先輩 2

 臨海学校に旅立つ前、実家から寮に戻っていた私の部屋を、友人のSが訪れていた。
 当時、寮での生活は、楽なものではなかった。今なら新聞ネタになりそうな陰惨な出来事が、日常的に繰り返されていた。
 まだ寮に入って日の浅かったSは、かなり苦労していたに違いない。自分たちはなぜ勉強するのか、しかもこのようなつらい日々を送りながらそうする理由は何なのかといったことを、二言、三言口にした。
 だが、そんなことは言わずもがなだと私は思っていた。人生に苦しみはつきものだ。苦しみを超え、勝ち残った者だけが未来の美酒を飲むことができる。私はそう、単純に考えていた。だが彼は、そのような私の返答を待つことなく、部屋を去っていった。
 昼過ぎに山陰に着き、昼食をとると、私たちは早速海に出た。海水浴など、久しぶりだった。準備運動を済ませると、歓びを爆発させ、われ先にと海に向かう。
 ただ、大木神父のグループだけは、神父からいろいろと言い含められているようだった。なんということだ。こんなところまできて訓話とは……。そんなことをチラリと思いながら、私は海に入った。

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先輩 1

今から33年前の夏、中学2年だった私は、島根県の浜田という小さな街に向かっていた。この街の小学校を借り切って、臨海学校のキャンプが張られたのである。
広島から約2時間、バスでの行程は楽しかった。進学校の過酷な期末試験を終え、生徒たちは高揚していた。ガイドさんの話術も軽妙だったが、皆はガイドさんからマイクを奪い取り、さまざまなパフォーマンスを繰り広げた。
実は当時、広島市の学校では、水の事故が連続して起きていた。一昨年は広島大学付属中学で、昨年は私立の名門・修道中学で死者が出た。だから今年は、わが広島学院が危ないぞと、冗談を言う者がいた。「二度あることは三度ある」と言う者もいた。
そうかもしれないと、私も思った。だが、飛行機に乗る前から、落ちるかもしれないと予測する者など一人もいない。車に乗るときだってそうだ。県内屈指の進学校で二年続けて水の事故があったことすら、大変低い確率のことが起きたのだ。三年目の今年、われわれが犠牲になる確率はさらに低い。私はそう思っていた。

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瑜伽 3

日々、瞑想を楽しんだ上、もし時間と余力があるならば、より粗雑な肉体や呼吸を調えることができればそれに越したことはない。
そのような人のために、【意識の科学<Art of Meditation>】2nd STAGEでは、瞑想前に短時間行なうのに最適な体操法を教え、3rd STAGEでは呼吸法を教える。
しかし一週間か二週間に一度くらいは、ヨーガの体操や呼吸法をゆっくり時間をとってやってみたいという真摯な希望をお持ちの方もいる。
そういう方のために、このたびヨーガクラスが開講された。一つはシバナンダ・ヨーガと呼ばれる正統的なハタ・ヨーガで、もう一つはアシュターンガ・ヨーガと呼ばれるモダンで斬新なヨーガだ。
いずれのクラスも得難い講師を得ることができたのは神の恩寵という他ないが、シバナンダ・ヨーガの初日には、開講記念としてミニ講演を行なった。和やかな雰囲気の、とても充実したクラスになって、心嬉しい夕べとなった。
事務局より:
アシュターンガ・ヨーガの開講は、10月13日(木曜日)となっています。この日は、午後7時より、青山先生による開講記念ミニ講演『ヴェーダ思想とヨーガの本質』を行ないます。

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瑜伽 2

意識の速やかな進化のため、真の幸福に至るために瞑想が必要不可欠であることは、洋の東西を問わず知られている。瞑想はまた、ヨーガ修行の最終段階としても位置づけられる。
その前に自らの行動を律し、体操によって体を、呼吸法によって呼吸を調え、感覚を統制し……等々を行なうのが先だという考え方もある。しかし実際には、先にそれを完璧にしてから、というのは不可能だ。
ヨーガの初歩段階とされる禁戒や勧戒──すなわち嘘をつかないとか、他の生物を殺さない、いつも聖典を学習する、神を敬い、神と意識を交流させる等々は、それらを完成してからでないと次に進めないとしたら誰の人生も終わってしまう。それらは、実に、意識の進化なくしては成し得ないからだ。
実は、ヨーガ修行のどの段階を行なっても、人は最終的に悟りにまで行き着く。それらのうち、もっとも本質的で効果的なのは、疑いもなく瞑想だ。だから私は、最初に瞑想を教える。自然で、効果が顕著に分かる瞑想。それは完成であると同時に、基本でもある。

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瑜伽 1

瑜伽と書かれて何のことだかすぐに分かるという人は、そう多くないかもしれない。
瑜伽とは、ヨーガのことである。かつては「ヨガ」といわれることのほうが多く、今でも発音のしやすさからそう言う人は多いが、音としてはヨーガのほうがより正確だ。
私が初めてヨーガに接したのは、小学校低学年の頃だ。当時の人気番組『万国ビックリショー』に登場したインドの行者は、その超人的な柔軟性を日本国民の前で披瀝した。最後にチラリと、ヨーガの目的は体の柔軟性ではなく、心身の統一にあるというようなことを言ったと思うが、しかし、あの体操を見せられた後では誰の印象にも残らなかったに違いない。
このようにして、ヨーガとは超人的な柔軟性を養うもの、特殊な体操法、というようなイメージが、かなり定着してしまった。
その後、中学に入った私は、カトリックの修道士からヨーガを個別に習うことになる。そうして初めて、ヨーガの目的は体の柔軟性や健康ではなく、呼吸の統制ですらなく、実に意識の進化と覚醒にあることを学んだ。

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秋桜

沖縄、静岡と、三連休の度に瞑想講座が続いた。
地方、地方で、人間性にさまざまな味がある。沖縄は今回三度目の講座だったが、10年ほど前に初めて講演に行ったときからずっと、温かい感じが変わらない。気候が暖かい以上に、人間性が温かいのだ。それに魅せられてホッと移住する人びとがいるのが、私にも大いにうなずける。
一方、静岡人はとても興味深い人たちだ。彼女らの質問も興味深ければ、彼女ら自身もすこぶる講座を楽しんでくれた。教えていてこちらが楽しくなってくる。
最近、頻繁に台風が発生するので、沖縄での台風を内心恐れていたが、前日までの雨が嘘のように三日間快晴だった。逆に静岡で、台風がかすった。たまたま泊めていただいたマンションはすぐ目の前が海だったが、岩礁に当たって砕ける波しぶきは壮大で、部屋の中まで潮の香りが吹いてきた。
東京に帰ると、突然、秋になっていた。道端にポツリと咲いていた秋桜が、今年ももうそう長くはないと告げているように感じられた。
事務局より:
10月2日の<プレマ・セミナー>では、前回解説が終わらなかったギーターの詩節から、<瞑想くらぶ>ではやはり途中となったメジュゴリエの聖母のお話から始めます。出席された方は、前回のプリントをお持ちいただければ幸いです。新規の方の分は、ご用意しております。

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美学 9

人生とは何だろうかと、私は思う。ときどき、神はわれわれにとって目一杯の試練を与える。
それを見事、克服できることもあれば、叡知を結集し、できることのすべてをやって尚、負けることもある。
だが、後で考えれば、それらのすべてが生命としての進化に役立っている。もっとも速い進化が得られるよう、自然界がすべてを取り計らっているかのようだ。
一夜明けて、大山峻護君から来たメールには、痛めていた背中についても、圧倒的な体格差についても、ほとんど触れられていなかった。
悔しい。でも、みんなの祈りのおかげでここまで戦えた。これも神から与えられた試練と思い、もっと研鑚を積み、瞑想し、強くなりますと書かれていた。
このような男を友人に持てたことを、私は今、心の底から誇りに思う。

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美学 8

勝った! ……私を含め、会場のすべての人がそう思った。
前へ前へと出ていけば、どんなに強い相手にも一瞬のスキが生じる。それは、頭で考えてやれることではない。長年、さまざまな格闘界で戦ってきた大山峻護の、動物的カンがそうさせた。
ところが次の瞬間、会場全体が唖然としていた。相手を倒し、寝業に持ち込んだはずの大山君のほうが、身動きがとれない。サム・グレコは彼を下から抱きかかえ、まったく動けなくさせたのだ。一体どうなってるんだ、大山はチャンスじゃないか……。会場の多くの人がそう思ったに違いない。
だが、それが体格差というものだった。大山峻護は動くことができないどころか、ほとんど窒息させられそうな脅威を感じていたに違いない。そうして別れたときには、いつの間にか彼の顔面が鮮血に染まっていた。
満を持して持ち込んだ寝業を封じられ、逆にスタミナを消耗した彼に、空手王の拳と脚が容赦なく浴びせかけられる。大山も必死で防戦するが、この好機を逃すほど、空手魔王は普通の人間ではなかった。

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美学 7

もし自分だったらどうするか……。私は咄嗟にそんなことを考えていた。身長・体重ともに圧倒され、全身これ筋肉の塊、技も円熟期を迎えている王者とやれと言われたら。
私なら、間違いなく、試合そのものを変更してもらえるよう交渉したに違いない。どの格闘界出身でもいい。とにかく体重が同じレベルの相手ではないと、格闘技は圧倒的に不利なのだ。
もしそれがだめで試合場に出てきてしまったら、では、何とか格好をとりつくろうにはどうしようかと、考えたかもしれない。そしてそれは、必ず試合中の姿勢に現れる。どこかで腰が引けていたり、後退したり、踏み込みが甘かったり、どんなに隠そうとしても気持ちがそこに現れる。
だが、大山峻護は違っていた。あの体格差で圧倒的な相手に対し、真っ向から勝負を挑んでいった。この日の試合、他のすべての試合が、体重が均衡した者同士の戦いだったのに、彼だけが、これほどのハンデを背負って戦っていた。
前へ出て、空手王と互角に打ち合う。そうして一瞬のスキをついて、彼が足をとった。相手をリングに這わせ、寝業に持ち込んだのだ。

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美学 6

いよいよ大山峻護が花道に登場したとき、私はもう何と言っていいか分からなかった。
私は知っていた。彼の体調が万全にはほど遠いことを。左右両目の網膜剥離。手や足の関節の脱臼。それらに加えて、今回、彼は背中を痛めていた。空手界の王者を迎え撃とうというときに、満足な練習ができない。それが彼をどんなに苦しめているか、私には痛いほど分かっていた。
花道を下り、リングを前にして、彼はしばし祈る。勝たせてほしい……というより、力を出し切らせてほしい。そんな祈りだったのではないか。長い、ながい祈りの後にリングに上がった彼は、思い切り、両足で四股を踏んだ。
ところが、続いてリングにサム・グレコが現れたとき、私は愕然とした。あまりに体格が違い過ぎる。身長で11センチ、体重で20キロ。昔、ボクシングをかじっていた頃、ほんのわずかの体重差でもパンチの重みがまったく違うことを、私は体で覚えていた。
しかも相手は、曙のようなブヨブヨした重さではない。鍛え上げた、鋼のような体をしている。

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