第十一回 〜シンガポール・スリランカ〜 一日目

(久々のアジアの旅となった第11回『大いなる生命と心のたび』は、先般、全員が元気にお帰りになり、また、私も遅れて帰国した。恒例の旅日記を、少々遅れて掲載したい。)
いつも通り、睡眠2時間で空港へ向かう。そしていつも通り、久しぶりにお会いする皆さん、初めてお目にかかる皆さんを目の前にしてすっかり疲れを忘れる。
世界一のサービスと定評があるシンガポール航空で、まずはシンガポールへ。着後、入国手続きを済ませ、バスに乗り込む。すべてが清潔で、スピーディーな国だ。
バスの前で待っていたのは、顔も体型も、大相撲の小錦を一回り小さくしたような男だった。ところがこの人、日本語が上手い。団地やマンション、戸建て、車の値段を引き合いに出しながら、巧みにシンガポール人の暮らしぶりを説明してくれる。
ついにオーチャードロードに入るや、思わず歓声。クリスマスのイルミネーションで、街全体が輝いている。今まで何度もシンガポールに来たが、この季節は初めてで、華やかさに驚いてしまう。
続いて、クルージングへ。だが……やって来た船を見て一同ふたたび驚く。ついさっきまでの都会の華やぎから一転して、来たのは古きよき時代の木造船。いやいや、難民船だという声も。
船の中ではシンガポールの歴史を日本語で聞き、美しい夜景を見ながら、マーライオンの港に着く。機内では、食後のデザートに大きなアイスクリームが配られたが、女の子たちはここでふたたびアイスクリームへ。
空港への帰路、小型小錦にいろいろな質問をして盛り上がる。しかしそれにしても、どうしてそんなに日本語がうまいのか。そう聞くと、彼は笑って言った。
「私、実は小錦の弟なんです」
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シンガポールのクリスマス
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ラッフルズホテル
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船上より
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マーライオン
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アイスクリーム屋の前で
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アイスクリームの少女たち

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英知

生命の英知はどこにあるのでしょうか。そう聞かれたら、それはここにある、そこにある、あそこにある、どこにでもある、と答えるしかない。
生命の英知は、科学のなかにある。文学のなかにある。芸術のなかにある。そして太古の科学のなかにもある。そのように頭では知っていても、実際にそれは体験するまで分からない。
昨年の4月に【意識の科学<Art of Meditation>】1st STAGEを教え始めて、そのことを常に実感してきた。先日、お教えした2nd STAGEでは、「これまでよりも速く、深く入れるようになった」「マントラに力が増した」というような通常の感想に加えて、「体のなかを黄金の光が満たして、瞑想を終える気がしなくなった」といった感想も、いくつかいただいた。
瞑想はわれわれに、普通に健康や明るさ、幸福を与えてくれる。だから、日常生活のなかで、われわれは自分のなすべきことを淡々としていればよいのである。
しかしその道すがら、神々が、自然界の秘密の一端を垣間見せてくれたのかというようなこともある。そのようなことを可能にしてくれたヴェーダの科学のなかに、特別に英知を感じるのはそんなときだ。

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募集 2

<プレマ倶楽部>では、2005年クリスマス企画として、この川に橋を渡すことを計画している。
この橋は、これから自立する地雷障害者だけでなく、周辺の村の人びとのためにも必要だ。現地スタッフによれば、この橋がなければ地域の発展はあり得ず、地元の行政府(県庁)からもどうしても作って欲しいという要請があった。
実は、すでに<プレマ倶楽部>会員の皆さんには、この橋の名前を募集している。日頃の瞑想で鍛えた創造性を駆使してさまざまに高尚な、または楽しい名前が集まりつつあるが、この場を借りて、一般の皆さまからも募集させていただきたい。
関心のある方は、info@lightfield.co.jp 宛てに、①橋の名称②そのココロ(意味、由来等)③ご本人のお名前をお送りいただけたら、とても嬉しい。
ところで、楽しみにしていたスリ・ランカ旅行も近づいてきた。スリ・ランカはヒンドゥ教徒よりも仏教徒のほうが圧倒的に多い国だが、旅行終了後、私は行程に入れることの不可能な場所を訪ね、困窮する人びとを支援する僧侶らにお会いする。そのなかには、津波被災者も含まれる。
このエッセーをお読みの旅行参加者の方で、スーツケースにまだ余裕があるという方がおられたら、使わないTシャツやジーンズ、いただきもののタオル、洗濯した古着等を少量、お持ちいただけるとよいかもしれない。

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募集 1

コンビニの店先に、年賀はがき印刷の広告旗が立っていた。クリスマスのイルミネーションを始めた店もある。
その上、結構暖かだった気温も今日あたりから急に下がってきた。今年ももう、それほど多くの時間が残されていないことがにわかに感じられるような、そんな時節となった。
さて、<プレマ倶楽部>では以前より、元毎日新聞記者・村田みつおさんによるカンボジアの自立村支援を行なっている。
ホームページ上でもご紹介したように、これまでに農業、および生活用の井戸<プレマの泉>を10本、また、地雷障害者の皆さんが入居するための家<マリアの家>を一軒寄贈してきた。
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プレマの泉
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マリアの家
これらに加え、自立村では現在、これから地雷障害者が自立した場合に入村する土地の開墾作業を行なっている。
ところが、約30hrあるこの土地は川で隔てられていて、現在は板切れが渡されているだけである。人びとはソロリソロリとその上を、または水に浸かりながら川を渡る。

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戦い

K1・HEORS’が、韓国に進出した。格闘界から足を洗ったはずの私も、見逃すことができない。大山峻護君が出場するからだ。
大山君は、日本の誇る柔道エリートだ。より広範な強さを求め、全日本サンボ選手権も4連覇、総合格闘界に進出した。
だが、格闘家としてこれからという時期に不運に見舞われる。2001年に右目、そして2003年には左目も網膜剥離となり、絶対安静を強いられる日々が続いた。だが、「手術の経過しだいで、現役復帰もできるかもしれない」という状態から、精神力で復活した。
今回の相手は、韓国ムエタイのヘビー級王者ガク・ユンソプ。壮絶な打撃の応酬が予想されたが、大山は自分の土俵で戦うことを決めていた。
試合が開始されて早々、相手をつかまえて投げをうつ。ガクはグラウンドの防御も充分に研究していたようであったが、しかし、大山峻護が一瞬のスキをついて足をきめた。
画面で見ていて、最初、何がきまったのがわからないほどの早技だった。試合時間1分15秒。背中の痛みは未だ完全に癒えていないはずだが、まったく問題にならない強さだった。
『すべてを力に』が大山君のモットー。勝っても、負けても、彼はそこから何かを学ぶ。そうして、さらなる強さへの探究が続いていく。

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先輩 7

私は、彼の風貌を忘れていなかった。出席者の名簿には「三谷幸洋」、まさにその人の名があった。
おおよそ30年ぶりにお会いした先輩は、今はある通信系トップ企業の幹部である。
光栄にも私のことを覚えてくれていて、「昔と変わらないね」と声をかけていただいた。が、変わらないのは先輩のほうだった。深みのある声、爽やかで知的な風貌。 実は、11月2日付けで書いた離岸流の条件は、その後彼から教えられたものだ。
話は、高校の執行部から、あの海の事故のことに及んだ。先輩は、亡くなったわれわれの同級生の名を覚えておられた。そして遠くを見つめるような眼差しで、本当に残念な出来事だった……とため息をついた。
あのとき、溺れていたわれわれは、大きな運命に弄ばれているかのようだった。何名かの教師を含め、大海に浮かぶ木切れか、それ以下だった。
そんな中、獅子奮迅の働きをしたその人は、あの事故のことを、まるで自分の責任ででもあったかのように口にされたのだった。

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先輩 6

 はっきり言って、人生は危機の連続である。しかし後にも先にも、生命の危機に瀕したのはその一度きりだった。
 だが、私よりも沖に流されていた者が一人だけいた。それがSだった。Sがわれわれのもとに戻ることは、二度となかった。
 それにしても、あの大波のなかを自力で泳ぎ、かつ後輩を助けようとしてくれたあの先輩は、いったい何という技量と体力の持ち主なのだろう。そんなことが中学二年の私に、強く印象に残った。
 その先輩は、後に高校三年時、生徒会組織を建て直すという仕事をされた。硬直してほとんど何の機能もしていなかった生徒会に執行部を設け、精力的に校務に携わった。
 太く、優しい声に、爽やかな弁舌。寮生活のなかで先輩というものを恐れるようになっていた私にとって、彼は思いもかけぬヒーローだった。高二のクラス委員として、彼の新しい試みに参画することができたのは光栄だった。今も私は、「(自民党)執行部」という言葉を耳にすると、あの頃のことを思い出す。
 そして先日、霞が関で、ある会合に出席した私は、目を疑った。あのときのヒーローが、そこにいたからだ。

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先輩 5

 必死で泳いでいるのに、岸には近づかなかった。しかも体力は、急速に消耗していた。手も足も、だんだん棒のようになってくる。山陰の冷たい水で、体温も奪われていっていた。もうじき、体が動かなくなることが予感された。しかしそれでも、大波は動きを止めなかった。
 死ぬのか……。いや、死ぬに違いない。そうだとしたら、人の死は、なんとあっけなく訪れることか……。
 森鴎外の『山椒太夫』のなかに、姉の安寿が妹の身代わりになるかのように、入水していくくだりがある。
 他人にために死ぬなら、その死にも大いに意味があるだろう。だが、自分は今、自らの不注意やふがいなさのために死のうとしているのである。それは、美しい文学や芸術の世界とは似ても似つかないものだった。溺れて死ぬことがこんなに苦しいなど、今の今まで知らなかったと私は思った。
 あのとき、もしロープが来なければ、私は確実に死んでいた。私はロープの端の結び目につかまり、必死で息をこらえた。
 そうして気がついたら、砂浜に横たわっていた。昼に食べたものと飲んだ水は、すべてその場に吐いた。

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先輩 4

 今にして思えば、それは典型的な「離岸流」だった。
 離岸流は、以下のような条件下で発生する:
1)海岸が太平洋や日本海等、外洋に面している
2)遠浅で、海岸線が長い
3)波が海岸に対して直角に入っている
 だが、われわれにはそのような知識も、意識もなかった。
大波は、次々と打ち寄せてきた。その度、体は大きく宙に浮く。が、波が去ると、まるでジェットコースターのように奈落の底に落ちていく。一番下では、なんと足に砂が触れていた。
「足が着く!」「足が着くっ!」
 一学年上の水泳部の先輩が、そう言って励ましてくれた。が、すぐに次の大波が来る。波の頂点から下を見ると、そこは真っ黒で何も見えなかった。そうしてまた、体は岸からはるかに遠ざかっている。
 昔読んだ芥川龍之介の『蜘蛛の糸』には、血の池地獄で罪人たちが浮いたり沈んだりしているのが見えた……という記述があった。今まさに、自分がその状況に陥っていた。

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先輩 3

 久々の海水浴は鮮烈だった。水は冷たいが、入ってしまえば気持ちがいい。
 水に体を浮かべ、空を見た。美しい青と、雲の白。潮の香りと吹き抜ける風……。それは、厳しい寮での生活や、期末試験を終えたわれわれに与えられた、一つの褒美のようにも感じられた。
 ところがそのうち、私は自分の体が奇妙に、そして大きく上下していることに気づいた。おかしいと思ったたとき、すでに岸は遠ざかっていた。急速に沖に流されていたのである。
 引き返さなければ……そう思って必死に泳いだが、岸はなかなか近づかない。周辺では、やはり何人かの生徒や、教師すらもが浮き沈みしていた。彼らもまた、流されたのだ。
 一学年上の水泳部の先輩が追いついて来て、助けようとしてくれる。だが、いかな水泳部の力をもってしても、二人分の体を岸に近づけることはできなかった。

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