美学 5

試合開始早々、山本キッドの右が空を切った。その瞬間、シュッという鋭い音が会場に響いた。拳と空気の摩擦音に、観衆が静まり返る。
そうしたキッドの攻勢をことごとくかわそうとしたグレイシーだったが、2R、膝蹴りに出ようとしたところをキッドの右フックが捉えた。一発で終わりだった。
しばし呆然。となりにいた溝口さんも、いったい何が起きたんだと戸惑っていた。キッドの右が見えなかったのだ。
その他にも、このトーナメントは話題が尽きない。変幻自在のトリック殺法を繰り出す須藤元気、ファッション・ショップを経営、ファッション紙にモデルとしても登場しながら格闘界に君臨するプリンス宇野薫、王者ノゲイラをバックハンド一発で葬り、一気にスターダムにのし上がった所英男ら、話題は尽きない。
だが、そうして注目されているとはいえ、彼らはブラッドバリーのような幸運男たちではない。人生を格闘に賭け、それぞれに喘ぎ苦しんでいる若者たちだ。あるいはアルバイトで生計を立て、あるいは風呂のない6畳一間で生活し、練習後はキッチンのシンクで頭を洗い……。山本キッドのようなスターですら、おそらくその内面は苦悩に満ちているに違いない。
いずれにしても、私の関心事はただ一つ。大山君に勝ってほしい。それだけだった。

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美学 4

この日、私は流行りの風邪をもらってしまっていて、体調はすこぶる悪かった。自重すべきか……とも思ったが、試合が近づくにつれ、心の内側から抵抗しがない思いに動かされ、有明に向かった。
試合場には、あのリングが設営されていた。かつて、ボクシングを修行し、後楽園ホールでセコンドに立ったりした頃のことを思い出す。
リングに注がれる七色の光線、大観衆の歓声、これから戦いに臨む選手をそれぞれに象徴するような大音量の音楽……。思わず、20年前にタイムスリップしたような気持ちになった。
今トーナメント最大の見どころは、あの「神の子」山本キッド徳郁と、グレイシー一族の寵児ホイラー・グレイシーの一戦とされていた。
実際、山本キッドの格闘家としての才能、闘争心、持って生まれたカリスマ性は、現在の日本で、圧倒的にファンの心をつかんでいる。一方のグレイシーも、世界最強を自負する格闘技一族の誇りにかけて、この日本の少年を撃破したいところだ。
実際、立ち技もさることながら、この二人が寝業に入ったときにはどちらが強いのか、興味が尽きない。

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美学 3

オーストラリアの幸運男の回顧物語が新聞の夕刊に載っていた頃、私は有明コロシアムにいた。
HERO’S 2005、ミドル級世界最強王者決定トーナメント。この日、前回のエッセー3月26日『復活』で紹介した大山峻護君が、ふたたびリングに立つ。
相手のサム・グレコは、奇しくも幸運男と同じオーストラリアの出身で、空手時代の戦績は96戦92勝4敗。この世界では鬼のように恐れらていることを、一緒に行った溝口さんが口を酸っぱくして説いてくれる。彼は有能な税理士でありながら、格闘界にも詳しい。
実際、どんなに強い奴も、どこかでは負ける。デビューしたての頃か、慣れてきて気を抜いてしまったときか、体調が悪いとき、減量に失敗したとき、衰えて引退する前等々……。あの山下泰裕も負けた。沢村忠も負けた。田村亮子も負けた。
不敗のまま引退した格闘家など、ほとんどどこを探してもいはしない。私以外は。ただ、私は勝ちもしなかった。公式試合をしなかったのだから。
いずれにしても、100戦近く戦って4敗しかしていないという今回の相手は、ほとんど神か、悪魔に近いと言える。

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美学 2

2月16日。決勝に進出した5人のなかで、ブラッドバリーは圧倒的に……弱かった。問題にもならない。なんとか離されないようにして、最後まで滑ろう。そう思っていたに違いない。
勝負は、最初からついていた。競技場を数週し、最終コーナーにさしかかったとき、前方で4人がメダル争いをしていた。あとは滑り終えるだけだった。
……が、運命の女神はこの夜も弱者に微笑む。前を行く4人が交錯、4人とも転倒したのだ。競っていたら、彼もそれに巻き込まれただろう。ところが幸い、ブラッドバリーは圧倒的に弱かった。転倒した先陣の間隙を縫って、一着でゴール。栄えある南半球初の金メダリストとなった。
帰国した彼を、故国のマスコミと大観衆が待ち構えていた。世界一幸運な男。それは、連日マスコミを賑わすに充分な話題だった。
テレビ出演、講演、CMの依頼が引きも切らない。洗濯する暇もなく、スーパーで下着を山ほど買い込もうとしたら女の子にサインをせがまれ、その場に下着をぶちまけたこともあった。
ほどなくしてブラッドバリーは、故郷に2500坪の豪邸を建てた。すべてキャッシュで支払った。

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美学 1

スティーブン・ブラッドバリー、31歳。日本ではほとんど誰も知らないが、地元オーストラリアでは知らない人がいない。
ソルトレークオリンピックの行なわれた2002年2月15日。アイススケート・ショートトラック男子1000メートルの準々決勝が行なわれた。世界の強豪がひしめくなか、南半球の選手がこの種目でメダルをとったことは一度もない。
案の定、ブラッドバリーはこの日4位に終わり、準決勝に進めなかった……と思われた。が、上位選手のなかから失格者が出た。なんとラッキーなことだ。繰り上がった彼は、歓び勇んで準決勝に臨んだ。
五輪選手とはいえ、並みの選手かそれ以下に過ぎない彼を注目する者は、世の中に誰もいなかった。五輪を前にして、政府からの強化費は早々に打ち切られていた。練習に使う車の修理代8万円が出せなくて、父親から借金をした。
この日のレースで、自分は競技人生のすべてを終える。そうしたら、故郷に戻って消防士になろう。借金も返そう。そう思って臨んだ準決勝だったが、ゴール直前で異変が起きた。前を行く二人が転倒し、なんと彼は決勝に進むことになったのだ。

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災害 3

もう一つの指摘は、アメリカはイラク戦争の戦費を捻出するために、治水予算を削ったのではないかというものだ。
「長年、恐れていた嵐がやってくる。一生に一度のものだ」
市長は、そう言って非難命令を出したという。だが、「去年も避難したが、別に何ということもなかった。今年もそうだと思った」と述懐する市民もいる。災害とは、おおむねそうしたものだ。人生のその他の不幸も、おおむねそうしたものだ。
それほど、長年に渡って、ニューオリンズの治水は問題があると指摘されていた。財政赤字に悩むアメリカのこと、実際には、イラクで戦争をしていなくてもニューオリンズの堤防はそのままだった可能性は高い。
しかし、あの戦争自体がなんともやり切れないものなだけに、惨事は防げたかもしれないと思うと、この指摘の内容はいかにも残念で、胸に影を落とす。
いずれにしても、人類の歴史のうねりのなかで、現在のわれわれの行為が未来の幸・不幸を決める。
産業革命とか、戦争をするしないのような大きなことだけではなく、日々行なわれている一人ひとりの決断のすべてが、見えないところで、知らないうちに、自分自身の未来を決めている。

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災害 2

ところで、今、この原稿を書いている時点で関東地方に雨をもたらしているのも、台風14号の影響だという。ところが驚いたことに、この台風は沖縄から九州のあたりを進んでいるというのだ。強風域はカトリーナの二倍。なんという巨大な台風かと驚いてしまう。
ヴェーダは、こうした自然災害も、究極的には生命が自然の法則を犯すことから生ずるのだと素朴に表現してのける。それはわれわれの理性を超えた認識で、納得し難いものではあるが、今回の場合はやや理解可能な側面もある。
第一に、産業革命以降、われわれは地球環境をほとんど気にすることなく自然を酷使し、資源を浪費してきた。
その結果、地球全体では温暖化が進んでいるという現実がある。ほんの少しのことで気候が激変し、ぶれやすくなっているので、局所的には寒冷現象がみられるかもしれない。だが、全体としては温暖化している。
海面温度の上昇は、容易に台風を発生させるので、それが昨今の台風ラッシュをもたらしているといわれる。
国際温暖化防止条約・京都議定書を無視することを決め込んだアメリカでこうした災害が起きたのも、自然の警告ではないかと思いたくなってくる。

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災害 1

アメリカでは、代々、ハリケーンには女性の名前がつけられてきた。たけり狂うハリケーンを女性になぞらえたアメリカ人のユーモアには、まったく共感できないわけではない。
だが、日本の気象官が、自らの過去を振り返りつつ、台風11号をゆり子、台風12号を聖子、台風13号をゆかり、台風14号をさつきなどと命名する図を、われわれ日本人は想像することができない。
とにかく、これは差別的だということで、今はアメリカでも男女の名を交互につけるようになったと聞く。とすると、今回の巨大ハリケーンに女性名がついたのは偶然なのであろう。
「カトリーナ」といえば、人によってはカトリーヌ・ドヌーヴを思い出すだろうし、私はカトリーヌ・ラブレー(パリのマリア様を見た修道女)を思い出してしまうので何ともいいようがないが、台風で、しかもアメリカのような先進国で、何千人も死者が出るなどということを誰が想像し得ただろうか。

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聖書 2

 開戦の直前、闘いの神の子・地上最強の戦士であったアルジュナは思い悩む。正義のため、王国全体と領民の幸せのためならば戦ってもよいのか。
 戦えば、しかし従兄弟や友人、叔父や先生を確実に殺すことになる。あるいはいかなるときも戦ってはならず、自分たちが物乞いでもして生きていくほうがよいのか……。
 この、人間のレベルでは答えることのできない究極の問いに対し、神の化身クリシュナが明快な答えを出すのであるが、その部分が『バガヴァッド・ギーター』のハートといわれる第二章である。
 ちょうど先月、その部分の解説が始まり、「私はあなたの弟子。何が正しい道なのか、どうかはっきりとお示しください」とアルジュナが叫ぶ部分で終わった。これに対し、神の化身クリシュナが人としてのダルマを説く部分は圧巻である。
 だがその前に、アルジュナは驚くべき行動に出る。今月(28日)は、そこから始める。「師と弟子の関係」の本質に迫る部分でもある。
事務局より:ご要望が多かったので、28日のセミナー時、シヴァ神の水をふたたびお持ち帰りいただけるようにいたします。

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聖書

『東洋の聖書』といわれる『バガヴァッド・ギーター』。毎月の<プレマ・セミナーで解説をする度に、まさに東洋の聖書の名に恥じない聖典だと感じ入る。
受講される方も同じらしく、一回でも聞き逃したくないという方は、どうしても来られないときはテープを分けて欲しいと言われる。これまでも基本的には録音していたが、今後は是非という方にはお分けしようと思う。
今回が初めて、または久しぶりという方のために解説すると、『バガヴァッド・ギーター』は、世界最大の叙事詩『マハーバーラタ』の一部で、神々から降臨したインド帝王家の物語。
神々の化身である正義の王子たちが主人公であるが、これに対し、悪の権化である従兄弟の王子が同時期に生まれ合わせる。
人の世の常として、彼らは正義の王子らを憎み、妬み、殺害しようと何度も試みるが果たせず、最後は騙してまんまと王国から追放する。
13年後、領土を返還するという約束を果たすどころか、草木の一本も渡さないと宣言する彼らに対し、あらゆる努力のかいもなく、事態は開戦へと突き進んでいく。

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