第十三回 〜二千年の聖都への大巡礼 サンティアゴ・デ・コンポステーラ〜 三日目

1961年6月18日、ガラバンダルという小さな村で、マリ・クルス(11歳)、マリ・ローリ、ヤシンタ、コンチータ(以上12歳)の4人の子供に天使が出現した。続いて、天使の予告どおり聖母マリアが出現し、それは1965年まで続いた。この地で聖母はいくつもの奇跡を彼女らに示す一方、人類の未来に関する驚くべき予言を行なう。バスによる6時間の行程のすべてをそうした物語の解説に費やし、山道をかき分けるように進んでいって、ついにわれわれはガラバンダルに着いた。
ガラバンダルで一番大きいという、小さなレストランで食事をし、われわれはまず村の教会へ。聖母を見たと主張する少女たちが、入るのを拒絶されたという教会だ。そうしていよいよ、実際に聖母マリアと大天使聖ミカエルがご出現になった松の木に向かう。
ごつごつの岩道を登ること5分、ついにご出現の聖地に着いた。その松の木の下でロザリオを一連唱えた後、全員で瞑想。その間、微かにそよいでくる風のなかに、私のような鈍感な者にもこの地の清浄さが伝わってくる。
この聖地までやって来た日本人は、カトリック関係をいろいろ調べてもほとんどいない。間違いなく、45人の日本人がここでロザリオを唱えたことなど、かつてなかったに違いないし、45人の東洋人がここで正真の瞑想をしたことも、かつてなかっただろう。聖母はそれをご覧になって、というよりお感じになって、ことの他お喜びであったに違いない。
瞑想が終わって出発の時間となっても、立ち去り難かった。ある人は松の木に頬ずりをし、ある人は石や松の実を集め、なんとか意を決して下山する。
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大天使ミカエルの記念碑
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ご出現の丘にむかって
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ご出現の松
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コンチータ近影
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それでは
ロザリオの祈りを・・・
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瞑想
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松の枝を拾う
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いまだのどかな
ガラバンダルの村

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第十三回 〜二千年の聖都への大巡礼 サンティアゴ・デ・コンポステーラ〜 二日目

午前はプラド美術館を見学。保有絵画8000点超、絵画館としては世界一を誇るこの美術館は、ゆっくり見て回れば一日でも終わらない。
館内を歩きながら次々現れるのは、これまで画集や絵ハガキのなかでのみ見てきた名作の数々。ムリーリョ【無原罪の御宿り】、フラ・アンジェリコ【受胎告知】、ルーベンス【三美神】、ゴヤ【着衣のマヤ】と【裸のマヤ】……。巨匠たちの息づかいが伝わる名画が、今、実際に目の前にある。
その後、バスはエル・エスコリアルへ。イベリコ豚の骨付きステーキ、魚のムニエル等に舌鼓を打った後、壮大なエル・エスコリアル宮殿(兼修道院)に目を見張る。
だが、この日のメインは、やはり何といってもアヴィラだ。リジューの聖テレジア、マザー・テレサ等の名前のもととなった大聖テレジアを生んだ街である。
中世期、堕落していたカトリック教会において、修道院内部もまた同様であった。それに対し、本来あるべき規律を再興し、真にキリストに倣って生きようとした一人の女性がいた。彼女はそのために新たな修道院を建設したが、堕落した生活に慣れきった教会幹部らは、彼女をイジメることに没頭した。厳冬のこの地にあっても裸足で生活した彼女らは、後に裸足のカルメル会などと呼ばれるようになった。
記念館では聖女の遺骨をはじめ、彼女らがじかに履いたサンダルや、贖罪のため枕に使った木の棒、激しい苦行の結果、文字通り血の滲んだ衣類などの遺品を拝礼。祈りの最中、体が浮遊したり、また、ご出現になった幼いイエス様に会った、まさにその場所を目の当たりにする。
宿泊は、アヴィラの大カテドラルの前。中世のたたずまいを今も残す美しい城塞。途中、観光客に道を尋ね始めて分からなくなり、最後には「私は悪くない」と言い残して去っていった、どこまでも憎めないガイドのおばさん。神聖な遺品の数々と聖なる事跡の現場……。巡礼初日だというのに、もう目一杯だ。
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フラ・アンジェリコ【受胎告知】
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ムリーリョ【無原罪の御宿り】
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ムリーリョ
【善き牧者としての
幼児キリスト】
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マドリッドの子供たち
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壮麗なるエル・エスコリアル宮
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幼子イエスの出現を受ける
大聖テレジア
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苦業の衣
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聖テレジアの書いた手紙
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どうしよう・・・・
(道に迷ったガイドさんと)
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ライトアップされたアビラの城塞

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第十三回 〜二千年の聖都への大巡礼 サンティアゴ・デ・コンポステーラ〜 一日目

例によって例のごとく、睡眠時間一時間。部屋を出る瞬間まで、資料の準備その他、仕事が間に合うかどうかの競争だった。
やり残したことどもを気にしつつリムジンバスに乗り込むと、そこには福岡からご参加のOさんが。まごうことなき癒し系の彼女ににっこり微笑まれると、一気に緊張から解放されて、思わずOさんを抱きしめてしまう。ご、ごめんなさい、Oさん……。
空港で、皆さんとの顔合わせ。最近は<プレマ・セミナー>に加えて<木曜くらぶ>など、さまざまな場でお会いすることが多いので、かつてのように一年ぶり、というふうではない。でもやはり、こうしていつもの皆さん、そして初めての皆さんのお顔を拝見すると嬉しくなる。
だが、このときは、まだ誰も知らない。今回の旅が、どのような感動と驚嘆に包まれるものになるのかを。
一行はエールフランスに乗り込み、一路パリへ。機内では、昼食と夕食の合間に、いつものカップヌードルやサンドイッチ、アイスクリームを楽しむ。その後、マドリッド便でも機内食が。体を動かしていない割りには食欲はあって、気がついてみたら完食。
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台風の日に
黙って出て行ったハト
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旅行前、気がついたら
卵を産んでいた
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休日の大阪・日本旅行で
打ち合わせ(磯野氏と)
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ちょっと荷物を・・・
(パリ便にて)
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土足で上がって作業する店員
(シャルル・ドゴール空港で)
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マドリッドの夜景

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先輩 9

そんなこととはすっかり別に、何人かの方からは、この披露宴はさぞ“美女係数”が高かったことでしょうと聞かれた。
たしかにそうだった。……が、私の素朴な感覚では、“美しい人”にはそれとはまた別の基準がある。
瞑想講座やセミナー、巡礼旅行などに来て深い真理を学ぼうとされる皆さんの真剣な面持ちや、瞑想を終えて出て来られたときの皆さんの清々しく精妙な表情ほど美しいものは他にない。瞑想の後、髪の毛や肌が何ともいえずしっとりすると言う方がいるが、内面の深さや美しさは隠そうにも隠しきれず、外側に溢れ出る。そんなとき、この人たちが愛しいという気持ちが心の底で湧いてくるのだ。
                                      
事務局より:
青山先生のエッセーや、瞑想を実践される皆さんとの手紙のやり取り、最新活動案内などの載ったメールマガジンを発行しています。
エッセーをはじめ、ホームページには載らない情報もたくさんありますので、是非ご登録ください。

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先輩 8

「大企業」といったとき、日本においても他の先進資本主義諸国と同様、公害を垂れ流したり詐欺商法で顧客を食い物にしたりした(する)ところも実際あり、言葉としてのイメージは今一つだ。
しかし、当然のことながら、そのようではない大企業も多々あって、彼らの経済活動からは巨大な富が創出され、納める莫大な税金でわれわれの生活が潤い、国家の繁栄を支えているという面もある。相対界のいかなる存在も、一概に善とも悪とも決めつけることはできない。
いずれにせよ、そんな中にあって、社会の質を高め、自分や家族だけでなく、国家や世界の人びとを幸せに導こうとする仕事ほど、男にとって神聖なものはない。その意味では、杉原裁判長はもちろん、社会のフロントランナーといえる後輩諸君もみな、私にとっては先輩に見えた。

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先輩 7

秋光君は随分出世してしまって、こういう機会でもなければ私などが接点を持つようなこともなかろうと思われたが、彼はなんと、新郎とは大学時代からの付き合いだといって私を驚かせた。やはり、この国のエスタブリッシュメントたちは、若い時代から着々と人脈を培い、それを生涯にわたって発展させていくものなのか……。
そこで私もちょっと対抗して、別の人物を秋光君に紹介することにする。
中・高の8期下の後輩であるにも係わらず、早くも上場企業の社長を務めるこの人は、きわめて進化した意識の持ち主として私も注目している。
ところが、会わせてみると、なんとこの二人もすでに仕事上の知り合いであることが判明した。ただ、同郷で、中学・高校の先輩・後輩であることを彼らは知らなかったという。
一人の先輩が胸のすくような判決を出してくれたことから、中学・高校時代のことを思い出した。そうして披露宴に行ったらそこに三人、中・高の先輩・後輩がいた。
こういうのを、俗にシンクロニシティと呼ぶのかもしれない。三人のなかでは形式上、私が一番先輩ではあったが、社会というものをほとんど知らない私にしてみれば、全員が先輩のようなものだ。

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先輩 6

「16期の青山圭秀さんではないですか?」
後ろから突然、そう呼びかけてくる人が出席者のなかにいた。
「17期の秋光です」
寮の一学年下に、秋光というよくできる男がいて、東大法学部に進学したのを私も覚えていた。今回の判決を下した杉原則彦裁判長とも彼は同室だったことがあり、したがって彼らは中・高・大と先輩・後輩になったことになる。
秋光君とは大学時代に一度だけ、東京の街中で会ったことがある。当時私は松濤に住んでいて、彼は渋谷から東大駒場に歩いて通学していてばったり会ったのだ。「こうやって歩いて、体力を落とさないようにしています」と言ったのが印象的だった。
そうしたこともあって、彼は当時スリムだったのだが、今や恰幅がいい。体だけでなく、表情にも貫祿がある。
しかし、それもそのはずだ。計算してみれば、あれからもう30年近くが経っているのだ。

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先輩 5

宴が中盤にさしかかると、皆さんは品よく名刺交換を始められた。なるほどそうか、こういうタイミングで名刺交換をするのか……などと感心していると、某企業の偉い方が近づいてきて、私にも名刺を差し出される。新郎に私の本を最初に勧めたのはその方とのことだった。
本など書いていると、どこでどんな方に読まれているか、見当もつかない。
もともと拡大された意識の持ち主であった新郎は、それを機に東洋の科学や哲学の探究を深め、恋人を伴ってある日瞑想を習いにこられた。そうして後、毎日欠かさず瞑想を続けているという。多忙な日々であろうに、まことに頭が下がる。
だが、常々言っているように、忙しい人ほど瞑想の効果が顕著に現れるというのは事実なので、いよいよこれを楽しみ、活用していただければ、私も日本の経済に多少なりとも貢献したことになるかもしれない。
ちなみに、今回結婚された美しいお相手は、そのとき一緒に来られていた方で、結婚の条件の一つは「毎日瞑想すること!」だったと聞いて驚愕した。

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先輩 4

ただ、私のとなりは人当たりよく品のいい大学の先生、反対側のとなりは東京交響楽団の常任指揮者である大友直人さんと夕海(ゆみ)夫人だったので、助かった。
日本人離れした容姿の夕海さんにはイギリス人の血が流れているが、実は現在の英王室とは縁戚に当たるなどという、結婚にちなんだ話題で局所的に盛り上がったのだった。
ところで、披露宴なのだから、当然、スピーチや余興が登場する。社会的に偉い人たちというのはどういうスピーチをするのか興味津々だったが、彼らはどうも、あまり美辞麗句を用いないようだ。ポイントを比較的ストレートに、しかし粋な表現で語る。だからこそ皆さん、経済界において成功されるのかと少し納得がいった。
また、新婦の友人は何人かで歌を歌い、フルート奏者である新婦自身も演奏を披露されたが、誰一人として緊張しているふうではなかった。
こういう場に慣れている人びとが、この世の中に存在するのか……。新郎が世界中で収集してきたという高そうなワインが次々開けられるなか、私はそんなことを思い絶句した。

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先輩 3

そんなことを思いながら、10月29日、友人の結婚披露宴に行った。
彼ははっきり言って、これまでも、そしてこれからも日本の経済を背負って立つ人材だ。その披露宴に集まってくる人びともまた、日本の政治・経済・文化を担う人びとであることが予想され、出かける前には少し気が重かった。第一、こんなとき、御祝儀にいくらくらい包むのが“正しい”のかからして、私には見当がつかない。
予感はさらに悪いほうに当たり、着いた席は新郎の真ん前、テーブル向いには大企業の会長とか社長、CEOとかCOOとか、誰がどう偉いんだかよく分からない人びとが大集合していた。そのうちのおひと方はまだ若くて無精髭を生やし、なんと開襟シャツで来ておられたので、私はさらに度肝を抜かれた。

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