大阪 1

いつもヨーロッパの巡礼旅行をお願いしている日本旅行は、関西海外旅行支店という。
オフィスは梅田にあって、担当の磯野氏は広島出身でありながら関西弁。早口で話し、用件が終われば「ほいなら!」(とはさすがに言わないが)、あっという間に電話を切る。
テレビのバラエティーに出る大阪の芸人さん。関西弁でまくしたて、ときどきは攻撃的だ。うかつに失敗などしようものなら、大喜びで突っ込まれるというイメージがどうしてもつきまとう。
今回、大阪で瞑想講座を行なうにあたり、事前にそのようなイメージがまったくなかったかといえば、おそらくウソになる。どこで瞑想をお教えしても、その場所特有の“雰囲気”というものがあるからだ。
それほどでなくとも、少なくとも皆さんの関西弁の迫力に、私は圧倒されまくるに違いない。そんなことを思いながら、大阪入りした。

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自然 4

もし私がフランシスコのようであったなら、コオロギや鳩にもヴェーダの教えを伝え、あるいは瞑想を勧めたであろう。
しかしながら、そのような特殊能力が私にはないので、コオロギ君も、鳩さんも、残念なことをした。聖者のところに行けば、進化の速度を何十倍にもすることができたかもしれなかったのに……。
その代わり、私のほうは、コオロギや鳩を鑑賞しながら、昨年の旅行のアッシジ滞在中に起きたいろいろな出来事を思い出すことができた。
過去の旅行は、どの回も、思い出すだけで心楽しい。それぞれの回の参加者の皆さんの顔が自然に思い浮かぶ。
そして今年も、その旅行が2か月後にやって来る。皆さんも、添乗員の下江さんも、もちろん私も、一年で一番楽しみな行事と言ってはばからない。
ちなみに、旅の価値は同行者で決まるという。ときの経過は普段は忌まわしいのに、まるで遠足を待ちわびる子供のように、この旅行だけは早くやってきてほしいと心のなかで毎年思うのは、おいでいただく皆さんのおかげであることは間違いない。
事務局より:
先般、第13回『大いなる生命と心のたび』のご案内を致しましたところ、おかげさまで予想外のスピードでお申し込みをいただいております。昨年は最後の一席、二席をぎりぎりでおとりできましたが、今年は飛行機とバスの関係で定員を増やすことが難しいそうです。ご希望の方は、お早めにお申し込みいただければ幸いです。

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自然 3

今から800年前、アッシジの聖フランシスコは、キリストに倣い、キリストのような清貧の生活を実践したことで知られるが、彼は自然をもこよなく愛した。フランシスコがいると、小鳥たちが喜び勇んで近づいてきたので、彼はそれを愛撫し、または小鳥に対して教えを述べ伝えたといわれている。また、人里に現れた人喰いオオカミに対しては、これを説得し、エサを与えるから人や家畜に危害を加えないようにということで話し合いが成立した。以後、このオオカミが人に迷惑をかけることはなかったという。
昨年、そんなフランシスコの聖地アッシジに行ったときのこと、修道院で聖者の像をふと見ると、われわれはそこに思わぬものを発見した。聖者の抱えるかごに鳩が巣を造り、住んでいるのだ。今もそこに聖者の精神が宿っているようで、みな大いに感動した(2005年6月28日のエッセーに写真があります)。

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自然 2

暑い夏が終わりをつげ、秋が近づいてくると、風雅な虫の音の季節となる。
先日、ふと、その虫の音があまりに近いことに気づいた。よく観察してみると、小さなコオロギが台所にいるではないか。マンションの6階なのに、いったいどこから入ってきたのか……。今度のお隣さんは、コオロギの養殖でもしているのか……。今もって分からない。
そんな夜を幾晩か過ごすうち、今度は昼間、どうにも鳩の鳴き声が近すぎると感じられてきた。ベランダに出てみると、なんとエアコンの室外機の下に、鳥の巣がある。鳩が住み着いていたのだ。
掃除にきてくれる女性が、「これ、どうしましょう」と困惑ぎみに言う。
「住んでもらいましょう」そう言って、鳩にも住んでもらうことになった。
家賃はとらないことにした。

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自然 1

昔、こんなことがあった。
ある夏の日、夜中に外から帰ってくると、部屋のなかから誰かがこちらを見つめていた。両目が、真っ赤に血走っていた。
向かい合ったまま両者は一瞬息を呑み、少しの時間がたった。
闇の向こう側からこちらを見つめていたもの……それはなんとウサギだった。ウサギが部屋のなかにいて、こちらを見ている。驚愕した……が、事実だった。
結局、それは隣で飼われているウサギであることが判明した。マンションのベランダを伝い、夏だから、特に盗られるようなものもないので窓を開けていた私の部屋に、遊びに来ていたのだった。

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天才・番外編

社会的に閉塞感の強いロシアでは、政治的指導者らを皮肉ったジョークがかねてより庶民のささやかな楽しみであった。
だが、政治家や大金持ちに代わって、最近は次のような金言・格言がもてはやされているとマス・メディアは報じている。
『ペレルマンにとっての100万ドル』
解説:誰かが、何かを心底嫌悪しているときに用いる。
例)そのとき彼女が私を見る目は、まるでペレルマンが100万ドルを見るようだった(離婚を決意した瞬間について語る夫)
『ペレルマンが100万ドルを受け取るようなもの』
解説:まったく実現の見込みのないようなときに使う
例)ぼくが満点とるのは、ちょうどペレルマンさんが100万ドルを受け取るようなものです(数学の試験を目前に控えた生徒)
『(キノコの森でなく)野原でペレルマンを探す』
解説:まったくの見当違いや、迷妄の状態のこと
例)彼女に愛されていると信じていた私は、あたかも野原でペレルマンを探していたようなものだった(夢から醒めた男性)

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天才 4

先月から<プレマ・セミナー>のほうでは、【ヨハネによる福音書】の解説が始まっている。
準備をしていてつくづく思うのは、マタイ、マルコ、ルカの3福音史家も偉大であったが、それにも増してヨハネによる記述が群を抜いていることだ。イエスの言行ばかりでなく、存在に対するヨハネの深い洞察にも、ただただ驚く他はない。
自然界は、まるで突然変異のように、こうした天才を生みだす(ヨハネの場合は同時に聖者であるが)。
そうして天才たちには、まず例外なく、われわれ凡夫と違ったところがある。たとえばペレルマンが「証明が正しければ、賞は必要ありません」と言ったように、ヨハネの関心は、ただただ同時代に生きた神人(かみびと)について、でき得るかぎりの記述をしたいというものであったに違いない。
そうして彼自身は、島流しの刑を受けつつ現世を終えた。まさに、「イエスについて深く知っていただければ、私の体は死んでもいい」。おかげでわれわれは現在、彼の残した類稀なる文章を堪能できる。
前回は周辺知識の解説に終わったので、この27日から実際に福音書本文を読み解いていきます。新約聖書の冒頭から、宗教や信仰の本質に深く係わる記述となっています。
そうしたことに関心のある方は、是非聞きにおいでください。後半の<瞑想くらぶ>では、インドの聖者の言葉を解説する予定で準備しています。
また、<プレマ・セミナー>実施の曜日について一週間限定でアンケートを実施しますので、ご協力をお願いいたします。

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天才 3

予め電話で受賞拒否を通告されていた国際数学者会議会長は、自らロシアを訪問、ペレルマンの自宅で2日間に渡って説得したという。だが天才の気持ちは変わらなかった。
「私の証明が正しければ、賞は必要ありません」
ペレルマンはそう言ったという。われわれ凡人としては、生涯、一度でいいから言ってみたい言葉だ。さらに、
「私は数学界から引退しました。もうプロの数学者ではありません」
「有名でなかった頃は何を言っても大丈夫だったが、有名になると何も言えなくなってしまう。だから数学を離れざるをえなかった」
などと述べた。実際は、このような奇行が彼をさらに有名にし、数学史上、忘れられない存在にしてしまったのであるが……。
新聞やテレビの報道によれば、現在ペレルマンは無職で、サンクトペテルブルク郊外で母親と生活しているという。わずかな貯金と数学教師をしていた母親の年金にたより、授賞式が開かれるマドリードに行く費用もない。
もちろん、その気にさえなれば、1億1600万円の賞金を手にすることができるのだが、彼にはそうした関心が全くない。22日の発表当日も、キノコ狩りで多忙であったと伝えられる。

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天才 2

1世紀の間解くことのできなかったポアンカレ予想が、今度こそ証明されたらしい──。そのような情報が、1、2年前から流れるようになった。
証明は一風変わったロシアの数学者によって行なわれ、彼はそれを数学の専門誌ではなく、なんとインターネットに載せたという。
本当にこの証明が正しいかどうかの判断も容易ではなかったが(なにしろ、誰にも解けないのだ)、今年に入り、これが正しいらしいことに数学界の趨勢は大きく傾いた。
難問を解決した数学者グレゴリー・ペレルマンは、怪僧ラスプーチンを思わせるひげもじゃの顔で、キノコを探しながら森を散策するのが趣味だという。大学や研究所での昇進をすべて辞退し、若手数学者に与えられる賞も拒否した変人として知られる。
取材や交友を極度に嫌い、人前にもほとんど姿を見せない。昨年12月、ロシアの数学研究所を辞めた後は数学界から姿を消し、他の研究者との連絡も絶った。
折しも、4年に一度開かれる国際数学者会議が近づいていた。この会議で、数学界のノーベル賞といわれるフィールズ賞受賞者が発表される。
ポアンカレ予想という大問題を解いたペレルマンの受賞は、確実だった。が、このままでは受賞者が行方不明という前代未聞の珍事となる……。
8月22日、国際数学者会議において、栄えあるフィールズ賞受賞者の名前が読み上げられた。孤高の天才が、ついに学界の頂点に立った瞬間だった。
3000人の関係者から、ひときわ大きな拍手が送られる。ペレルマンの姿を探そうと会場内を見回す者もいた。
が、続いて、70年にもわたるフィールズ賞の歴史上初めてとなる、次のようなアナウンスがなされた。
「残念ながら、ペレルマン氏は受賞を辞退されました」
会場全体が、ため息に変わった。

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天才 1

その昔、高校の数学の先生に次のような質問をしたことがある。
「数学的に正しい命題は、すべて証明が可能なのでしょうか」
先生は返答できないまま、そんなこと、考えたこともなかったという顔をした。
私が相当いやな生徒だったことは、間違いない。数学者にも、哲学者にも答えられないようなことを、高校の先生に確かめようとしたのだ。
だが、私自身は、一つひとつの数学の命題よりももっと深い、「真理」の奥深くが知りたかった。
試験問題のレベルでは、正しい命題はすべて証明できる。証明せよ、と出題してはみたものの、誰にも証明できない問題だった、ということでは入試にならない。
ところが、実際の数学の世界には、正しいようだが証明できない、またはできていないという命題が多数存在する。そうしたものを、数学者は「予想」と呼ぶ。
フランスの数学者・哲学者アンリ・ポアンカレ(1854〜1912)は、1904年、幾何学に関する一つの予想を示した。
例えば、野球のボールとキャベツは幾何学的に同じものに分類できるが、浮輪のように穴の開いたものは違う。
このような、多次元の空間の形を分類するための条件についてポアンカレが予想したある命題は、4次元以上では証明されたものの、3次元では誰にも証明できないまま一世紀が経過していた。
西暦2000年、米国の富豪が創設したクレイ数学研究所は、2001年から始まる新しい千年紀(ミレニアム)を記念して、ポアンカレ予想を含む難問7題を「21世紀を象徴するミレニアム問題」として発表、1問につき100万ドル(約1億1600万円)の賞金をかけた。
その前も後も、何年かに一度、ポアンカレ予想が解けたという論文が提出された。が、そのすべてが間違いだった。

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