8・11 チャリティ講演においでいただく皆さまへ

7月は今日で終わり、あっという間に8月です。
8月11日は、日頃から大木神父の活動に関心を寄せていただいている皆さまにお目にかかれるのを楽しみにしておりますが、
当日、ご希望される方は、午前10時30分より約1時間、ボランティアの方にご案内いただき、2コースにて平和祈念公園を見学できることになりました。
コースA 平和記念資料館
資料館のなかを、ボランティアの方に解説していただきます。
コースB 屋外記念碑めぐり
・原爆死没者慰霊碑
・平和の灯
・原爆の子の像
・原爆ドーム
・嵐の中の母子像 等です。
日時:8月11日 午前10時30分〜11時30分
費用:無料
   ただし、平和記念資料館の場合、入館料が50円必要です。
ご連絡:事前に人数を確定しなければなりませんので、
    どちらのコースに参加されるかを
    株式会社ライトフィールド 関野までご連絡ください。
メール:info@lightfield.co.jp
電 話:03-3722-9090
F A X:03-3722-9091

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宗研5

正課の授業で特にキリスト教教育を受けたわけではないが、
聖書を学びたいと希望する生徒には、課外のクラスが設けられていて、
こちらは「宗研」といった。
どう考えても、これは「宗教研究会」の略に違いなかったが、
これを宗教研究会と誰かが呼ぶのを聞いた記憶は、
中・高の6年間を通じて一度もない。
中学一年に入ってすぐ、大木神父の宗研に入りたい生徒が募集された。
まったくの任意で、たしか20人くらいのクラスが二つできたと思う。
曜日によって、何曜宗研、何曜宗研と呼ばれるようになった。
私がこれに入ったかというと、実は入っていない。
聖書を読むなどという“贅沢”を始める前に、しっかり勉強しなければ……などと、
子供心に思ったのだった。
その割りには、一人の修道士の方をつかまえて無理やり弟子入りし、
ヨーガを学び始るなどということがあった。
こうして、私の人生は、
キリスト教系から東洋哲学系へと進んでいってもおかしくなかったのだが、
どうしたわけだか気がついてみると……

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宗研4

最近のメルマガ(第15号)にも書いたように、
広島学院では、他の学校で道徳と言っていた「倫理」という科目があり、
これをカトリックの神父が教えていた。
われわれの学年は大木神父が担当し、彼はクラス担任も持っていた。
倫理の時間には、たまにキリスト教について学ぶこともあったが、
内容の多くは一般的な倫理教育だった。
キリスト教について語られるときも、
これを信じなさい、
できれば洗礼を受けなさい、という姿勢が感じられたという記憶がない。
かりにそのようにして教育を“布教”の一環と位置づけようとしたとしても、
生徒らの知的水準は意地悪なほど高かったので、無駄だっただろう。
そんななか、当時から大木神父が一貫して言っていたのは……

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宗研3

小学校3年のとき、
学級文庫に『イエス・キリスト』という本があった。
タイトルが銀色で、本体が緑色の布製だったように記憶している。
タイトルに惹かれ、すぐに読むことに決めたが、
それが、一冊のまとまった本を自分で読んだ最初だった。
このとき、イエスの生涯について一通り読んだはずなのだが、
この本の内容として今も私の記憶に残っているのは、なぜか、
イエスが洗礼を受けるシーンである。
洗礼者ヨハネは、『私のほうこそ、あなたから洗礼を……』と言うが、
イエスは、『今はこうさせておいてくれ……』と返すシーンだ。
それから以降、小学校を卒業するまで、
私は大遊びしながら暮らしていて、これといって本を読んだ記憶がない。
当時、本を読む習慣がついていれば、
私の人生も少し違ったものになっていただろうと思うが……。

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宗研2

広島学院に入って、アンケート用紙が配られたことがある。
この学校に進学した理由は何ですか、という質問の選択肢には、
進学校だから、
国際教育が受けられるから、
英語教育が充実しているから、等々に並んで、
キリスト教教育が受けられるから、というものがあった。
おそらく、これに○をつけた者は、ほとんどいなかったに違いないが、
私が広島学院に入った(どうしても入らざるを得なかった)とりあえずの理由は、
これらのなかにはなかった。
私の実家は、裏手がすぐ公立中学なので、
普通ならずいぶん楽な中学生活が始まるはずだった。
ただ、私自身は小学生のときから公立教育にあまり満足できなかったので、
親に相談することなく、私立を受験することに決めた。
詳しくは書けないので、少しだけ当たり障りのないことだけ書くと、
小学校三年のときの担任は情熱的な方だったがヒステリー持ちで、
四年のときの担任は、待望の男性教師だったがいかんせん、
タバコとアルコールの中毒だった。
彼は二日酔いで学校に来ては怒鳴り散らし、
教室のなかでタバコを吸った。
われわれが五年生に進級してすぐ、
彼はいつものように酔っぱらって国道を歩いていて、
ダンプにはねられ即死した。
だからといって、当時のクラスメートの誰も悲しまなかったと語り草になるほど、
われわれはこの先生に苦しめられていた。
この方も、本当は純朴な人だったと思うが……。
こうして十歳にして、われわれの誰もが、
女性のヒステリーと男性のタバコ・アル中は、
どうしようもないという感覚を抱くようになっていた。
それでも、この辺までならまだ、私は公立中学に進んだかもしれない。
が、小学校5、6年のとき……、

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宗研1

私が中学・高校時代を過ごした広島学院は、
カトリックのイエズス会が建てたものだ。
カトリック教会とイエズス会の違いを聞かれることがあるが、
イエズス会は、世界に十数億の信者を持つカトリック教会内部の修道会である。
世界史の教科書にも出てくるように、
教会の腐敗と堕落、混乱を深く憂えたイグナチオ・ロヨラらが、
最初は7人の仲間と共に始めた。
「キリストの軍隊」を自認し、
キリストの兵士となってその栄光を顕すため、
特に男子教育と学問に力を入れる。
創立メンバーのなかには、
イグナチオ・ロヨラ以外にもフランシスコ・ザビエルがいて、
彼は後に「東洋の使徒」と呼ばれ、聖人の列に加わった。
彼らが会の結成を誓いあった歴史的な部屋が、パリはモンマルトルの丘近くにあり、
かつて『大いなる生命と心のたび』でこの丘に登ったとき、訪ねたことがある。
イエズス会の建てた学校は世界中にあるが、
日本にも、大学としては東京の上智大学、広島のエリザベト音楽大学、
中・高等学校としては神戸の六校学園、鎌倉の栄光学園、
広島の広島学院、福岡の泰星学園等があり、
中・高はみな男子校だ。
その一方で、上智大学は女子の比率が高く、
東京に出てきて初めて、上智に行った友人のN君に誘われて学園祭に行ったとき……

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因果13

ところで、イチローの例を見るまでもなく、
お金というものは、さまざまな条件さえ整えば、
いかようにも得る可能性があるものだ。
(それでも得るのは難しいが……)
それはまた、同じように、
ちょっとしたことですべてを失う可能性もある。
(こちらのほうは簡単)
バブル紳士たちの資産総額はあっという間に数千億円に膨らみ、
しかしあっという間にゼロか、またはマイナスになった。
ホリエモンにも似たようなことが起きた。
外的なものというのは、そういうものだ。
しかし内的な価値はそうではない。
われわれはお金では買うことのできないような、
またはお金に換算できないような巨大な内的価値を……

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因果12

その昔、プロ野球会の大スターといえば王・長嶋であった。
その二人の年俸が、併せてなんと1億円になった! という“大ニュース”を、
小学生の頃、耳にした覚えがある。
王と長嶋の年俸を比較したとき、
成績の上でどんなに王のほうが優れていても、
王の年俸を長嶋のそれよりも上にすることを、
読売巨人軍は決してしなかったという。
きわめて日本的な、古い価値判断基準であり、
ある意味、差別のようにすら感じられるが、
かつてはそんなことが実際にあった。
王はそれでも、毎年、球団の提示額そのままで判子を押したが、
そのこともまた、今のご時世では考えられない。
その後、数年して長嶋は引退、
王の年俸が6000万円に乗ったとき……

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因果11

マリナーズのハーグローブ前監督が、
いかに無能だったとはいえ、シーズン途中で突然辞任したのは、
どうしてもイチローと契約を更新したかったマリナーズ側の
“誠意”であったとみるのが妥当かもしれない。
実際、イチローがここへきて結んだという新しい契約は、
5年で9000万ドル、年俸にして22億円超だという。
「年俸500万円なら弥生時代から、
 1000万円なら平安時代からプレーしないと到達できない額」
と本人は語った。
世界中で何億人という子供が、その日食べるものがなくて亡くなっている現在、
この額をどう評価するかは人それぞれであろうが、
あの才能と、謙虚で一途な姿勢への対価としては、
まことに妥当という他ない。
実際、アメリカ企業のCEOのなかには……、

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聖書

日曜日の<プレマ・セミナー>で
東洋の聖書【バガヴァッド・ギーター】の解説を続けいていたとき、
ある方が、西洋の聖書も解説してほしいと言われたのが、
【ヨハネによる福音書】を取り上げた直接のきっかけだった。
【バガヴァッド・ギーター】を終えるというときには、
何人かの方からは終わらないでほしいというご要望をいただき、
その皆さんの祈りのせいか、
予定よりも2、3回、解説は長引いた。
その後、【ヨハネによる福音書】に入ったが、
イエスの弟子のなかでももっとも霊性の高かった弟子といわれるだけあって、
なんと第一章を解説するのに12回、一年を費やした。
充実した一年だったが、それほど、
【ヨハネ】の冒頭は抽象的、かつ深い意味合いを持つものだった。
ところが……

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