聖母 2

本のなかで書いたことがあるが、修学旅行のバスのなかで、クラスの誰かに普段は聞けないことを聞きましょう、というコーナーがあった。私に対するそれは、「理想の女性は??」というものだった。
それに対し、答えは自然に口をついて出た。『マリア様のような方です……』
この答えに、悪ガキどもは大いに沸き立ったが、ふと見ると、斜め前方に座っておられた大木神父も、苦笑を隠しきれない様子だった。
そんなマリア様に向かう旅を、私が何度もすることになるとは、当時は誰も思わなかったに違いない。
私は東大に行くかもしれない。しかしそれと同じくらいの確率で修道院に入るかもしれないと思われていたのだから。
実際、高校を出て、すぐに修道院に入る可能性が私にはあった。大学を出てそうする可能性もあった。社会に出てからそうする可能性もあったし、未だにそうしたいと思うことがある。

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聖母 1

男というものはいつも、心の奥底で永遠の、女性的なるものを追い求めている。単純にいえば、自分にないものを求めている。そのことに気づいたのは、親元を離れ、中学・高校時代を寮で過ごしていたころだったように思う。
今はかなり開発されたようだが、この学校は当時、広島市の西のはずれの山の上に、修道院、寮とともにぽつねんと建っていた。
その内実がどのようであったかは、最近、ポカラの会の倉光誠一先生が著された『広島学院物語』を読んでいただくといい。一つの学校が創立され、そのなかで教師も生徒もさまざまに苦悩しながら多感な年代を生きていく姿がよく描かれている。
この学校は、カトリックの男子修道会の中でも「キリストの軍隊」を自認するイエズス会が創ったものだ。
そこには、ほとんど女性っ気というものがなかった。図書室のおばさんと、保健室のおばあさん以外には。そんななかで、永遠の、崇高な女性性に憧れていたわけだから、当然、その対象は生身の人間ではあり得ない。こうして私の、聖母マリアへの密やかな思いが始まった。

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名誉 3

拘置所に入る護送車を見ていて、本人はともかく、この映像を見ている親御さんはどんな気持ちであろうかと、私は思った。今まで自慢の息子だったものが、一転、推定犯罪者として満天下に名を晒しているのである。
「名誉」というものをどう考えるかは、なかなかに簡単ではない。「何よりも名誉を重んずる」という考え方は、大和民族の長年培ってきた美徳とされるが、「地位も名誉もいらない、私はただ、清く生きたい」と言ったとき、それもまた美しい。
しかしおそらく、この二つは必ずしも矛盾しないのである。前者で重んじている「名誉」は、人間としての真の名誉のことであるに違いない。
また、後者で否定される「名誉」は、おおむね世俗的な地位のようなものを言っている。だから本当は、ただ清く生きているような人にこそ、人間としての真の名誉がある。
東洋の聖書『バガヴァッド・ギーター』のなかで、尊主クリシュナが「名誉」について深く語る場面が第二章にあり、ちょうど今度の日曜日の<プレマ・セミナー>で登場する。神の言葉を容易に理解することはできないが、神の視点から見た「名誉」を、可能なかぎり分かりやすく解説したい。

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名誉 2

かつて、新井将敬という自民党の政治家がいた。
彼が世に出たときの颯爽としたさまが印象的で、私は今も覚えている。政治をよくしたい、いい国を創りたいという若者の意欲が発散していた。
ところが、その彼も政界の波間に浮き沈みする間に、さまざまに違法なカネ作りに手を染める。政治改革を期して自民党を飛び出、親分の後ろ楯を失った彼は、狙い撃ちするに容易だった。そうして立件され、逮捕が間近いといわれたある日、ホテルの一室で首を吊った。辱めを受けるよりは、いっそ死のうと思ったのである。
一方のホリエモンはといえば、容疑を否認し、徹底抗戦の構えだという。なんとかしてこの難局を乗り切り、復活を果たそうというエネルギーがまだ残っているようだ。
だが、仮に報道されているようなことが事実なのであれば、ホリエモンは名を惜しみ、ここは事実をしゃべったほうがよいのではなかろうか。それが、ホリエモンが最後に名誉を保つ唯一の道のように傍目には思われるが、本人は本人でまた、別のことで頭がいっぱいなのだろう。それが人間というものだ。

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名誉 1

「ホリエモンは違法行為に手を染めている」
「いつか逮捕される日が来るに違いない」
去年、そんなことを知人から聞いた。あまり気にもとめていなかったが、その日がこれほど速やかに訪れようとは思いもよらなかった。
ホリエモンが乗ったとされる車が東京拘置所に移動するさまを、マスコミ各局は繰り返し流し続けた。
つい先日まで時代の寵児ともてはやされ、ホリエモンの行く先々に人びとが群がった。リビングだけで43畳、家賃220万の六本木ヒルズに住み、世の中にカネで買えないものはない、特に「食」にはカネを惜しまないのだと豪語していた。その彼は、今は空調のない3畳一間の独居房で、何を思いながら眠りについているのだろうか。
ホリエモンを持ち上げたのは自民党だけではない。マスコミも、この一年間、彼を驚くほど好意的に取り上げてきた。そのマスコミは今、ホリエモンを選挙で応援した人びとだけでなく、構造改革や規制緩和そのものをこき下ろそうとしているようにも見える。

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祈り 5

私にはしかし、一抹の懸念があった。
『元横綱 曙vs.究極の素人ボビー・オロゴン』
こういう試合のほうを、テレビ局は好むのである。
危惧していたことは現実となり、曙vs.ボビー・オロゴンの、特に見るべきところのない試合が延々と流れた後(なんと曙はこの素人にも勝てなかったのだが……)、時間は残っていなかった。
日本の若者が、身体が二周りほども大きいK-1の超人を30秒で撃破したというのに……。結果、私はTBS番組考査部の知人に、苦情を言うこととなった。
だが、そんなこととは関係なく、大山君のメールはどこまでもさわやかだった。
『今回、ピーター・アーツ選手を相手に自分の力を出しきることができたのも、家族や、応援してくれた方々の祈りのお陰だと感じています。昨年三月に先生から瞑想を教わることができ、確信できたことは、神様は祈りを聞いてくれているという事です。これからも愛を力に戦いたいと思っております。たくさん祈って頂き本当にありがとうございました! ぼくはもっともっと強くなります!』

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祈り 4

大晦日も暮れ、テレビ放映が近づくにつれ、徐々に緊張が高まってきていた。
本当に大丈夫なのか。今回は背中の痛みのようなことはないようだが、なにしろ相手は普通の人間ではないのである。もう何人かに電話しようと思っていたところ、突然メールが入って来た。
『先生! 勝ちました!! 神様と、応援してくれるすべての方々のお陰です!』
開始早々、寝業に持ち込み、ヒールホールド(踵の決め技)でピーター・アーツを葬り去ったという。試合時間はなんと30秒。圧勝だった。
『瞑想と出会ってから神の存在をより身近かに感じるようになり、常に守られているという意識があるせいか、平常心でリングに上がることができました。すべての動きがイメージ通り、完璧でした』
なんということだろう。こちらが緊張しまくっていたというのに、超人と戦う本人は平静でいたというのだ。

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祈り 3

『喜びと苦しみ、利益と損失、勝利と敗北
 それらのなかにも心の平安を保ち、戦いに臨むのだ』
聖典『バガヴァッド・ギーター』のなかで、尊主クリシュナはこう語る。誰にも、見かけの勝利が来ることもあれば、見かけの敗北が来ることもある。天才であっても、聖者であっても。だから、いつも心の平安を保ち、それぞれのダルマの戦いを全うするよう、クリシュナはいう。
しかし、ここまで一途に神を信じ、格闘家としてのダルマを追求する彼には、どうしても勝ってほしい。身長で15センチ、体重で20キロ以上上回るこのK-1王者を破ってほしい。その願いは抑え難く、何人かの友人に私はメールして、祈ってほしいと言った。これから戦いに臨もうとする武人(もののふ)のため、祈ることが相応しいのかどうかは分からない。が、とにかく勝ってほしかったのだ。

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祈り 2

実は、大山峻護vs.ピーター・アーツの一戦は、7月に決まりかけていた。6月、メジュゴリエの巡礼に来られた妹さんは、この一戦が決まるように祈っておられたという。ところが、それは直前で流れてしまった。
ピーター・アーツと戦いたいという兄も凄いが、そのカードが実現するようにと祈る妹さんも凄い。普通なら、せめてもう少し弱い相手と当たるようにと祈りそうなものなのに。
祈ったが、しかし試合は流れてしまったことで、大山峻護君の心には大きな落胆があったかもしれない。ところが聖母は、その代わり、大晦日のK-1ダイナマイトという舞台を用意されていたと、彼はいう。
オファーがあったのは、試合の10日前。やはり、何人かの選手がいやだと断ったのか、あるいは10日では調整できないと思ったのか。だが大山峻護君は、自分にオファーが来ると信じ、キャンプを張り、日々のトレーニングを続けていた。そして実際、オファーが来た。この日、
「マリア様は、こんなに大きなプレゼントを用意してくれました」
と、彼はメールしてきた。

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祈り 1

大晦日、K-1ダイナマイト。これまで数々の名選手による伝説の試合が重ねられてきた、格闘界の最高峰である。その舞台で「ピーター・アーツ」とやらないかと言われて、ハイ、やります、と答えられる格闘家が何人いるだろうか。
ピーター・アーツ。身長192センチ、体重112キロ。過去、K-1グランプリで三度優勝し、ミスターK-1とも呼ばれる。
この男とやれば、通常は勝てない。5万人の観衆の前で、あるいはテレビで全国放映される試合で負けて、年末・年始を鬱々として過ごすよりは、普通の格闘家は試合を受けない方を選ぶ。もし、大山峻護君がどこかに所属している格闘家だったら、やはり所属ジムはこれを受けなかったかもしれない。
だが、彼は二つ返事でこれを受けた。彼はもともと、ピーター・アーツとやりたかったのだ。

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