祈り

世界中のどの聖地に行っても、
読者の皆さんや、特に瞑想をお教えした皆さんの幸福を願う。
肉体をもち、物質の世界に生きているわれわれは、
たとえばサンティアゴの聖ヤコブや、ファティマの聖母マリア、
秋田の聖母やインドのサイババといった
具体的な礼拝の対象があるほうが祈りやすい。
いつの日か、そのような相対的な姿を経ることなく、
われわれが“絶対”や“実在”を直接認知するときが来るに違いないが、
そのときまで、賛美や感謝、礼拝を捧げやすいように、
神々は化身してくることであろう。
私が儀式や巡礼がどうしても好きなのには、
そんな理由もある。
一年のこの時期、
読者や、瞑想をお教えした皆さんからは……

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瞑想録

皆さま、明けましておめでとうございます。
長い間親しんでいただきましたエッセー欄は、
本日よりブログとして再出発させていただくこととなりました。
青山圭秀の『瞑想録』。
瞑想録といえば、
パスカルやクリシュナ・ムルティといった偉人・賢人がものしていますが、
ささやかながらも私なりの『瞑想録』をお届けしたいと思います。
ただ、発展途上の私が“日々迷走”するのが心配ですが……。
どなたでも、これをお読みいただくことができますが、
特に<プレマ倶楽部>会員の方からはレスポンスをいただくことが可能です。
会員の方には、そのためのIDおよびパスワードを、追ってお知らせいたします。
同じブログのなかで、またはセミナーなどの際、
皆さまからいただいたコメントについても語るなどして、
さらに集合的な意識が深まっていくことを願っています。
新しい年、皆さまが健やかでお幸せでありますよう、お祈りいたします。

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大晦日

気の置けない友人たちと久しぶりに会うのに、思い切り遅刻をした。
“気の置けない”人びとだけあって、当然、思い切り非難されたが、心のなかでは分かってくれていて、話ははずんだ。昔の学校のこと、友人たちのこと、それぞれの現状、未来への展望……。
遅くまで話し、歌ったりもすると、精神が昂ぶるのかよくは眠れなかった。おかげで朝早く目覚め、今年最後の日の出を見る。東京の町並み越しであれ、昇る朝日を見ると、大自然の壮大さが感じられ、涙が出そうになる。そうしてなんとか一日仕事をし、あと数時間で一年が終わろうとするとき、おもむろに、この年、自分は本当にちゃんと生きたのかという想いがやってくる。
一年間、苦しいことや悲しいことがたくさんあった。それらのすべてが終わったわけではない。カルマやダルマのせいなのか、それとも運命なのか……そんなことは分からないが、いずれにしても、私はベストを尽くしてきたといえるのか……。
去年の今日、エッセー欄で、一年のうちこの日が一番好きだと書いたが、しかし大晦日は、同時にそんなことが問われる日でもある。そうして、よいことも悪いことも、幸運も不幸も、カルマもダルマも、すべてをひっくるめて乗り越えさせてくださいと、祈るしかなくなる。

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震撼3

自転車で自宅にもどった私は、午後は<プレマ・セミナー>に向い、イエスとマリアの神秘について話したいことのかなりの部分をお話しした。有り難いことに、皆さまそれを敏感に感じとってくださったようで、また、その後の【マリアの会】はさらに楽しい会となった。
そうして帰宅した後、何気なくテレビをつけると、スポーツコーナーでやっていたのは「ディープ・インパクト」だった。
この馬、香港では「大震撼」と書くらしい。21年ぶり、史上二頭目の無敗の3冠馬となった後、この日の有馬記念にも圧勝し、最終的に国内13戦12勝の記録を残して引退。ディープは、まさに奇跡で人びとを“震撼”させた。
引退後の天才馬は、今後、種馬としての余生を送るという。その場所は……とテレビが言ったのが、北海道の安平(あびら)町だった。おそらく、ディープ・インパクト見たさに多くの人がこの町を訪れることになるのではないかと、解説が続く。
中世の聖者と現代の“奇跡”。趣は違うが、奇しくも同じ名の街である。「鳩山さん、姉妹都市の縁組をされたらどうですか??」などと、気楽なことを言いつつ、意外とそれも面白いのではなかろうかと、私は密かに思ったのだった。
(クリックで画像拡大)
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少し大きくなりました

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震撼2

「この、アヴィラという街はどんな街なの??」
アヴィラは、大聖テレジアで知られるが、もう一人、十字架の聖ヨハネという聖者が同時期にいた。意識の進化にともなって肉体の状態も進化した二人は、会話を交わしながら、体が宙に浮いていったなどということもあった。
「このような大聖者が二人、同じ時期、同じ街に住んでいたというのは、それ自体、一つの奇跡みたいなものです」
実際、この二人のおかげで、中世のカトリック教会や修道会は再生した。だが、彼らのような高徳の者が出れば、逆に、教会の高位聖職者や修道会首脳らの堕落ぶりが際立ってしまい、彼らはそのことに“震撼”したのだった。
自らの政治改革と重ね合わされたのか、そんな話を鳩山さんは興味深そうに聞いていたが、一言、言われた。
「北海道にも、“アヴィラ”があるんですよ……」
なんでも最近の市町村合併の結果、北海道に安平(あびら)町という新しい街が生まれたのだという。安平はアイヌ語から来ているらしく、当然のことながら、アヴィラのことなど誰も知らない。
「しかし、それだけの聖地と偶然とはいえ名前が同じ。可能なら人びとが交流するといいな……」
とりあえず親善旅行などに行き来するとかができれば面白い、というのである。

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震撼1

12月24日のクリスマス。この日は、イエスとマリアの神秘に関して、いまだかつてない話をセミナーでするため、また、今年最後の【マリアの会】で皆さんに楽しんでいただくため、朝から準備が進められていた。そんななか、どうしても今年中にしなければならないことがあって、私は午前中から鳩山由紀夫さんのお宅にいた。
鳩山さんは、現在の民主党生みの親である。1993年、政治改革の嵐の吹き荒れるなか、当時の腐敗した自民党に見切りをつけ、新党さきがけを立ち上げる。その後、細川連立政権で官房副長官に就任されたが、『理性のゆらぎ』を読み、人を介して会いたいと言ってこられたのはちょうどその頃だ。政府高官としての多忙な日々を過ごしておられたに違いないのに、『アガスティアの葉』を執筆中だった私は、それを何カ月もお待たせした。もともと東大で工学を専攻された氏は、政界にあっては珍しく精神性に関する造詣も深い。
この日も雑談になってから、先日の旅行の話になった。サンティアゴ・デ・コンポステーラと聖ヤコブの奇跡、先般亡くなり、ファティマの大聖堂に埋葬されたルチア、まったく観光地化されておらず、あまりに清浄で神秘的だった聖地ガラバンダルの話等々、興味深そうに聞いてくださったが、ふともらした一言は……

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神人

年の瀬、24日は今年最後の<プレマ・セミナー>となる。折しもクリスマス・イブ。聖母マリアが「受胎告知」をされる有名なルカ福音書の部分の解説を、実は私は、この日のために残しておいた。
医者であった聖ルカは、イエスの直接の弟子ではない。しかしそれだけに、直接イエスと交わった多くの人に取材し、他の福音史家にはない詳細な記述を残した部分がある。「受胎告知」はそうした部分の代表とされ、多くの芸術家たちの想像力をかきたててきた。
いまだ十代の半ばであったろう乙女マリアのもとに、大天使ガブリエルが遣わされて言う。
「めでたし、恵まるる者よ、主、汝(なんぢ)と共に在(いま)せり。
 見よ、汝、身籠もりて男子を産まん。その名をイエスと名づくべし」
これを聞いたマリアは心騒がせ、天使に言った。
『われ未だ男を知らぬに、如何(いか)にしてこのことのあるべきや』
天使が答えて言う。
「聖霊、汝に臨み、いと高き者の力、汝を被わん。
 この故に汝が産むところの聖なる者は、神の子ととなえらるべし……」
世界に15億とも20億ともいわれるキリスト教徒のすべてが、この有名な箇所を幾度もなく読み聞きし、多くの人は文字通り信じている。聖母マリアと大天使ガブリエルとの間にこうした会話があって、後に神の子であるイエスが生まれた。
しかも、ローマ・カトリック教会は、『われ未だ男を知らぬに……』という聖母の言葉を、彼女がこの時点において、すでに生涯貞潔であることの誓いを立てていたと解釈している。
が、驚いたことに、現代の聖書学の趨勢はこうした解釈をとらない。聖母と大天使との間に、文字通りこの会話が交わされたかどうかは疑わしく、まして、この時点で彼女が純潔の誓いを立てていたという根拠は、聖書学的には弱い。
それでも、マリアは乙女のままイエスを身籠もり、産んだのではなかったのかと問われれば、私はそうであったと確信している。では、実際にはどのようなことがあったのか。
当然のことながら、神が人として生まれるなどということは、われわれが通常の理性で理解できるものではない。しかし、神人(かみびと)の降誕にまつわる神秘を知りたいという強い欲求に、われわれの誰もが捕らえられる。
イエスを産んだマリアは、真実、どのようにしてその地位につくことになったのか。われわれの知らない、教会も知らない、または語らないどのような神秘が、そこにはあったのか……。
24日のクリスマスは、イエスの降誕祭にふさわしいそうした話題について、集中的にお話ししたいと思っている。
事務局より:
24日の<プレマ・セミナー><瞑想くらぶ>は会場、および時間帯が変更になりますので、よろしくお願いいたします。
【マリアの会】は、6時半よりソフィアビル3Fで行なわれます。ふたたび贈られました生産数限定の銘酒 「Jovanni Paulo II (ヨハネ・パウロ二世)」を青山先生が開け、本年度最大、前回を上回る盛り上がりが期待されておりますので、奮ってご参加ください。

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宗教 3

いつの日か、キリスト教会においても、そうした過ちが正されるときが来るであろう。
真実は、それ自体の重みにより、いつか自ら真実であることを証しする。だが、教皇の不可謬権という教義により、その過ちが正されるときには、ローマ・カトリックはもはや以前と同じ宗教ではあり得ない。
こうした誤謬が正されるのは、ちょうどユダヤ教がキリスト教に脱皮したように、キリスト教がさらなる普遍宗教に脱皮するときであるに違いない。
私は、どの宗教のどの部分がおかしいとか、間違っているとかいうことを言いたいのでは決してない。むしろ、キリスト教ほど美しい宗教ですら、神と人との合作である以上、そうした要素が含まれるのは避けられないことを言っている。
それでも、キリスト教には人を感動させ、救う圧倒的な力があることもまた、動かせない事実である。そのことを、この一週間の旅行に行かれた皆さんは、全身・全霊をもって体験された。
では、われわれは現代、宗教というものとどう付き合っていけばよいのか。3日のセミナーでは、そのようなことも含めお話しするとともに、できればいよいよ【ヨハネによる福音書】冒頭部分に入っていきたい。

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宗教 2

当時のユダヤ社会においては、魂が生まれ変わるという思想は、明らかに認められていた。そして輪廻転生という事実は、実際にある。
イエスがここで、『エリヤはすでに来た』と言った場合、それはエリヤが確かに洗礼者ヨハネとして来たことを示唆している。
それが自然な解釈であったが、しかし、6世紀に開かれたコンスタンチノープルの公会議においてこの説は異端とされ、結果、多くの善男善女が破門の憂き目にあった。後に彼らは遠く中国にまで渡り、景教を興すこととなるが、ここに良い意味でも悪い意味でも、組織宗教の本質をわれわれは見る。
組織宗教は、人に尊い救いを与えもするが、避け難く、誤謬を与えることもあるのである。
それから遅れること1300年、ローマ・カトリック教会は、ローマ法王の不可謬権(または無謬権)という新たな教義を発布した。
簡単に言えば、ローマ法王が正式に発布した教義は、誤ることが「なく」、また「できない」というものである。ここにローマ・カトリック教会の教義体系は内向きには完成したが、しかし、誤謬は誤謬のまま、永遠に残ることとなった。

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宗教 1

ヨーロッパの巡礼旅行から帰り、旅日記はいつ出るのですかというお問い合わせがいくつかあった。
いろいろ野暮な用事が多くて落ち着かない上に、旅の途中ではさまざまに神秘的、かつ驚愕することどもがあったので、いまだに半ば夢うつつのよう状態にいる。
旅行に行かれた皆さんからいただくお手紙やメールにも、いまだ聖地の余韻から醒めないまま会社に行ってます、というものが多く、私だけのことではないらしい。
そんななか、3日の<プレマ・セミナー>の準備のため、聖書を読み返してみた。
洗礼者ヨハネについて、
「なぜ、律法学者たちは、まず預言者エリヤが来るはずだと言っているのでしょうか」
という問いに対して、イエスは答えている。
『確かにエリヤが来て、すべてを元通りにする。
 言っておくが、エリヤはすでに来たのだ。
 だが、人びとは彼を認めず、好きなようにあしらったのだ』

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