ともかくも、診察はしてみようと言った。
家族は病院を訪れ、状況を説明した。メジュゴリエの聖母について書かれた本を読んだこと。夜、声がして祈りの言葉が口をついて出たこと。そして翌日が今日であること……。
リタは医者の前で歩いてみせた。ところが医者は、だんだん不機嫌になってきた。
「私は忙しいので……」
そういう医者に、夫は、なぜもっとよく調べないのかと食い下がった。
「悪い冗談だ。この人、リタの双子の妹だろう?」
「リタには双子の姉妹はいません。それに、私が彼女を見間違うとでもおっしゃるのですか?」
子供たちも、彼女が正真正銘の母親だと主張した。彼女に姉妹はいるが、髪の色は黒で、彼女には似ていない──。
検査の結果は、ことごとく正常だった。筋肉反応、反射テスト、神経系統の機能……。病院のスタッフが、驚愕の表情で様子を見守っていた。彼らはすでに、長く彼女を知っていたからである。
医者は、自分の見ていることが信じられない様子だった。
「あなた一体、何をしたんです?」
「メジュゴリエのマリア様にお願いしました」
「何回祈ったのです?」
「一度だけ」
最後に、医者はこう言った。
「祈りは、使い切ってしまいましたか? 私の分は、残ってないでしょうか」──
以上が、ペンシルベニア州に住むリタ・クラウスの身に、実際に起きたことである。
 

カテゴリー: キリスト教 | コメントする

巡礼 9

どうしてよいか分からない日の続くなか、ある日リタは、ファティマで聖母出現を受けたシスター・ルチアの伝記を通信販売で注文した。
ところが、本とともに送られてきたのは、「9ドル余分でした」という伝票だった。そんなはずはなかったが、同じ出版社のカタログを見てみると、次のような題名の本が目に入った。
『聖母は本当にメジュゴリエに出現されたのか』
値段は6・95ドルで、送料が2ドル。配送には通常、6〜8週間かかるはずであったが、不思議なことに本は4、5日で届いた。この本を、彼女はむさぼるように読んだ。
それは、1986年6月18日の夜のことだった。ロザリオの祈りをした後で、リタはこんな声を聞いた。
『なぜ、あなたは依り頼まないのですか?』
「頼むって……?」
驚きつつも、言葉が彼女の口をついて出た。
「メジュゴリエで6人の子供たちに現れたマリア様、どうか御子に、私を癒してくださるようお頼みください。御子は、信仰は山をも動かすと言われました。私はそれを信じます……」
言い終えた後、リタの体を電流が走った。
翌朝は普通に目覚めた。昨夜は、そのまま眠ってしまっていたようだった。
しかしその日、異変が起きていた。足にかゆみを感じたのである。もう長い間、木切れのように無感覚だった足に、感覚が戻っていた。
気がついてみると、爪先が動く。矯正具を外してみて、そこにあるのは他人の足かと彼女は思った。足がまっすぐになっていたのである。
彼女はしばらく呆然としていた。が、我に返るとスカートをたくし上げ、歩いてみた。自分の足で歩いていた。
聖母に感謝し、部屋から部屋へと歩き回った。歩けるどころではなかった。階段を駆け上がることすらできた。
彼女が最初に電話したのは、教会の主任司祭だった。
「神父さま、メジュゴリエのマリア様が癒してくださいました!」
「あなた、誰です?」
「リタです。癒されたんです!」
「リタ、座って、よく聞きなさい。落ち着いてアスピリンを二錠飲み、それから精神科の医者を呼びなさい。約束するね?」

カテゴリー: キリスト教 | コメントする

巡礼 8

リタ・クラウスが修道院を出、実家に戻ったとき、医者は言った。
「薬で症状を抑えながら、まだ5年くらいは生きられるでしょう。その間、生活を楽しみなさい。周囲には、(不治の)多発性硬化症とは言わずに、小児麻痺の後遺症だと言いなさい」
医者の勧めどおり、巡りあった男性にも、彼女は病気のことを打ち明けなかった。自分はあと数年で死ぬ。その間、なるべく普通の生活をしたい……。
ところがある日、突然、彼が言った。結婚してほしいと。
嬉しかった。自分にも、人並みな幸せがついに回ってきたんだと思った。が、そう思えばなおさら、病気のことは打ち明けられなかった。
結婚した彼女に、医者は妊娠を勧めなかった。彼女は、近い将来起きてくるはずの厳しい現実に備えるべきなのだ。
彼女は、かかりつけの医者を変え、妊娠を選択した。一人、二人、そして三人子供を産む間に、しかし病状は進行していった。手を、肩より上に上げることができなくなった。しばしば、何もないところで転倒した。歩くこともおぼつかなくなっていた。
こうなって尚、彼女は真実を夫に告げなかった。もはや、告げることなどできなかった。夫が真実を知ればどうなるかと思うと、ただ涙が出た。そうして遂に、大発作が起きた。
病院から戻ったリタは、すべてを打ち明けねばならない日が来たことを悟っていた。なぜ、これまで病気のことを黙っていたかも必死に説明した。が、話を聞き終えた夫は「別れよう」と言うと、家を出ていった。彼女はただ、自分の愚かさを嘆き、壁に頭を打ちつけながら泣いた。
最初の“奇跡”は、数時間後に起きた。夫が戻ってきて、こう言ったのである。
「自分にできるかどうかは分からない。しかしこれからも、君を支えたいと思っている」
夫は、以前にも増して献身的に彼女を支えるようになったが、病状は悪化の一途をたどった。外反足奇形がおき、右足は内側に曲がり、ひざの皿がずれ……。そうした痛みに耐えかねて手術を受ける度、彼女は祈った。
「神さま、お望みのことは何でもします。どうか手や足は残してください……」
足の感覚がなくなってくると、彼女は祈った。
「神さま、どうか首から上は残してください……」
最悪の事態が、もうすぐそこまで近づいていた。

カテゴリー: キリスト教 | コメントする

巡礼 7

メジュゴリエの聖母を思うとき、私が必ず思い出すのは、ペンシルベニア州バトラー郡に住むリタ・クラウスのことである。
リタ・クラウスはかつて修道女として、人びとに仕えることを真剣に望んでいた。しかしその望みは、修道院に入って5年、初誓願を立てるまでの間に打ち砕かれた。多発性硬化症を発症した彼女は、一見健康そうに見えても、時には目眩がして階段も上れないような状態になっていた。
キリスト教の信心書に、そのような人は他人の注意を引きたいだけなので、相手にしてはいけないなどと書かれているのを見たことがある。心身医学者や精神世界の指導者の中にも、そのような人は、潜在的意識のなかの同情をかいたいという願望が自らを病気にしているなどと、したり顔で解説する者もいる。こうした見解を鵜呑みにした周囲の態度が、この時期、彼女を最も傷つけた。
彼女のような病人を抱え込むだけの財政的ゆとりが、普通の修道院にないであろうことも容易に想像できる。こうして最終的に、彼女は修道院を去るしかなかった。
有能な教師であった彼女は、治療を続けながら昼間は働き、夜は夜学に通うという生活を始めた。そうして一人の男性と巡りあい、恋に落ちた。

カテゴリー: キリスト教 | コメントする

巡礼 6

『数日後、近所の人がメジュゴリエから持ち帰ったというロザリオを届けてくれました。その村こそ、テレビで見たユーゴスラビア(現在はボスニア・ヘルツェゴビナ)の村でした。
私は聖母を信心していたわけではありませんが、ロザリオを受け取ると、祈り始めました。
私は聖母が助けに来てくれると感じました。自分がそのときロザリオを祈ったことを、私はこれから一生感謝するでしょう。
息子は、12日目に昏睡から醒め、なんと一カ月で我が家にもどることができました。脳の損傷もなく、何の後遺症もないという彼の回復に、医師たちは面くらいました。
私は、神と聖母マリアに心から感謝しています。あの平安の感覚は、聖母からのものでした。
聖母は、すべてうまくいくということを、私に語ろうとしたのです。息子は奇跡的に回復し、私は、聖母が私たちの祈りを聞き届け、神に取り次いでくださったからだと固く信じています(ニューヨーク州 F・プラコナ)』

カテゴリー: キリスト教 | コメントする

巡礼 5

メジュゴリエの聖母の介入した奇跡は、現代においては枚挙にいとまがないが、もう一つ、ダイジェストでご紹介する。
『5年前のある休日、息子はひどい交通事故に巻き込まれました。頸の骨が折れ、肺に穴があき、昏睡状態で、さらに肺炎を併発していました。生きる望みはほとんどなく、生き延びても植物状態が待っていました。
主治医は言いました。
「奇跡を期待してはいけません。息子さんの脳は広範囲の損傷を受けています」
息子は集中治療室に入っていました。私と夫は隣の小部屋におり、そこではテレビがついていました。
テレビでは、聖母マリアがユーゴスラビアの小さな村に現れたことを扱っていました。私たちはテレビを観るどころではありませんでしたし、聖母を信心したこともなかったのですが、なぜかその番組に心惹かれ、平安を感じるようになっていたのです。
番組が終わってから、私は夫とともに息子の様子を見にいきました。彼の目はうっすらと開かれ、私たちに微笑んでいるように見えました。私は思いました。この子は死なないと』

カテゴリー: キリスト教 | コメントする

巡礼 4

「奇跡の癒し」が起きたと称せられた後、実はほどなくして患者は亡くなっていた、というような話はよく聞くところである。
麻薬も、一旦はやめてもまた元に戻りやすい。したがって、教会当局が奇跡を認定する場合、しばしば5年とか、10年に渡って予後を観察する。
メジュゴリエで奇跡的に癒されたこの人の場合どうだったかが、最後に記されている。
『以上は、6年以上も前のことです。私はあれ以来、麻薬に全く近づいていません。
私は今、麻薬中毒に苦しむ人を救うことに生活を捧げています。アメリカ各地、カナダ、グアムなどで、中毒者だった自分の体験を話しています。神の恵みのおかげで道が開けるということを人びとに知らせ、希望を与えようと努めています。
自分の人生がこうなろうとは、思ってもいませんでした。あのときの状態を、これほど完全に、短期間で変えてしまうほどの力については、説明することは不可能です。
私にどうしてこのようなチャンスが与えられたのかは分かりませんが、これが私の体験したことそのままなのです』

カテゴリー: キリスト教 | コメントする