宗研15

ソクラテスといえばどうしても思い出すのは、
『ソ、ソ、ソ〜クラテスも、プラトンも〜
  ニ、ニ、ニ〜チェもサルトルも〜
   み〜んな悩んで大きくなったっ♪』
という、チョコレートのCMソングだろうか。
私が小学校の頃、
『大きいことはいいことだ〜〜♪』
と歌った山本直純の後継CMとして、
野坂昭如が歌ってヒットした。
すぐピンと来る方は、私か、それ以上の年代ということになるかもしれない。
なぜ小学校のときだったと分かるかといえば、
中学校、高校時代、寮と学校を往復し、宗研に通っていた私は、
テレビをほとんど観ることがなかったからだ。
たまに、寮の娯楽室が黒山の人だかりとなることがあって……

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宗研14

『悪法もまた法なり』と言い、
悠然と毒杯をあおって死んでいったというソクラテスの話を聞いたのは、
中学3年のときの世界史の授業だった。
このとき同時に、悪妻クサンチッペの話も聞いた。
人類史上稀に見る天才ソクラテスは、
悪妻のおかげで、さらに生を、そして苦を、深く探求したという。
当時は冗談の類だと思ったが、しかし今になってみると、
それはそのとおりだろうと思わないではいられない。
仮にもし、ソクラテスが温和で控えめ、献身的な妻をもっていたら、
彼の人生も、哲学の表現のしかたも、ずいぶん違ったものになっただろう。
その意味でも、イスカーナヤマトさんはさしずめ、
“広島のソクラテス”といえるかもしれないが、
そんなことをうっかり書いていて、奥様から、
私の言い分も聞かないで、不公平! といわれたらいけないので、
他人はあまり深入りしてはいけない。
ところで、ソクラテスの哲学も、実はかなりの部分が……

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宗研13

今年、『ピースウォール広島2007』という試みがあった。
「世界各国の大使、大統領、市長、俳優、作家など要人、著名人100名から寄せられた平和のメッセージと、絵画、写真、陶工芸のアーティスト、俳句短歌の作家など、250点あまりを巨大なパネルにして展示するイベントです」(主催者説明文より)
平和への言葉は多方面から寄せられており、
私たちもよく名前を知らない国の大統領や大使、政治家に加え、
懐かしいアラン・ドロンという名前も見られる。
私になぜ依頼が来たのかはまったく分からないが、
広島(県)出身の作家だからだろうか。
ところで、私が寄せた文は、次のようだった。
『真理は一つ、
 表現としての宗教はさまざまであることを理解しなければ、
 人類に平和はありません』
これは、私が考え出したものでは、もちろんない。
もともと、ヴェーダの考え方の基本であり、また……

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宗研12

奇跡的な治癒にあずかった女性は特にカトリックを信じているわけではなく、
インドの聖女が来日しなければ、われわれが再会することもなかっただろう。
その意味で、彼女は聖母と聖女の両方に感謝している。
だが、ヴェーダ的な立場からすれば、
仮に聖母マリアが慈しみの化身ならば、同じような化身がインドや、
その他の地に現れてもおかしくない。
小説『最後の奇跡』に書いたように、
実際、アムステルダムにご出現になった聖母は、ご自分に関して、
『“かつてマリアであられた”すべての民の御母……』
という祈りの文言を残された。
カトリックの立場からは考えられない文言で、
聖母から直接これを聞いた女性は、
この部分を最初は公表できずに、伏せていたのである。
しかし聖母ご自身に、それを咎められ、
今では世界中の多くのカトリックがこの祈りを唱えている。
ヴェーダはいう。
愛も、慈しみも、人類の歴史のなかで……

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宗研11

中学のときの宗研で、ある日、物語の映写会があった。
『ルルド』で起きた出来事を再現したもので、
私はルルドのことを初めて知ることになった。
そのときは、後に自分がルルドや聖母マリアを題材とした小説を書くことや、
読者の皆さんと何度もルルドに行くようになることなど、
思いもよらなかった。
また、ときを遡ること何十年も前に聖母マリアが、
一人のスペイン人医学生にルルドで2つも奇跡を見せていなければ、
被爆した長谷川少年が助かって神父になることもなく、
したがって、私が長谷川神父から祈りや要理を習うことも、
そもそも神父に巡り会うこともなかったなど、
まったく知らなかった。
ここ数年来、ルルドにご一緒した皆さんのなかには、
まったく予想もしなかったことだが、実際に奇跡的な治癒を得た方たちがいる。
そのうちのお一人とは、その前、
インドの聖女が来日した際の会場で、何年ぶりかでお会いした(再会した)。
「どうしておられますか?」と聞かれ、私は、
「今度、ルルドに巡礼に行くんです」と答えた。
その場で彼女は、「では、私も連れていってください」と即答したのだった。
実際にルルドに着いた日……

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宗研10

洗礼を希望していながら果たせなかった一人、N君は、
その後上智大学を卒業し、同じイエズス会系のジョージタウン大学に留学、
修士号を得て帰国した。
中学時代から英語がたいへんできて、
周囲をいつも愉快にしないではいられない人だったので、
私は今でも彼のことが好きでたまらない。
ちなみに彼は、最近メルマガに書いた『黄金色の想い出』を共有する、
二人のうちの一人である。
帰国後、N君は京都にある優秀なカトリック系の学校に勤めたが、
あるとき、私が京都で講演をしたとき来てくれて、
生徒さんを伴って一緒に食事に行った。
そのとき、カトリック系高校の英語教師としての生活ぶりをさまざま話してくれたが、
驚いたことの一つは、生徒とのつきあい方である。
現代の中学・高校においては、
かつて私が経験したような「主従関係」とはまったく違う、
「友人」のような関係があり得るらしく、
そうしたなかで交わされるという会話の内容の一部は……

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宗研9

他の皆さま同様、イスカーナヤマトさんのコメントもいつも興味深く、
そのすべてにお返事を書きたくなるくらいだが、
最新のものによれば、
ヤマトさんの四代前のご先祖は、家を継ぐべき身であったが、
洗礼を受け、宣教師となってアメリカに渡り、
その地で没せられたという。
ところで、大木神父には六人姉妹がいて、
その全員が修道女となられた。
大木神父の家は、もともとカトリックで、
横浜の司教などをよく食事に招くような敬虔な家庭であったが、
長女が修道院に入ったとき、父親は、
これを取り戻しに修道院に談判に行かれたとのことである。
普通どこでも、親に談判に来られたら、
怖くて親の言うなりになりそうなものであるが、
修道院側が彼女を放すことはなかったという。
この話を、私は、やはり修道女となられた妹さんから聞いた。
敬虔なカトリックの家庭ですら、
子を修道院に入れるというのはそういうものだ。
まして、家を継ぐ身であった方が洗礼を受け、
宣教師となって異国に行くなど、
普通では考えられない苦難があったに違いない。
マザー・テレサの修道院に入った友人の誓願式ミサでわれわれが特に願ったのは……

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宗研8

広島時代の6年間で、大木神父から洗礼を受けたのは私一人であったが、
少なくとも二人の友人が洗礼を希望していた。
二人とも敬虔な心の持ち主で、
今も私は彼らを尊敬している。
うち一人の洗礼式はある年のクリスマスに予定され、
一旦帰省していた私は、式に参列するため広島に出てきた。
途中、幟町にある平和記念大聖堂の売店に寄り、お祝いに聖母子像を買った。
それからまた市内電車に乗り、己斐(こい)で乗り換え、古江の丘に登り、
楽しみにして学校に着いた途端、私が聞いたのは……

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宗研7

筭田神父は、下のお名前を「健統」と書かれ、
おそらく「たけのり」とお読みするのだと思うが、
当時から寮生の誰も読み方をマスターしておらず、
卒業してもなお、そのままなのが申し訳ない。
大変優れたカトリック司祭で、その語る要理は理路整然とし、
大いに私の感性と、知的欲求を満足させた。
毎週水曜日の午後5時が近づき、
今日はどんな話が聞けるのだろうと思うと、
私は胸がどきどきしてきて、気もそぞろとなった。
5時ちょうど、舎監室に行き、入り口の表札を「面談中」に変える。
そうして、夕食が始まる6時まで、
この類稀な才能を持った神父を私は独り占めできたのだった。
中学2年のときには、大木神父のクラスの他に、
アイルランド人のドイル神父の宗研も始まり、
私はそれにも参加することになった。
(神父は、あまりに端正な顔だちと、ロマンスグレーの髪が美しく、
後に上智大学に移られてから、女子学生のファンが多くて大変だという話を、
私は週刊誌で読んだ)
しかし、このドイル神父、もともと厳しい神父のはずなのに……

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宗研6

大木神父の宗研に入りそびれた形になった私は、二年生になった頃、偶然、
カトリック要理を学ぶことになった。
寮の舎監室でおしゃべりしていて、
たまたま大木神父の宗研に入らなかった話になったところ、
舎監の筭田神父が、「では、私が教えましょう」と、
ご自分から言われたのだった。
今にして思えば、
当時は、一年生のときについていたヨーガの先生(修道士)から離されたときだった。
当時は分からなかったことだが……

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