癒し 7

秋田の聖母は、Our Lady of Lourdes(ルルドの聖母), Our Lady of Medjugorje(メジュゴリエの聖母)などと並び、Our Lady of Akita として世界中のキリスト教徒に知られている。
ルルドやファティマ、メジュゴリエのような聖地で知り合った人たちに、日本的な木彫りのマリア像から涙が流れる写真を贈ると、例外なく喜ばれる。おそらく海外で、「アキタ」は日本におけるよりも知られている。
涙は、75年1月から81年9月まで、断続的に流れ続けた。その度に修道女や司祭、司教らが目撃し、巡礼団や雑誌、テレビ局の取材班もこれに立ち会った。
血液と涙は採取され、秋田大学医学部生化学教室、および岐阜大学医学部法医学教室で鑑定が行なわれた。
私は、すでに岐阜大学を退官された勾坂馨(さぎさか・かおる)教授にお話をうかがったことがある。
秋田の聖母像から流れた液体が、ヒト体液であることは間違いない。その血液型も、たしかに自分が分析したと元教授は話された。
そこまでは保証できるが、それより先、つまりなぜ木彫りの像から涙や血液が流れるのかの部分は、まったく自分には解釈できない、というのが元教授の見解だった。
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マリア庭園入り口
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庭園内の紫陽花

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癒し 6

天使の出現に続いて、彼女の身体に変化が現れる。すなわち、左手に錐で刺したような十字架様の傷がつき、そこからおびただしい量の血が流れた。痛みは激しく、ほとんど耐えがたいものだった。
1973年7月6日、早朝3時、痛みをこらえながら祈っているとふたたび天使が現れ、彼女に告げた。
『恐れてはなりません。今の世は、忘恩と侮辱で、主の聖心(みこころ)を傷つけています。あなたの傷より、マリア様の御手の傷は深く、痛んでいます……』
天使に促され聖堂へ赴くと、祭壇に安置されている木彫りの聖母像が生気を帯び、何かを話しかけているように感じられる。そうして次の瞬間、像は眩いばかりに輝き、聞こえないはずの耳に声が響いた。
『わたしの娘よ、すべてを捨てて、よく従ってくれました。耳の不自由は苦しいですか。きっと治りますよ。忍耐してください……』
以後、秋田における現象は、より多くの客観性を備えていった。すなわち、木彫りのマリア像は自らの手からも血を流し、目からは涙を流し始めた。
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聖体奉仕会・聖堂
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秋田の聖母マリア

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癒し 5

『その光芒を包むかのように、霞のようなものが祭壇のまわりに漂っていました。そして、祭壇を囲んで無数の、……人間ではないけれどもはっきりと礼拝の姿勢を見せている、たくさんの霊的な姿が現れ、一斉に御聖体のほうに向かって礼拝していました』
カトリック教会では、ミサの間に聖変化したパンは、正真正銘、イエスの体になると信じられている。それをイエスご自身として礼拝することを、「聖体礼拝」という。
パンといっても、それはペラペラのウエハースである。われわれには当然、ウエハース以外のものには見えないのだが、シスター笹川は聖体の前にいると、その場を退くことがいつも惜しくてならなくなるという。
聖体が光輝き、周りに天使の姿が見えることもさることながら、そちらのほうがむしろ奇跡的である。
聖体の周りが光輝いたこのとき、笹川は、あまりの眩しさに目を開けていられなかった。幻覚を見ていたのではないか、頭が変になったのではないか、他のシスターたちには見えているのか……と自問しても、答えはまったく得られなかった。
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聖体奉仕会・聖堂内部
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聖堂内の聖櫃

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癒し 4

『秋田の聖母マリア』がおられる聖体奉仕会は、のどかな田園風景の拡がる秋田市湯沢台にある。
聖体のうちに実在するイエスを奉じ、祈りを通じて社会に仕えることを目的としたこの会に、笹川カツ子さんが入会したのは、呉基先神父が聖母像の涙を目撃するさらに10年前である。
だが、祈りと労働の日々の後、彼女は「まるで深海に引き込まれたように」音のない世界へ彷徨いこんだ。進行性難聴であった。
回復の見込みのまったくない彼女に、周囲は修道生活を諦めるよう説得した。が、彼女は頑として応じなかった。普段は謙虚な笹川の強い意志表示に周囲が驚くなか、湯沢台の聖体奉仕会本部が受け入れを決定した。
不思議な摂理である。もしもこのとき、従順なシスター笹川が周囲の勧めを受け入れ、会を辞めていたならば、その後の出来事のすべてはなかったであろう。だがそれは、聖母の思し召しではなかったようだ。
そうして1973年6月、いつもどおり早朝のミサにあずかっていた笹川は、思わず息を呑んだ。聖体を納めた聖櫃から、まばゆい、強烈な光が発せられていたのである。
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聖体奉仕会の風景・1
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聖体奉仕会の風景・2

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癒し 3

聖母は金色の衣をまとい、胸に小羊を抱き、千善玉の額に息を3回吹きかけられた。その息吹は熱く、強烈で、聖母の胸の小羊の毛が激しくなびくのがはっきり見えた。しかしその後ふたたび、彼女は昏睡状態に戻る。
8月15日、ふたたびご出現になった聖母は、
『テレジア、起きなさい』
と命じられた。千善玉はこうして昏睡状態から抜け出し、その場に起き上がったのだった。
この年の12月、脳の断層写真が撮られた。脳腫瘍は消失し、健全そのものの脳が写し出されていた。すっかり回復した彼女は、5カ月の間に聖母が3回病床に現れたことなど、細かく証言している。この事例は、複数の責任ある立場の医師が見解をまとめ、ローマ法王庁で受理された。
後に、千善玉の姉は、「ルルドの聖母」と「秋田の聖母」の写真を並べ、ご出現になったのはどちらの聖母であったかと聞いた。彼女は即座に、「秋田の聖母」を指さした。
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胸に小羊を抱く聖母

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癒し 2

自らを『すべての民の母』と呼ばれた聖母マリアは、ルルドにおいてのみ、またはカトリック教国においてのみ奇跡の癒しを行なわれたわけではない。東洋においても同様のことが多数、起きている。
1981年7月、脳の悪性腫瘍のため回復の見込みはまったくないと宣告された韓国女性テレジア・千善玉は、鍼灸治療を受けたほうがよいと言われて思わず叫んでいた。
「嫌です。イエス様が治してくださるのだから」
だが、彼女に他に治療のあてがあったわけではない。そうして案の定、彼女は昏睡状態に陥った。
それを遡ること2年前、1979年に秋田を訪れた同国の呉基先神父は、その場で秋田の聖母が涙を流されるのを目撃し、強い衝撃を受けていた。
神父は、涙を流される聖母像の写真を韓国に持ち帰り、人びとに配布し始めた。そのうちの一枚が、すでに植物人間となっていた千善玉の枕元に置かれた。そうして1981年8月4日、昏睡状態の千善玉に、聖母ご自身がご出現になった。
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千善玉の枕元に置かれた
秋田の聖母マリア

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癒し 1

今から148年前、1858年の今日、フランスはピレネー山麓にある寒村ルルドで、聖母マリアがご出現になった。
以来、ルルドでは聖なる水が湧き出、その水を飲んだり浸かったりした人びとの病気が癒されるという奇跡が相次いだ。奇跡は、今も続いている。
ローマ・カトリックにおいて、この日はまた「世界病者の日」と決められている。世界中のカトリック信者は、この日、自分の身近で、または世界中で病気に苦しんでいる人のために祈ることを勧められている。
それについて先日、カトリックの友人から以下のようなメールをいただいた。
『ルルドの祝日が近づいてきました。ベネディクト16世は、今年の2月11日は特に精神的な病に苦しむ病人の為に、世界中のカトリック教会が祈るよう招かれたそうです。その日には、精神的な病を抱える人は全免償が受けられるそうです。
全免償の条件はゆるしの秘蹟を受け、2月11日の世界病者の日のミサにあずかって聖体拝領をし、教皇様の意向の為に祈ることです。
精神的な病を抱えていない人でも、2月11日の3日前から苦しむ人々の為に祈り、ゆるしの秘蹟を受け、2月11日のミサにあずかって聖体拝領をし、教皇様の意向の為に祈れば、部分免償が受けられるそうです』

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聖母 5

こうして<プレマ倶楽部>のなかに『マリアの会』が立ち上がったのだが、今のところ、これといったきまりはない。
『マリアの会』通信という会誌ができたので、年に2回、これを発行しようということと、ときどき<プレマ・セミナー><瞑想くらぶ>の後でパーティを催し、食事をしたりおしゃべりしたりしようということになった。
歌のお姉さんがいたら、キーボードで伴奏してもらって、歌も歌う。聖歌も歌うが、日本の歌や、もっとくだけた歌も歌う。
このパーティには、当日<瞑想くらぶ>まで参加された方、昔、一度だけ『大いなる生命と心のたび』においでになったという方も、是非おいでいただきたい。私自身、懐かしいし、きっと旅の仲間にも再会できると思う。
次回のパーティは2月26日、<瞑想くらぶ>後に予定されている。私も、2000円の会費を払って参加する。
だいたいの人数を把握したいので、事前にライトフィールドまで“予約”していただけると嬉しい。世話人の皆さんは、次の『マリアの会』通信の原稿も求めておられる。『大いなる生命と心のたび』に参加された方はこれに投稿していただけると、さらに嬉しい。

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聖母 4

聖地巡礼の旅を終えるごとに、そのような同伴者を与えてくださったことに感謝する他はない。
が、今まで、こうした旅の参加者の皆さんとの交流の機会は、あまりなかった。だから最後、空港でお別れするとき、本当に涙が出そうな気分に陥ったものだ。
昨年の夏、聖地メジュゴリエに行った皆さんのなかに、感動のあまり、こうした旅の仲間の親睦会を創りたいと言い出した方がおられた。
社会的にも立派な仕事をしておられるその方を私は常々尊敬していたので話はとんとん拍子に進み、『メジュゴリエの会』が立ち上がり、楽しい会が催された。
……が、以前よりルルドやファティマ、ローマに何度も巡礼されている方から、ご意見がでた。私たちもこの会に参加したいけれども、私たちが行ったのはルルド(またはファティマ、ローマ、アッシジ、タイetc.)で、メジュゴリエではなかった……。
たしかにその通りだ。そこで、会の名称をもう少し広く『マリアの会』とし、しかしもちろん、仏教の聖地に行かれた方も歓迎することにした。

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聖母 3

少しだけ人生が違っていたら……と思うことが、誰の人生にもある。
少しだけ、何かが違っていたら、私は今頃、どこか外国の修道院でミサを立てていたかもしれないし、神学を講じていたかもしれない。
その場合、私がこのようなエッセーを書くこともなければ、それが人に読まれることもなかった。しかし現実には、私は世俗に留まり、真理を求めてやまない読者の方との時を持つような運命にあった。
後に、『大いなる生命と心のたび』でキリスト教や仏教、ヴェーダの聖地に立つたびに、私は思った。
このような旅を、このような人たちと一緒にできるということ自体が、聖母の思し召しに違いないと。純粋意識をすっかり確立するまで、われわれが真に幸せになることはないにしても、この真摯な人びとと交わっているとき、もうすでに、その幸せの一部を垣間見させてもらっているような、そんな感覚に陥る。
聖母がにっこり微笑んで手を差し伸べておられるように、私には思える。

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