宗研(番外編2)

8月16日のエッセーに対し、ふたたび、
BlessedTruthさんから智慧者のコメントが寄せられている。
まことにおっしゃる通りで、私自身、
お返事が抜けるのは、身近な人か、
身内のように感じている人に多い。
ところで、ポカラに移られた大木神父が、食うや食わずの状態にあることを、
われわれのほとんどはかなりの期間、知らなかった。
そのことに気づいて、経済的な援助を始められたのは……

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宗研22

ヤマトさんがコメントのなかで言われるように、
水が、どの民族にとっても神聖な存在であることは間違いない。
かつて東北地方に住むある霊能者(と呼ぶのは失礼かもしれないが)に
ルルドの水を見せたとき、即、
「これは……マリア様の水ですね」
と言われたのが印象的だった。
彼女は、私がルルドに行ったなどということも、
そもそも作家であることも知らなかった。
その水には、水の精がおり、
日本に来ることができて、日本の水の精たちと交わることができるのを
とても喜んでおられますよと言われたときには、
水の精と心が触れたようで、嬉しかった。
インドの聖典を読んでいると……

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宗研21

連日、広島のソクラテスこと、
イスカーナヤマトさんからは興味深いコメントが届く。
ルルドでマリア様がご出現になったとき、
人びとの反応はおおむね、二つに分かれた。
ある人びとは、ベルナデッタの神々しい様子を見て、
それがウソや作り事だとは思えなかった。
必ずしも高い教育を受けていなくても、
純朴な精神を持った人びとの多くは、常に、
本物を見抜く眼力をもっている。
一方、市当局や警察、教会! は、
これを否定する側に回り、ベルナデッタを迫害した。
逮捕・監禁して、
「ウソを言ってましたと認めれば許してやる」と脅され、
問い詰められた14歳の少女は、しかし、
頑として主張を変えることがなかった。
聖母を見たんだからそれくらいできて当然だろうと思う人もいるかもしれないが、
聖母出現にあずかった人のなかにも、
その主張を変え、それをまた翻し……という人もいる。
ベルナデッタの場合は、特別であった。
ところで、ルルドに泉が湧いて、奇跡の治癒が始まるや……

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宗研20

ルルドに行くときのもう一つの楽しみは、
大切な人たちの住所を忘れずに持っていくことから始まる。
なぜなら……

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宗研(番外編)

広島でのチャリティ講演が終わり、東京に帰って参りました。
一カ月しか準備期間がなく、
またお盆ということもあって、
皆さんにおいでいただけるかどうか不安がありましたが、
会場は一杯になりました。
いろいろな皆さんにお目にかかれて嬉しかったのですが、
講演の内容よりも、むしろ、
今回初めて公開した私の高校時代の写真や、
大木神父から洗礼を授かっているときの写真のほうに、
皆さんの感想が集中したのはどうしたことでしょうか……。
当日、実はわれらが「広島のソクラテス」さんも……

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宗研19

ルルドに行ったときの楽しみの一つは、間違いなく、
水道の蛇口からいくらでも出てくる「ルルドの水」を思い切り飲むことだ。
友人・知人からは、
ルルドの水をがぶ飲みして○○さんはガンが治った、
というような話をときどき聞く。
問題は量ではなかろう……とは誰でも思うわけだが、
しかし実際、ルルドの水のがぶ飲みは……

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宗研18

洗練されたファッションや香水のイメージの色濃いフランスも、
もっとも主要な産業は農業であることを、中学の地理で習った。
実際、ひとたびバスでパリを出ると、
見渡すかぎり農地が続く……という風景に出会う。
それでも、そのところどころにコンクリートの丸い建造物群があり、
それは原子力発電所なのであった。
フランスの電力の原子力依存度は、おそらく世界一だ。
フランスのルルドで聖母を見た少女ベルナデッタの父親の職業も、
粉ひき職人であった。
ところが彼は、左目を失明して職を失い、
小麦粉を盗んだと濡れ衣を着せられ投獄されている。
一家は路頭に迷い、
監獄としてすら使われなくなった一室を借りて住むことになった。
ベルナデッタ自身もコレラにかかり、
栄養失調も重なって病弱で、愚鈍といわれた。
聖母がご出現になったのは、そんな時期だった。
偉大な出来事が起きる前、
自然界が大きな試練を与えることはよくある。
来るべき時に備えて、
その人のカルマを一掃するがごとくである。
宗研の映写会で初めてルルドの話を聞いたとき、
いちばん心に残ったのは……

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宗研17

キリスト教徒のなかには、今でも、
世界は7日で神がお造りになったという説や、
女は、神が男の肋骨からお造りになった
(だから男の肋骨は、一カ所欠けたところがある)という説、
キリスト教の洗礼を受けなければ天国に行けないという説などを、
素朴に信じておられる皆さんもいる。
私自身は、イエスが訪れてきた人びとの病を実際に癒し、
水の上を歩き、わずかの食物で大勢を満腹させ、
自らも死んで蘇ったと素朴に信じているが、
そうしたことも、ある種の人びとからみれば、
愚の骨頂に見えることだろう。
キリスト教の精神で運営される学校に奉職される皆さんの生き方もさまざまで……

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宗研16

「ソクラテス」の少し前、
中学校三年の世界史の授業の冒頭は「人類の黎明」ということで、
サル、類人猿、原人、ヒト……という進化の話だった。
が、私は授業中、これに“異議”を唱えた。
たしかにヒトはサルから進化してきたかもしれないが、
ヒトとサルとの違いは、程度の差ではなく、本質的である。
そこには、超えられないギャップがある、と主張したのである。
すると、世界史の大橋剛夫先生は、
そんなことはありません。
ヒトとサルの違いは程度の差であって、その証拠に、
サルも道具を使ったり、原始的な言葉を使ったりします、と言われた。
私の主張は、いうまでもなく、キリスト教的世界観に立ったもので、
いわば宗研の受け売りであった。
要するに、人間には「魂」があるが、
動物に魂はない。
動物は、いわば機械のように本能に従って動いているだけで、
自由意志のある人間とは本質的に違う、というのである。
キリスト教の修道会が創った学校で、
キリスト教の精神に則って経営されているはずなのに、
それを授業中に否定するのかという違和感を覚えた記憶があるが……

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チャリティー講演

8・11講演が、目前に迫ってまいりました。
明日おいでいただく皆さんには、
現代科学と東洋哲学を肴に、
『宇宙・生命・愛……』についてのお話を楽しんでいただき、
または大木神父の近況などもお伝えできればと思っていますが、
もし、ご援助をいただいた場合は、
会場費、交通費等には一切使わず、
皆さまのお名前とともに全額を大木神父に贈ります。
会場内にチャリティBoxがありますので、
これに直接入れていただいても結構ですし、
こちらで用意した封筒に、お名前や金額を書いて入れていただいても結構です。
(お名前や金額を書かれなくても結構です)
また、一筆箋をご用意いたしますので、
大木神父へのメッセージだけいただいても、
大変喜ばれると思います。 
皆さんにお目にかかれるのを楽しみにしながら、
広島に向います。   青山圭秀

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