運気 3

国際展示場駅には、予定より10分遅れで着いた。暑いなか、皆さんをお待たせするのは心苦しく、電車が構内に滑り込み、扉が開くやダッシュ。
ところがふたたび、ここで予期しないことが起きた。サンダルのベルト(紐)が切れたのだ。
階段を駆け上がっていたときで、私はほとんど捻挫しそうになった。もう5年も、革靴のとき以外いつも履いていたサンダルだった。先日の過酷なインド旅行中も、その前のスリ・ランカでも、これで通した。聖なるルルドの地、美しいローマの町、アッシジの石畳やメジュゴリエの山のなかも、すべてこのサンダルで踏みしめてきた。その紐が突然、ブツリと切れた。
それでも何とか走り続けていると、今度は束ねていたリュックの紐がハラリと解け、リュック全体が崩壊しそうになった。一年前、買ったときにしっかり締めて、以来何の問題もなかった紐だった。
【マリアの会】の皆さんは、8分遅れの私を、笑顔で迎えてくれた。が、私の心中はすでに穏やかではなかった。どう考えても、おかしかった。

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運気 2

実はこの日、私には力強い味方がいた。大山峻護君と秋田への旅をご一緒した、あるいは瞑想講座や<プレマ・セミナー>で大山君と知り合った【マリアの会】の皆さんが、何人も応援にかけつけてくれたのだ。
4時試合開始なので、3時20分、国際展示場駅で待ち合わせ。そこから逆算して完璧な時間に、私は自宅を出た。
ところが、いつものようにマンションの駐輪場から自転車を出し、いざ出かけようとして私は唖然とした。
自転車の通ることのできる唯一の入り口に、車が半分突っ込んでいる。事故ではなく、意図的にそうしているようだが、とにかく出られない。自転車をやめて歩けば、10分近くのロスになる。車の主をなんとかみつけ出しはしたが、電車を一本、乗り遅れた。
大井町の駅での、もともとの乗換時間は8分。おかげで、これが3分となる。3分ではどう考えても無理……と思ったが、全力疾走する。
りんかい線は当然、パスネットで乗る。そう思い込んでいたのだが、改札に着いてみるとSUICAと書いてある。バッグの中から探している間に目前で電車の扉が閉まり、行ってしまった。10分間、息を調えながらベンチで待った。

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運気 1

あまり気持ちのいいとはいえない話題を連載している間に、8月5日、有明コロシアムでHERO’Sライトへビー級トーナメントが行なわれた。
準々決勝の舞台には、あまたいる格闘家のなかから、大山峻護君がノミネートされていた。
すでに何度かこのエッセーでも取り上げさせていただいたように、柔道家から総合格闘家に転身し、彼の歩んできた路は決して平坦なものではない。
一度ならず、二度までも網膜剥離に苦しみ、試合中、ギブアップしないで腕を骨折し、さらにはミドル級とヘビー級のちょうど中間の体重のため、ほとんどいつも自分より一回り、二回り大きな選手と対戦させられた(2005年3月26日、9月10日、11月8日、2006年 1月1日、3月16日)。
だが、誰もが嫌がる相手とも、彼は逃げずに戦ってきた。そうして、グレイシー一族の雄ヘンゾ・グレイシーを破り、K-1の王者ピーター・アーツを破り、今回の舞台に立つこととなった。
この日の相手は、ホドリゴ・グレイシー。王国を誇るグレイシー一族のなかでも完成された格闘家として知られている。
過去、このホドリゴを倒そうとして何人かの日本人が立ち向かっていったが、いずれも歯が立たなかった。負けた彼らも決して弱くはなかっただけに、正直いって私は、この日を心安らかに迎えたとはいえなかった

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判定 6

かつて、モハメド・アリは、戦いの前から相手を口汚く罵ってやまなかったが、後に彼が重度のパーキンソン病になったとき、私は複雑な思いだった。
アリは、ほとんど口がきけなくなった。口汚く相手を罵ってきたことと、日常会話すらもままならなくなったこととの間に、科学的な因果関係はない。偶然か、または過酷なボクサーという職業柄、そうなったのであろう。だが、それは真に偶然なのか。
まっく分野は違うが、田中角栄もまた、良い悪いは別として日本の政界で怖れられたが、最後はあのようなかたちで亡くなっていった。
人は生きている間に、自分のやってきたことの帳尻の、少なくとも一部は合わせなければならなくなるように、私には見える。次の人生に持ち越す部分があったとしても、いちばん最後には、やはりすべての帳尻を合わせなければならなくなる。
今回の判定は、直接的には、懸命にトレーニングに励み、戦った亀田本人の責任ではないだろう。だが、日本のボクシング界にとっては大きな損失であった。
そして、亀田興毅という一人の才能ある青年にとっても、さらに厳しい十字架の始まりになったのではないかと危惧するのは、私だけではないに違いない。

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判定 5

果たして亀田自身は、そして亀田をここまで育ててきた「美談」の主である父親は、こうした事情をどのように捉え、感じているのであろうか。
判定結果がアナウンスされたときの、あの父親のポカンとした表情からして、たとえ何かがあったとしても、彼ら自身は多くを知らないようにも見える。だが、彼らもボクシングという名のビジネスに身を投じた人間である以上、このようなボクシング界や所属ジムの実情について何も知りませんでした、というわけではないだろう。
だからもう少し神妙にしていればいいのに、との声とは裏腹に、亀田は試合後も不遜な物言いを繰り返している。
日本人には古来、戦いの相手であってもこれを最大限尊重することや、まして戦いが終われば互いに健闘を讃えあうという美徳があった。
そうした美徳よりも、人びとの目耳を惹きつけるパフォーマンスで視聴率を稼ぐことのほうに、彼らの戦略は向いているように見える。亀田自身は本来、礼儀正しい青年であるといわれ、親孝行であるようにも見えるだけに、そのことは素直に残念だと私は思う。

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判定 4

ボクシングにおいても、それはときどきある。かつてのWBA世界ジュニアバンタム級王者鬼塚勝也は、素人目にも専門家の目からも負けと思われる試合に幾度も判定で勝利し、結局5度も王座を防衛するという“離れ業”を演じた。
こうして、誰の目にも負けている試合をどうやって判定勝ちするのか、「協栄マジック」という言葉が生まれたのだった。
その一時代前、13回防衛の日本記録を持つ大チャンピオン具志堅用高の世界戦においては、相手の選手はきまって試合前、体調を悪くした。それは、巧妙に贈られたオレンジなどの果物が原因であったと具志堅引退後に報道されたが、いずれのケースも真実は神と関係者のみが知ることだろう。
今回の採点疑惑がこれほど大きな波紋を呼んだ理由は、亀田興毅という選手のさまざまな話題性もさることながら、実際には誰も触れたがらない、特に業界関係者なら触れてはならない、一つの“偶然”にある。
それは、亀田が所属するのもまた、具志堅、鬼塚ら、あの一連の“マジック”を生んだ、まさにその協栄ジムであることだ。

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判定 3

スポーツの営みは本来、純粋で美しい。
それはもともと、娯楽を中心として発展してきたものではあろうが、しかしそこには、肉体を通じた人間の魂の表現がある。
われわれが真剣勝負を見て感動するのは、そこに彼らの、進化したい、強くなりたい、美しく表現したいという、心の底からの叫びがあるからだ。
しかしもちろん、スポーツの要素は、ただただそればかりではない。プロだけでなく、アマであっても、お金がからみ、名誉がからみ、国威がからめば、自然、さまざまに不純とも呼ばれる要素が入り込んでくる。
選手もコーチも、その他関係者も、人生のすべてをかけて勝負に挑む。その一戦の勝敗が、文字通り、人生を変えるのだ。
こうして、不正な採点は、あらゆる採点競技で常にあったことだし、今もある。なので、フィギュア・スケートにおいてはそういうことができないよう、採点ルールが厳正化された。
前回の冬季オリンピックでは、このルールでたまたま荒川静香は勝つことができた。別のルールでは、まず間違いなく、他の誰かが勝ったに違いない。

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判定 2

体操は採点競技であるが、ボクシングは本来、そうではない。どちらかがリング上で倒されるまでやるのが本来の姿だった。
が、それでは選手にとってあまりに過酷すぎるということで、判定という制度が考えだされた。また、かつて世界戦は15ラウンドまで戦ったが、これも人間の体力の限界を超えるということで、今は世界戦も12ラウンドだ。
実際、皆さんはやってみられたらよい。ボクシングで1ラウンドを必死に戦ったとき、素人ならヘトヘトになって動けなくなる。
スポーツには多かれ少なかれ、採点や判定が持ち込まれざるを得ない。そして、スポーツがスポーツであるということは、それがフェアであることを前提としている。
……が、現実はそうではない。体操の例だけでなく、フィギュア・スケートにおいても、実際に審判員が買収されていた、ということが最近明るみに出た。
そのようなことが一つ明るみに出るということは、残念ながらその何倍、何十倍、何百倍ものケースで、そうしたことがあるということだ。日本の国技・相撲も例外ではない。それらのことは、関係者ならば知っている。が、誰も公にはしたがらないし、することもできない。

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判定 1

かつて、ベラ・チャスラフスカという体操選手がいた。美しい身のこなしと容姿、完成された芸術性で世界中を魅了し、東京オリンピックでは個人総合優勝の栄冠に輝いた。体操選手としての完成度は誰にも文句のつけようもなく、名花といわれた。
後にナディア・コマネチが現れ、どんなに完璧な演技を披露しても、あのチャスラフスカだけには及ばないと何度も言われた。
……が、その彼女にも超えられないものがあった。ソ連審判による採点だった。
旧ソ連の審判が、自国選手を露骨にひいきした採点をしていたことは、体操関係者なら誰でも知っている。それは過去にも知られ、現在も知られている。が、どうすることもできなかった。彼らの政治力に、誰も口出しできなかったのである。
これ以上ない演技をしたチャスラフスカには低い得点しか与えられず、そうでもない演技のソ連人選手にまんまと優勝をさらわれたとき、彼女は涙を流して泣いた。こらえようにもこらえきれない名花の涙が、世界中のテレビカメラに映し出された。

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インド

<プレマ倶楽部>会員の皆さんと個別に時間を過ごした後、何人かの方たちはインドでの儀式や慈善行為を希望された。
その皆さん自身のため、そして世界の平和と安寧のため、大変喜ばしいことで、それらは慎重、かつ適切に行なわれつつある。
が、やはり私自身の目でこれを確認し、またはその一部を行なうために、急遽、インドへ行くことになった。
瞑想講座と、広島での【バガヴァッド・ギーター】の集中講座の合間を縫って、インドで濃密な時間を過ごすことになる。
渾身の力で神々に祈り、語らった後、さらに意識を研ぎ澄まして故郷での【バガヴァッド・ギーター】に臨みたい。
前回、広島で瞑想をお教えした皆さんにお会いできると思うし、東京近県からもおいでになるという。その皆さんにお目にかかり、【ギーター】を語らい、お食事などすることが、今から楽しみで仕方がない。

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