彼岸の中日 2

身内の人間へのFaxなので、適当に走り書いてぱっと出せばよさそうなものだが、
しばしばそのようにはいかず、相応の時間をかけることになる。
いったい毎日、どんなFaxをしているのかと皆さんは思われるかもしれない。
父が亡くなった後、いただいたご香典のお返しや新たな年金の手続きなど、
山のような仕事が待っており、
そのやりとりの多くが電話ではできず、Faxで行なってきた。
二度と葬儀は行ないたくないと、心から思った次第である。

そんななか、たまたま先日、彼岸の中日に、
ネットなども参考にさせてもらいながら書いたFaxは、以下のようだった。
ちなみに、わが家では昔から父と母のことをお父ちゃん、お母ちゃんと呼んでいて、
それは今も変わらない。
また、以下の文章のなかで、「ゴリさん」というのは、
申し訳ないが兄のことだ。
そんなことまで知りたくないという皆さんも多いであろうから、
その皆さんはこれ以上読み進めないことをお勧めする。

(以下、3月20日のFaxから)
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おはよう!
今日は彼岸の中日ですね。
「暑さ寒さも彼岸まで」とはよく言ったもので、すっかり春めいてきました。
東京の昨日の気温は23℃、駅前を通り掛かると桜が咲いていました。
ここ数カ月、ちょくちょく行く上野公園も花見の季節を迎えますが、
その間、ホームレスの皆さんはじっと静かにしておられます。

彼岸(ひがん)は、雑節の一つで、春分・秋分の日を中日として、
前後各3日を合わせた各7日間を呼ぶようです。
最初の日を「彼岸の入り」、最後の日を「彼岸明け」と言い……

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彼岸の中日 1

ずいぶんと長い間、ブログを書かなかった。
そうしてついに昨日、「いいかげん、ブログ更新した方がいいよ♪」というメールを、
読者の方から受け取るに至った。
「そう、そのとおりなんだよ……」と返信する他なかったが、
それでも、昨日はとうとう書けなかった。

ここで、興味はないと怒られることを承知で、私の日課の一端をご紹介すると、
朝、5時台に目を醒ますと、まずパソコンに向かい、
会員の皆さんからのメールにお返事をする。
これは毎朝楽しみにしていることではあるのだが、
このとき、たまたま東京にいないといただいたメールへの返事が滞ったり、
長いメール、その場ですぐにはお返事できないメールの場合は後回しになることがあり、
お返事が遅れてご迷惑をおかけすることもある。

ブログを書くのはその後だが、ここ数カ月というもの、私はその時間帯に……

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マーヤー(幻…)4

このブログを書きながら、今朝はまた、
別の会員の方の御母堂様の訃報に接することとなった。
こうして、人はそれぞれに死んでいく。
『その様子を見ながら、聞きながら、触れながら、感じながら、
 人は自分だけは死なないと思っている』と、
『マハーバーラタ』のなかで法王ユディシュティラは語った。
私自身も、自分はまだ死なずに済むくらいに思っている。
が、そのときは間違いなくやってくる。
しかもそれは、じきに来る。
そうして、われわれ誰もの人生は、
一つの宇宙の長い歴史のなかのほんの一瞬のできごととして、
まるで幻のように忘れられていく--と思われている。
読者の皆さんも、そう思っておられるかもしれない。
が、しかしそれは、実際には幻ではない。
宇宙のなかに確固として記録され、記憶されたわれわれ一人ひとりの痕跡は……

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マーヤー(幻…)3

父が亡くなり、49日が過ぎたばかりだというのに、
会員の方のご尊父様の葬儀に出席する機会があった。
つい先日、お悔やみを言われる立場であったものが、
もう、お悔やみを述べる側となり、戸惑った。
また、昨年は、存じあげないうちに、“山本襄治”も亡くなっていた。
歌手ではない。
わが国を代表する神学者で、
上智大学の神学部長から副学長、理事長を歴任された。
大新聞に出たのだろうが、現在私は新聞をとっておらず、
お弟子さんの一人が教えてくださるまで気づかなかった。
実は拙著『最後の奇跡』を書くにあたり、
もっとも頻繁に相談したのが、山本神父だった。亡くなったから書くが、
「それぞれの宗教が、それぞれに尊いということに気づくことが、
 実際、これから先の宗教の流れだね」などという、
カトリックの聖職者としてはあり得ない言葉を述べられた。
大島渚監督の享年80歳というのもいかにも早過ぎると感じられるが、
身体の自由を失われてからの17年間というのは……

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マーヤー(幻…)2

私自身は、監督をよく存じあげることもなく、
ソフィアの「オオシマ天才発言」を本に書いたと思っていた。
が、当時の担当編集者にも聞いてみたのだが、
それはおそらく、元の原稿にはあったものの、
本になる段階で削除したらしい。
なぜなら、その前後のくだりに至るまで、
文章にしたことを、私は克明に覚えているし、
実際、『理性のゆらぎ』を作るときには、全体の分量が多過ぎたので、
かなりの削除を余儀なくされたからだ。
当時、Yさんなどに読んでもらった初期の頃の原稿は、
数年前まで保存していたが、
おそらく、廃棄してしまっている。
なので、今は確かめる術はないが、記憶を繙き、
その当時の“幻の”原稿を公開する。
問題の部分は、第6章『かなえられた願い』のなかで、
ソフィアと、私の部屋で最後に会うシーンである。
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 彼女は、何も言わずに私を見つめていた。私は話題に窮し、苦し紛れに、日本映画で観たものはないかと切り出していた。
「日本映画で観たものはないの? 好きな監督は? 俳優や女優は?」
「そうね……」
 そう言って、彼女は視線を宙にやった。
「ナギサ・オオシマ……彼は天才だわ」
 大島渚のことだった。代表作『愛のコリーダ』は、私も、アメリカにいたときに観たことがある。日本ではその後、これが猥褻であるとして裁判となったが、海外では芸術作品として、高い評価を受けていた。
「ところが、そのオオシマだけど、最近は映画よりは、テレビの討論番組なんかによく出るんだ。深夜の番組で、観ているほうもそろそろ眠くなったようなときに、彼は突然、怒りだす。口をきわめて、青筋を立て、相手を罵倒し始めるんだ」
「……」
「そうやって彼が爆発するのを、視聴者はあるいは楽しみにし、あるいはハラハラしながら見てるんだけど、実際には、あれはディレクターからキューが出てやってるんだという噂もある……」
「世界のオオシマ」に対して失礼千万な話だが、そんなことを得意になって話してやると、彼女はこちらを見つめ、クスクス笑った--。
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今思えば……

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マーヤー(幻…)1

「ナギサ・オオシマ……彼は天才だわ」
今から二十数年も前、プッタパルティのサイババのアシュラムに初めて行ったとき、
そこで出会ったユーゴスラビアの女優・ソフィアが言ったその言葉を、
私は今もありありと想い出すことができる。
そのことは拙著『理性のゆらぎ』のなかで、実際にあったままを書いた--
とばかり私は思っていた。なぜなら、
大島渚監督が私の本を愛読してくださっていることを後に関係者の方から聞き、
私が『理性のゆらぎ』に書いたソフィアの言葉を、
たまたま監督が読まれたのだろうと、長年に渡って思っていたからだ。
ところが、今日になって新たな発見をした。
『理性のゆらぎ』のどこを探しても、あのソフィアの言葉が見当たらない。
一般に、本というのは、版を重ねる都度、出版社から一冊ずつ、贈られてくる。
したがって、『理性のゆらぎ』は私の手許に数十冊あってもよさそうなのものであるが、
ところが、それが一冊もない。
それらがどこに行ったのか、まったく分からないのだが……

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神々の視座 2

父が亡くなり、7日毎の法要のため、毎週実家に帰ろうとしたが、
事情があってそれができなくなってしまったことを、年越しのエッセイに書いた。
生きているときにもあまり孝行はできず、
亡くなってからもそうなのかと少し情けない思いにかられたが、
その分、何とかして毎週、ホームレスの皆さんにお弁当を配ったりして、
父に喜んでもらおうと思ったのだが、
果してその首尾はどうだったか。
亡くなった父はそうしたことをもちろん知って見ているだろうが、
それ以外に、今まで知る由もなかった私の人生を眺めて、
愕然と(!)しているのかもしれない。
亡くなった人にも未来が見える可能性があると私は確信しているが、
父ももしかしたらある程度未来を見たりしながら、
今は何を思っているだろうか。
相対世界で起きてくるさまざまな問題の本質は……

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神々の視座 1 

瞑想をお教えしたある人の許には、ときどき神々と思しき方がやって来られて、
いろいろなことを教えてくださる。
彼女が最初に聞かされたのは、
『青山圭秀の本を読むように』ということだったというが、
そのとき彼女は“青山圭秀”を知らなかった。
言われたとおりに私(のことだと思うが……)の本を読み、瞑想を習いにおいでになり、
そうして“ご出現”は毎晩にも及ぶようになった。
おいでになる方には未来も見えているようで、
私も一部だけ教えていただいたが、
当初そうなるとも思えなかったその内容は結局、現実となった。
興味深いことに、その方のことが予言のなかに触れられていて、なんと……

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私の系譜 17 

今年になって、『京都に行き、○カ所のお寺で瞑想し……』といった指示が
聖者の予言に繰り返し出てくるようになり、
これは要するに実家に帰るようにということかと思うようになった。
そして実際にそうする度、父の様子は変化していった。
あるとき、父がほとんど言葉を発することができなくなっていた頃、
見舞いに行くと、父は何か言おうとしているのだが、やはり言葉にならない。
しかしその視線は、私、というよりも、私の頭上、斜め後ろに焦点を合わせ、
そこをじっと見つめて、
まるで何かに心動かされているかのように見えた。
父の父、すなわち私の祖父は、数え年100歳まで生きたが、
亡くなるとき、
「仏さんが来た、仏さんが来た……」と言いながら逝ったというので、
私はなんとかこの父の不思議な視線の意味を言葉で引き出そうとしてみたが、
できなかった。
そのような状態も長くは続かず、
父は人工呼吸器につながれ、医学的には“意識のない”状態となった。
そのような父に向かい合ったとき、
人から見れば、もう充分に生きたではないかと思われるかもしれないし、
亡くなって、それで終わるわけではない、
安らかで光に満ちた世界に行くはずだと思っていても、なお、
(頼むからもう一度元気になって……)と願わないではいられなかった。
子供の頃、正月に楽しい思いをして、
(お願いだからもう一日だけ……)と父に願い、一も二もなく却下された。
あのときと同じように、今度も、父は私の願いに無言で答えなかったが、
しかし違うのは……

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私の系譜 16

この夜、遺体を安置した大きな広間では、
私が一人で寝ることになっていた。
会員さんの一人が布団を敷いてくれたが、
柩の前ではおしゃべりが始まってしまい、
それはしんみりするどころか白熱していって、
とうとう大笑いにまで発展していった。
もしかしたら、いやおそらく、隣の部屋では別の遺族が、
静かに最後の晩を過ごしておられたかもしれない。
しかし、このとき話された内容というのは、もちろん、
生前の父と話すようなことが一度もないものだった。
何より、いつも勉強や仕事ばかりしていた父と子だったわけだから、
私がこんなにも多くの友人・知人と笑い、
東京の言葉で語らい合うのを見て父は大いに驚き、
「そんな話は初めて聞いたぞ」と言いながら起きてきて、
おしゃべりに参加するのではないかと思われた。
最初、東京やその他の遠方から葬儀に参列したいという方がいても、
そんな、とんでもない、広島は遠いですから、と必ず言ったが……

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