岐路 3

ヴェーダには、次のような格言がある。『(起きてくることの)すべては自分に相応しい』
何が起きてきても、それは基本的に自分の責任だ。他人の責任のような気がするし、そう思いたいのが常だが、究極的にはすべてが自分の責任だとヴェーダは明言する。
われわれは、誤った選択をしてしまって人生を誤り、その結果、自ら不幸を引き寄せる。
では、いつも、どんなときも、選択を誤らない方法はないのだろうか。常に自然の法則に従い、究極の、神の見地に立った正しい選択をし続ければ、彼は不幸を招き寄せずに済むはずなのだ。
結局、それは人が意識を進化させ、いわゆる「悟り」の段階に到達するまではできない。しかし同時に、現在の意識レベルで人生を生き続けるしか、われわれには方法がない。だからそのために「聖典」というものがあると、ヴェーダは語る。
聖典のなかで、さまざまな個人の、さまざまな状況に応じた正しい道(ダルマ)が、具体的に語られる。昔も今も変わらぬ人生の極意を学ぶことで、われわれは速やかに意識を進化させるとともに、現実に対応して生きていくことが可能となる。
ヴェーダの生んだ聖典のなかでも、その最高峰は『マハーバーラタ』であるといわれる。
『マハーバーラタ』のなかでも、その精髄といえる『バガヴァッド・ギーター』の解説は<プレマ・セミナー>のほうで進めているが、物語の全体を少人数相手に講義してほしいという依頼があったので、今週の土曜から四回にわたって東洋伝承医学研究所で行なう。
ヴェーダの精髄『マハーバーラタ』の解説は、私のもっとも心楽しい時間の一つなので、どんな質問が出るかも含め、今から楽しみで仕方がない。
事務局より:
『マハーバーラタ』講義(全4回)は、8月20日から毎週土曜の夜、6時半〜9時まで東洋伝承医学研究所(東京・祐天寺)で行なわれます。詳細は、東洋伝承医学研究所までお問い合わせください(TEL:03-3792-2054)。

カテゴリー: ヴェーダ | コメントする

岐路 2

日本の社会は、今、岐路に立たされている……と初めて聞いたのは、小学生の頃だったと思う。
それから今に至るまで、いつも、どんな状況でも、同じことが言われ続けてきた。ちょうど小学校のセンセイが、皆さんは今、人生の一番大事な時期なのよと一年生に言い、二年生にも三年生にも、四年生、五年生、六年生にも言い続けるのに似ている。当然、中学に入れば中学の先生が、高校に入れば高校の先生がまた、同じことを言う。
しかしだからといって、それらがまったくの嘘というわけではない。確かに、それぞれの時期が、それぞれに大事だ。同様に、今、日本の社会が岐路に立たされているというのも事実だ。
考えてみれば、私たちの人生も岐路だらけだ。そもそも、人がある両親の許に生まれてくるということからして、大きな岐路だった。ただ、彼はそのことを意識していない。意識していなければ岐路ではないかといえば、われわれは他にも、人生上の多くの岐路を意識しない。
状況に応じて、あるいはその場の気持ちや意志に従って、それぞれの岐路で選択をする。それによって、残りの人生は決定的に違ってくるのだが、選択するときには、事の重大性などほとんど理解してはいない。
後になって初めて、われわれはとんでもないことを選択してしまったことに気づくのだ。

カテゴリー: ヴェーダ | コメントする

岐路

終戦記念日。日本が始めた、太平洋地域における未曽有の大戦争は、六〇年前の今日、終わった。この戦争のために、わが国を始め、アメリカを含む多くの近隣諸国の人びとが塗炭の苦しみを舐め、死んでいった。
戦争を振り返るとき、必ず、いくつか日本がとり得たであろう岐路が語られる。
もしも開戦前、日米交渉を妥結させることができていたら……もしもシンガポールが落ちた段階で講和に臨んでいたら……もしも日本の暗号が解読されず、ミッドウェイ海戦に勝っていたら……もしもポツダム宣言を即、受諾していたら……。
ポツダム宣言を即、受諾しただけでも、広島・長崎の惨劇がなかったであろうことは繰り返し語られる。それができなかった最大の理由は、果して国体が、すなわち天皇制が護持されるのかどうかという逡巡があったとされる。
いずれにしても、それぞれの岐路で、日本は選択を誤った。そうしてやっと最後に、無条件で降伏するという、その時点においての正しい選択をした。

カテゴリー: ヴェーダ | コメントする

改革 8

いずれにしても今日中に、この国の将来を占う大きな採決がある。
廃案になった場合、もはや郵政改革は誰にもできないだろう。その間に、かなりの確率で、日本の財政は事実上、破綻する。
ガンになって初めて、あのとき煙草をやめておいたならと悔やむように、あのとき郵政民営化をやっておけばと嘆いてみせるマスコミの論調が、今から聞こえてくるようだ。
だが、ことの重要性を的確に報じず、他にやることがいっぱいあるだろうになどと国民受けするポーズだけとってきたマスコミには、そのときになって政治家を責める資格は一切ない。
同様に、まるで人ごとのように関心を持たなかったわれわれ国民にも、将来国難がやってきたとき、自分たちが選んだ政治家を責める資格はないものと、私は自分自身に言い聞かせている。

カテゴリー: 人生 | コメントする

改革 7

国鉄のときと同様、郵政利権の人びとは、遠い将来、郵便料金が全国一律でなくなるかもしれない、郵便局の数が減るかもしれないと盛んに喧伝する。
かりに2017年に民営化されたとして、経営努力と財政援助をしてなお赤字が解消できない郵便局については、遠い将来も絶対なくならないとは言えないだろう。
だが、当事者たちに自助努力をしてもらわないで今のままにしておくということは、ますます膨れ上がる膨大な維持費を国民が税金で負担するということだ。
そのためには消費税も上がるだろうし、サラリーマンの所得税も上げざるを得ないだろう。「それでもいい、すべて負担します」という強い決意を国民が本当に持って「改革の必要なし」というならそれはそれでいいが、しかしそれが可能なのも財政が破綻するまでだ。
「見ろ、とりあえず今は健康なんだ、自分はガンになどなりはしない」と言ってタバコを吸い続ける人に、「まさに今、自分と周囲の健康がどれほど失われているかを考えてください」「実際にガンになったときの想像を絶する苦しみを思ってください」といっても、無理な話だ。
同じように、「とりあえず今、郵便局について不満はない、将来もこのままでいいじゃないか」と言う人びとに、「まさに今、実際にはどれほど国の富が失われているか考えてください」「将来財政が破綻したときの苦しみを思ってください」と言っても無駄だ。
ガンになるまで、ほとんどのタバコ吸いがタバコをやめようとはしないように、財政の破綻という惨めな事態がやって来るまで、われわれの多くは、この改革を小泉純一郎がどうしてもやりたがった理由を理解しないままいくのである。
それも一つの、国民の選択である。

カテゴリー: 人生 | コメントする

改革 6

かつて中曽根康弘が苦心惨憺の末、国鉄民営化を行なったときも、反対者たちは言ったものだ。
国鉄が分割・民営化などされたら、東京から大阪へ行くのに切符を3枚買うようになるんですよ、そんなことになっていいんですかと。つまり、JR東日本とJR東海、JR西日本のそれぞれで、切符を買わなければならなくなると言ったのである。もちろん、実際にはそうはならないことなど、彼ら自身がよく知っていた。
そのような困難を克服しながら、中曽根康弘は国鉄民営化に成功し、電電公社も民営化した。われわれはその結果を今日、当たり前のように享受しているが、この二つの改革のおかげでこの国がどれほどの恩恵を被ったか知れない。
今回、参院での採決を控え、その息子である中曽根弘文の行動が焦点となっていた。父親が行政改革を行なう労苦を傍で見ていた彼は、最終的には、郵政に理解を示すだろうという観測もあったが、昨日、その期待は露と消えた。
塗炭の苦しみを舐めつつも国鉄と電電公社を民営化した政治家の息子が、今度は郵政改革を逆に潰すという役割を演じつつある。
小泉純一郎が中曽根康弘を政界から引退させたことが一因ではないかともいわれ、人間模様の綾を浮き彫りにもするが、これがどう理解されるかといえば、早速、円も、株も売られた。
小泉政権下での構造改革をそれなりに評価し、郵政改革が日本に及ぼす好影響も分かっている市場は、これができないような国には大きな価値は認められないとして日本売りに出たことになるが、やむを得ない、というよりは当然というほかない。

カテゴリー: 人生 | コメントする

改革 5

では、同様にこれを葬ろうとしている民主党に、改革はできるのだろうか。
小泉内閣が発足した当時、「国民のための改革ならば、民主党はこれを支持する」と発言した鳩山民主党を私は好きだったが、そのような正論を吐く政治家は早々に代表の座から降ろされた。
政治の変革こそが民主党結党の精神だろうとは思うものの、かつての細川連立政権のことを思い出せ、という声もどこかから聞こえてくる。
個人的に知れば知るほど、自民党と同じく民主党にも国を憂える政治家はいるし、基本的にはそのような志があってそれぞれが皆政治家になったはずなのだが、組織となると様相が変わる。政治にしても、宗教にしても……。
民主党のなかには、郵政3事業は民営化すべきだと考えている人びとが大勢いる。彼らこそが逆造反して法案を通せば面白いのにと思ったりもするが、改革の千載一遇のチャンスよりも、彼らは、ひょっとして政権にありつけるかもしれないというチャンスに賭けようとするだろう。
だが、そのようにして万一政権についたとしても、たとえば郵政のような巨大利権のからむ改革を行なう力量が今の民主党にあるようには、残念ながら思えない。

カテゴリー: 人生 | コメントする

改革 4

小泉純一郎は、郵政の民営化こそが、国鉄改革にまさって日本経済に与える影響が大きく、どうしてもやらなければならないことを知っていた。
自民党の集票マシンである郵便局に手を着けるなど、当初は誰にも支持されなかったが、時代の波は思わぬときに彼を頂点にまで押し上げた。その後、強運とまで言われる彼の運のよさは、この改革をなし遂げることの天意を示しているとしか私には思えない。
彼の政策に私はすべて賛同するものではない。現在の法案が相当程度、妥協の産物であることも周知のことだ。しかし大筋として、郵政民営化はどうしてもなし遂げるべき課題であると私は思う。
小泉純一郎は、3度に渡る自民党総裁選を戦い、常にこのことを第一に訴えてきた。一度の総選挙、二度の参院選においてもそうだ。その上で、国民は自民党に多数を与え、自民党は小泉純一郎を総理・総裁に選んだ。
その自民党が、公約に掲げた郵政民営化を自ら葬り去るというのであれば、そのようなことのできる政党は確実に崩壊の途につくだろう。

カテゴリー: 人生 | コメントする

改革 3

日本経済の状況は、決して明るくはない。
家庭にたとえるならば、一家の主人は月に40万円ほど稼いで来るが、しかし70万円を使う生活を改めることができない。 
妻は毎月毎月、苦心惨憺、どこからか30万円を借りてきて補填している。ダンナはそのことを知らないはずはないのに、何とか回っているからと依然呑んだくれ、生活を改める気は毛頭ない。
この際、妻が30万円を借りて来られなくしなければダンナの目を醒ます方法はないのだが、借金はすでに一生かかっても返せない額にまで達している。
これが表に出ると妻は離婚されてしまうので、このままそっとしといてくれ、という人びともいる。
そういう人びとにはまた、金貸し屋から月々の賄賂が届くのである。お金であったり、票であったり。
だから、改革などやってもらっては困る。妻(国民)のため、家族のためといろいろな理由をつけながら、彼らはもちろん、改革潰しに必死だ。

カテゴリー: 人生 | コメントする

改革 2

今日、郵政民営化論議がかまびすしい。新聞や雑誌、テレビが主として取り上げるのは、賛成派と反対派の攻防であって、法案の中身ではない。
こんな法案、成立しようが廃案になろうが国民生活には関係ないとばかりに、まるで人ごとのようだ。
だが、本当にそうだろうか。今、一見うまくいっているように見える郵政公社がじり貧に陥るであろうことは誰もが知っている。郵貯・簡保の巨額マネーは、営々として無駄な公共事業や特殊法人のために浪費され続け、特殊な立場にいる人びとによって食い物にされてきた。
最終的には膨大な税金がその補填に充てられることになるだろう。当然、将来は郵便局の数も減らすことになるだろうし、人員も整理せざるを得なくなる。
国鉄の処理には巨額の税金が投入され、今も投入され続けているが、今のうちに郵政を民営化したなら、法人税が国庫に入るようになり、将来は株の売却もできるだろう。
遠い将来、郵便料金が全国一律でなくなるかもしれないなどという瑣末事をまるで郵政事業の根幹であるかのように喧伝し、国民の目を幻惑していてよい場合だとは、私には思えない。

カテゴリー: 人生 | コメントする