大晦日

一年のうちで、この日が一番好きだ。
いいことも、悪いこともあった。達成もあったし、達成できなかったこともあった。だがいずれにしても、自然界がすべてを呑み込み、終わらせてくれる、この日が好きだ。
同じ意味で、私はもしかしたら、人生の大晦日ともいえる日を一番好むかもしれない。
長い人生の間に、いいことも悪いこともあった。子供の頃、家庭で、学校で、何がしかのものを達成し、何がしかのものを達成できなかった。中学、高校、大学、大学院と進み、何がしかを得、何がしかを失った。今もなお、理想と現実の間で悩んだり苦しんだりしている。
しかしそれでも、そのようなことのすべてを呑み込み、終わらせてくれる日がいつか来る。そのとき、いろいろあったけれどもいい人生だった、できるだけのことはした、自分のためにも、人のためにも……。そんなことを思いたい。
そして毎年、こうして大晦日が速やかに訪れるように、人生のその日もまた、速やかに訪れるに違いない。

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聖夜 2

ことほど左様に、世間を生きていくのは困難なことではあるが、それでは一体、どんな人が幸福になるのかと、ときどき思う。
健康で、良識と教養を兼ね備え、仕事も家庭も充実していて、豊かで敬虔な心を持ち……等々の諸条件をすべて満たせる人は、なかなかいない。
個人の幸福は社会全体にも影響される。しかしそれでもなお、個人の幸福の最大の条件の一つ、または原点ともいえるものは、他者のために生きられるかどうかという点かもしれない。
そのように生きられる人は、他人を幸福にしているようで、実は自分が幸福になる。逆に、他人を犠牲にしながら幸福を築こうとしている人は、うまく幸福になれるかといえば、実際にはなれない。
この法則に一見反するように見える例もなくはないが、しかし最終的に、彼らもこの法則から逃れることはできないだろう。それが自然界の、そして生命の法則だからだ。
今からおおよそ2000年前、中東の寒村に生まれた人は、そのような生命の法則をより広範に説いた。いや、彼自身の存在が、生命の法そのものだった。
事務局より:
2005年クリスマス企画として募集していたカンボジアの橋の名前には、たくさんのご応募をいただきました。心より御礼申し上げます。
お寄せいただいた名前はいずれも甲乙つけがたいものでしたので、それらをリストアップし、12月18日の<プレマ・セミナー>においでいただいた皆さんに投票していただいきました。その結果、『希望の橋』が一番多くの“票”を集めました。
「自立する地雷被害者と周辺の村の人びとの幸福、そして地域の発展を願って」という発案者のお気持ちも今回の企画にぴったりだと思われましたので、謹んでこれを採用させていただき、発案された平岡千鶴様には青山先生よりささやかなクリスマスのプレゼントを贈らせていただきました。また、応募いただいた皆さま全員にも、感謝賞をお贈りしました。
なお、橋の建設はカンボジアで雨の少ない来年2月頃を予定しています。どんな工法で行なうかを1月までに検討し、完成は初夏頃になる見通しです。日本でのような完璧な工事は実際上困難ですが、末永く使っていただける頑丈な橋にしていただけるよう、要望を出しております。
皆さまのご協力に、心より感謝いたします。

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聖夜 1

世界中が聖なる夜を祝うこの日、社会全体の状況も神聖かつ幸せ、というふうには必ずしも見えない。
世界にあまりに多くの不正や不幸があるのは言うまでもないが、豊かな国日本でも降って湧いたかのような耐震偽装問題が世情を賑わしている。
しかしある知人は、そんなことがあるのは“当たり前”だと私に言った。普通にやっていたのでは利益なんか出ないんだ。だから手を抜けそうなところは思い切り手を抜く。たまたま今回の場合は派手に法令の一線を超えたものだから目立っただけだというのである。
そうは言ってもなお、この問題はある種、運の悪い人のことだと心のどこかで思っていた。
ところがここへきて、友人の一人が打ち明けてくれた。自分が住んでいるマンションが、まさにこの偽装物件であったのだと。最近、何かもの思っているようには感じていたが、彼はなかなかそのことを打ち明けてはくれなかった。余計な心配をさせまいと思ったのに違いない。
だが、そうした物件はこれからまだまだ判明するだろうし、その他の種類の不正もまた、至るところで判明していくに違いない。

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聖書 3

昨日、その第一章と第二章の一部を解説する特別講座が終わった。ちょうど前回の<プレマ・セミナー>で解説したところまで、一日半をかけて語った。
悩み苦しむアルジュナに対し、尊主クリシュナがダルマを説く、『バガヴァッド・ギーター』のハートと呼ばれる部分の入り口までである。
アルジュナは、クリシュナによる真理の言葉を聞いて、すんなり悟りを啓くのではない。「それでも自分には分からない」と、クリシュナに問い続ける。それに対してクリシュナは、さらに驚くべき存在の神秘を語り続ける。
このようなセミナーの楽しみの一つは、皆さんからの質問にある。それらは、多かれ少なかれ、一般の方がどんな点に関心や疑問を抱かれるのかを私に教えてくれ、さまざまに興味深い。
これからさらに、『東洋の聖書』の心臓部分に突入していくとどんな質問が出てくるのかが、私にとっての楽しみの一つだ。
「この続きは18日の<プレマ・セミナー>で」ということで昨日はお別れしたが、18日の<瞑想くらぶ>では、これまでの『バガヴァッド・ギーター』解説について皆さんからメールで寄せられたご質問にも、まとめてお答えする予定でいる。

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聖書 2

『聖書』といえばわれわれが思い浮かべるのは、イエスの言行を記したものである。
だが、人類の持つ『聖書』はそれだけではない。それぞれの人に、それぞれの「聖書」がある。自分の人生を変えた、最も大きなインパクトを与えた書物が、それぞれにあるものだ。
亡くなった宮下富美夫さんは、私の『真実のサイババ』を「現代の聖書だ!」と評してくださったことがある。が、もし、真に聖書の名にふさわしい書物を一つだけ挙げよと言われたら、私は迷わず『バガヴァッド・ギーター』を選ぶ。
西洋の聖書も旧約聖書は分かりにくいが、イエスの言行録の部分はたとえ話などがふんだんに用いられ、大変分かりやすい。
それに比べて、この「東洋の聖書」は少々難解だ。だが、そのなかでは神の化身クリシュナが、真理そのものを直接的に述べている。

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聖書 1

一年のこの時期、キリスト教国でない日本でも、聖書やキリスト教の雰囲気を多少感じることができる。
渋谷の街頭に立てば、サンドイッチマンのような格好をしたおじさんが、『悔い改めよ、神の国を近づいた』などと人びとを諭している。
この名物おじさんのすることは、必ずしも正統的キリスト教のやり方ではないとしても、2000年前、30年だけ生きて死んでいった神人の言葉が、今もさまざまな形で東洋の島国に生き続けていることは事実である。
ちなみに、人類に印刷技術がもたらされたのはおおむね550年ほど前のことだが、爾来、印刷された最大のベストセラーは何かといえば、それは疑いもなく『聖書』である。
もともとグーテンベルクは、聖書を効率的に印刷したくて活版印刷を発明した。彼はその発明のために借金を重ね、返済が滞って機械を差し押さえられることあったという。
だが、彼の願いは現実のものとなって、今ではわれわれは簡単に、廉価な聖書を手に入れることができる。

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第十一回 〜シンガポール・スリランカ〜 五日目

参加者の皆さんはアジア最大といわれるシンガポール・チャンギ国際空港で、二時間の買い物を楽しまれたことだろう。あるいは、空港内の郵便局から日本の家族、友人宛てに手紙を出されたかもしれないし、シンガポール式フットマッサージを楽しまれたかもしれない。いずれにしても、二時間では堪能しきれない、楽しい空港だ。
一方私は、夜中、空港からふたたび内陸部まで走っていた。地元の僧正にお会いして、古着を手渡し、ささやかな寄付をするためだ。
僧正は、韓国にもお寺を持っておられる。大変清らかな方で、地元では誰からも尊敬されていると聞いていたが、お会いして納得した。
話をうかがうと、いろいろな面が見えてくる。たとえば、キリスト教徒にはキリスト教徒の、イスラム教徒にはイスラム教徒の学校があるが、それらの学校には他宗教の子は入れない。
貧しい仏教徒の子は公立の学校にしか行けないが、公立校は無料という建て前とは裏腹に、椅子や机の数が足りないとか定員オーバーということで、入学できないことが実際にはあるという。そういう貧しい仏教徒の子を、このお寺では無料で教育している。
僧正はまた、津波の被災者たちにも施しをしている。お会いした被災者の一人は、たまたま旅行業に携わっていた。外国人のツアーを世話して内陸部にいた間に、南部の海岸で家は津波に呑み込まれた。帰ってみると、家族も、家も、すべてがなくなっていたという。
本堂の裏手に案内されると、小さなお堂が建てられつつあった。瞑想のためのお堂だという。寄付金の使途については僧正におまかせしたが、いずれにしてもわれわれの寄付は子供の教育や津波被災者の援助、または瞑想堂の建立などのために使われる。
移動中、たまたま見覚えのあるTシャツとジーンズを着て駆け回る子供を見つけたことがある。それはまさに、私が現地に持参したものだった。そのようなものを着たことがなかったであろう子供は、ただ無心に楽しそうだった。
他の参加者の皆さんがお持ちいただいたものも、今頃こうして役立っている。この国に来て本当によかったと実感した瞬間の一つだった。
一方、滞在中の数日間、私のわがままを聞き続けてくれたドライバーは、最後にぽつりと言った。「私も母を、津波で亡くしました……」。津波や貧困についてさんざん車中で話していたのに、ドライバーは一言もそんなことを言わなかった。
母親は80歳だったという。体力のない彼女は、津波の襲来にひとたまりもなかった。息子はどんなに悲しかったか……。
ほんの少し、その話をする間に、ドライバーは涙声になっていた。それでも、仏陀の教えによれば、それは過去世からのカルマによる。だから耐え忍ばねばと、彼は言った。
12月26日、一周忌がくる。よい一周忌を営むようにと、わずかのお見舞金を最後に渡した。
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お寺の小学校
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これが本当の寺子屋
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僧正様と
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スリランカの小学校
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津波で破壊された家の跡
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ありし日の家族
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スリランカの仏師
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作品
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田植えをする女たち
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手相観の老人
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母親を亡くしたドライバーと
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昼食の風景

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第十一回 〜シンガポール・スリランカ〜 四日目

ホテルで風味豊かなスパイスを駆使したスリ・ランカの朝食を堪能した後、コロンボに向かう。
途中、リクエストもあり、宝石商へ。宝石を掘る場面をビデオで見た後、実際に研磨・加工するのを見せてもらった。美しい女性参加者たちの目が、ますます美しく輝いたように見えたのは、私だけか……。
その後、バスは象の孤児院へ。拾われてきた野良象を育ててやる場所として有名だ。子象と触れあい、戯れて一同、感激。それでも立ち去り難く、ずっと居残っていると、授乳もさせてもらえることになった。
コロンボ着後、民芸品店に寄ったとき、一人の女性がつぶやいた。
「ヒンドゥ教の寺院にも行きたかった……」
「ヒンドゥ寺院にもちゃんと寄りますよ」。ガイドさんに念を押すと、
「もう閉まってるかもしれませんね……」
とにかくヒンドゥ寺院に向うと、案の定、閉まっている。しかしそれでも近くまで行ってみると、なんと中から僧侶が開けてくれた。今まで、インドで何百回となくヒンドゥ寺院に行ったが、一旦閉まったものを開けてもらえたことは一度もない。そのために、一日足止めを食ったようなことも何度かある。が、これがこの旅行参加者の皆さんの功徳か……。
ちなみに祭神は、中央のご像の脇に、お二人の妻を従えておられた。占星学の神であり、結婚の神でもあるムルガ神である。
夕食後、空港へ向う。この人たちと一緒にこのまま日本に帰れたらどんなにいいだろう……。空港の、ここから先へは行けないという地点まで来て、皆さんを抱きしめたい衝動にかられるが、しかしそれはできなかった。
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輝く瞳
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輝く頭
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母子象
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仲良し
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大迫力!!
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おいしいかい?
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おいしいかい??
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おいしいっ!!
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黄金の仏像
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ムルガ神の寺
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慈仏
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御仏の番犬

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第十一回 〜シンガポール・スリランカ〜 三日目

スリ・ランカで絶対に見逃せない遺跡を一つだけ挙げろと言われれば、やはり仏歯寺だ。
美しい湖畔にあるこの寺は、紀元前6世紀に仏陀が入滅後、これを火葬した際に採取された歯を祀ったことで世界的に有名になった。当然、そこに至るには数奇な変遷があっただろうが、今はこの寺で日々、仏教僧らの拝礼を受けている。
その前にわれわれは、午前、午後と入れ代わりでアーユルヴェーダのマッサージを堪能し、古都キャンディを観光した。
夜になって、キャンディに伝わる踊りを見学。きらびやかな衣装と軽快、壮麗な踊りの後は、いよいよ火渡りの業へ。業場へは赤々と燃える炭が敷きつめられ、その熱で顔が火照る。(この上を、本当に歩くのか……)そう思っていると、再登場した男性の踊り手たちは、躊躇うことなく火の上へ降り立った。
その昔、スリ・ランカの魔王に囚われの身となったシーター姫は、救出された後、人びとから貞操を問われる。疑いを晴らすため、姫は目の前にあった火のなかに入っていったが、純潔な彼女を火は優しく包んだという(ラーマーヤナ)。そのことにちなんだ業だというが……圧巻。
興奮さめやらぬわれわれは、そのまま仏歯寺へ。一般の巡礼者は遠くのほうから一瞬だけ拝むことのできるそれを、われわれは部屋の中まで案内されて拝礼した。思わず、神聖な波動に呑み込まれる。
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アーユルヴェーダの館
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マッサージ室入り口の仏陀
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市場の見学
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押し売りとの攻防
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キャンディ湖の孤島
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キャンディアンダンス
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炎の舞
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本当にこの上を歩くの?
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仏歯寺入り口
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この奥に仏陀の歯が・・・
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仏陀に花を捧げる
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ヤシの葉に書かれた経典

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第十一回 〜シンガポール・スリランカ〜 二日目

朝、目が覚めると外は雨。これで気温が下がり、凌ぎやすくなる。恵みの雨だ。そして雨は1、2時間で止む……と思われた。私も、添乗員もそう思っていたし、ガイドさんもそう言った。が、この雨、いつまでたっても止まなかった。そのうちに、バスはシギリアに着いてしまう。
太古の昔から仏教僧たちの修験場であったシギリアの大岩にカシヤパ大王が城を築いたのは、今から1500年ほども昔のこと。今は城こそないが、その壮大さには驚く。
小雨の中、岩山を登っていくと、謎の美女壁画にたどり着く。十数世紀を経てなお、妖しく微笑む壮麗な美女を目の前にして、一同思わず息を呑んだ。その場にとどまること、半時間。われわれは息を呑み続けた。
バスに戻ってからガイドさんが言った。「今日はラッキーでしたね。普段ならひっきりなしに観光客が訪れて、あんなにゆっくりはしていられません」
その後、王朝の香りをたたえる古都キャンディへ。途中のスパイス園で、面白い日本語の説明を聞き、巧みなマッサージを受けると、皆さん思わずうっとりとする。
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これからシギリヤロックへ
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シギリヤロック入り口
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シギリヤの美女たち
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ナゾの巨石
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伝統のろうけつ染め
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極楽、極楽・・・

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