学会(番外編2)

ルルドの水は、現地から持って帰ることが可能です。
私はペットボトルを多めに持っていき、
これを飲みながら旅を続けることを考えています。
また、日本まで持ち帰られる皆さんは、
ガムテープを持参されるといいかもしれません。
ボトルの口をガムテープでしっかりとめると、
スーツケースに入れても大丈夫です(たぶん……(^o^;)。
過去に旅行に参加された方で、
黄緑色の小冊子『祈りの手帳(大きめ文字)』をお持ちの方はご持参ください。
(初めての皆さまにはご用意してあります)
ルルドには行かないけれどもルルドのマリア様が好きという皆さんは……

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学会(番外編)

あっという間に、ルルドへの旅が近づいてきました。
旅の準備を進めておられる皆さんは、それぞれに胸膨らませ、
また、多少の不安もお持ちかもしれません。
1858年の冬のある日、ピレネーの麓の寒村で何が起きたのか、
そこに至る歴史の流れ、その後の驚くべき展開、
現代に至る奇跡の意味……
そうしたことのすべてはバスのなかで、
またそれらが実際に起きた現地でご説明しますので、
どうか皆さんは安心して成田においでください。
キリスト教についてあまり知らないのだけれど、
キリスト教信者ではないのだけれど、と不安になられる方もおられますが、
こうした旅に過去に参加されて洗礼をお受けになった方少数を除き、
基本的には皆さん、キリスト教信者ではありませんので、
ご安心ください。
現在、キャンセル待ちの皆さん、
お席確保のため、全力を尽くしておりますので、
もう数日、お待ちください。
折しも30日の<プレマ・セミナー>で解説する【ヨハネによる福音書】は……

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学会11 

そのようなことで、私はたまに健一氏に手紙を書くようになり、
するとお忙しいであろうに、氏は必ずお返事をくださるのである。
なので、この学会の件は、甘えであるとは思ったが、
ままよ、相談してしまえっ! という気になったのだった。
お手紙を書いて、そろそろ着いたかと思われたようなとき、
自宅に帰ってみると、留守番電話が点灯していた。
「再生」にしてみると、なかから聞こえてきたのは……

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学会10

私が竹村健一氏と接点を持つようになったのは、
まったくの偶然である。
1990年、生まれて初めて私はインドの地を踏みしめたが、
何回目かのインドの旅は、インド伝承医学・アーユルヴェーダや、
イスラムの伝統を継ぐユーナーニ医学を調査・研究することが目的だった。
そのとき、新進気鋭の文化人類学者・竹村真一氏とご一緒したのであるが、
この人が竹村健一氏のご子息であることを、
私は旅行中に知った。
車での移動の間、さまざまなことで話がはずんだ。
私が、健一氏の『世相講談』を十何年も見続けたのに対し、
真一氏は、ほとんど見ていないと言われた。
親子とは、多分にそういうものである。
数々のシーンのなかでも最も印象に残った、
「土光さんを助けてほしい!」場面についても、
当然、真一氏は知らなかった。
帰国後、世田谷の竹村家にお招きいただき……

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学会9

すっかり脇道にそれたが、
『ルックルック』の一部になってからも、
私は竹村健一氏の番組を見続けた。
なんと言っても歯切れがよく、洞察力に優れ、
彼はまさに衆愚政治の横行するわが日本における
類まれなオピニオン・リーダーであるように私には感じられた。
どのような政治的見解にも、賛否両論があるのは当然だが、
彼の言ったことは、そのときどきで人びとに憎まれても、
時代を経てみると、多くが正しかったことが分かる。
たとえば、独立国である以上ある程度の軍備が必要なことや、
直間比率の見直しが全体的で公平な税体系のために必要であるなど、
彼は人びとに憎まれながらも主張してきた。
そして、行政改革の必要性が叫ばれ始めた頃……

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学会8

『竹村健一の世相講談』は、
後に『ルックルックこんにちは』という朝の番組の一部に吸収された。
脱線ついでに書くと、
このルックルックの司会に抜擢されたのが沢田亜矢子さんだったが、
この美しい女性は司会の言葉、
特に一番最後の締めの部分を、
毎日どこかで必ずトチるのであった。
それは、傍目には可愛いらしく見えたものであるが、
ご本人は気にしておられたかもしれない。
後に知り合いになり、ある程度親しくなってから、
そんなようなことをいろいろ聞いてみたくなったが、
いまだにそれは我慢している。
また、それとはまったく別の番組で、
ビートたけしが彼女を、セットの池に突き落としたことがあった。
なんとたけしは……

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学会7

竹村健一さんに私が最初に興味を持ったのは、
氏がまだ『竹村健一の世相講談』という番組をもっておられたときだった。
当時『世相講談』は、日本テレビ午前の、独立した一つの番組だった。
私は、千代田区一番町に住んでいて、
大学に通うのに毎朝地下鉄の麹町駅を利用していた。
午前10時頃、竹村健一の『世相講談』を見、
それから日本テレビ横を通って麹町駅に出る。
その都度、まだあの場所に竹村健一がいるのだと思いながら、
その脇を足早に通りすぎた。
ちなみに、最初のうち、竹村健一のアシスタントは局アナが務めていたが、
後にアシスタントとなったのが……

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学会6

手紙を出してしばらくして、稲盛さんからお返事がきた。
たいへんご無沙汰しており、久しぶりの手紙を嬉しく思いましたとの、
丁重な文面で始まっていた。
しかし、自分はこうした援助をすでに数多く行なっており、
この案件について支援できる環境にありません、とも書かれていた。
ただ、また個人的にお会いできたら大変嬉しく思いますという、
ふたたび丁重なお言葉で手紙は締めくくられていた。
稲盛さんのような方なら、
さまざまな案件で寄付や援助の依頼がひっきりなしであろう。
実際、映画監督の龍村仁さんは、
稲盛さんからの援助のおかげで、
ガイアシンフォニーの第何番かを完成したと言っておられた。
成功した実業家がこうして多大な恩恵を社会に及ぼしておられるのは、
まことに尊く、恩恵を及ぼされた方以上に、
及ぼした方にさらに大きな恩寵が及ぶことであろう。
そのような人にこうしたことを依頼するというのは甘え以外の何ものでもなく……

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学会5

正しいか正しくないかはひとまず置くとして、
とにかく公的な資金はもう出ないのであるから、
どなたか篤志家の方を探そうという話になったことがある。
または、当時新設されようとしていた首都大学東京のなかに
そういう講座を一つ設置してもらうための“口利き”を誰かにしていただくか……。
もう3、4年も前のことだが、
どうしたわけだか私が、
京セラの稲盛和夫さんや、評論家の竹村健一さんにお手紙を書くことになった。
稲盛さんが、人間の未知の能力についてたいへん興味をもっておられることは、
よく知られた事実である。
彼はそのためにさまざまな修行をし、
また、出家もされた。
その経営道自体が修行のようなものであるとも聞いていた。
そのような氏が、あるとき突然、私の講演会においでになり……

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学会4

人間、または生命というものについて、
これまでにない視点から探求しようというこの科学の発展のために、
政治家の先生方はなにもしてくれないと聞いた私は、
もちろん残念に感じていた。
が、同時に、むしろほっとするような気持ちにもなったのは事実である。
この分野が、これからの人類の文化を担う大きな柱になるであろうことは
間違いないのであるが……

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