巡礼5

どんな案にも、それぞれ、よい面と悪い面の両方がある。
私自身は総合的に考えて、
やはりこの場合、パリに一泊し、翌日の夜便で帰るのがいいと思っている。
たしかにそれで、遠方の方は一日帰宅が延びるかもしれないので、
東京に住む私が言うのは気が引けるが、
最後、パリで過ごす一日は何にも変え難いと確信し、
担当者にはそう、主張している。
しかし結局、最終的な問題は、
人気のある夜便で席が押さえられるかどうか……。
どうしても押さえられなければ、それも致し方ない。
すべては相対界の出来事なので、
どんなことも最善を尽くし、
結果を謹んで享受する他ないが……

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巡礼3

しかし、修道院に泊まれた場合、別の問題も考えられる。
なんといっても修道院なので、
それほど快適な環境ではないかもしれない。
もともと、ヨーロッパでは、
シャワーカーテンがなかったり、
皆さんが一斉にお湯を使おうとするとお湯が枯れてしまったりということが、
ホテルでも起こり得る。
まして修道院に泊まるのだから、
必ずしも快適とはいかないかもしれない。
それでも修道院に泊まるのには、
特に日本人であるわれわれには充分な価値があると思われる。
ただ、そのまま巡礼を続けてパリに戻り……

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巡礼2

今回の巡礼旅行従来案では、
最後にベッドで眠るのがヌヴェールの修道院ということになっているが、
これを企画したのには、いくつかの意味がある。
なんといっても、
旅行中、われわれはキリスト教文化の深みに触れ、
私もバス移動の際、可能なかぎりさまざまな説明を試みるが、
やはり修道院に泊まってその雰囲気に浸るというのは、
通常ではなかなかできない経験だ。
また、聖女のご遺体はあまりにお美しく……

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巡礼

毎回皆さんに楽しんでいただいている『大いなる生命と心のたび』は、
株式会社ライトフィールドが企画・立案し、
日本旅行関西企画旅行支店が主催する。
国土交通大臣の免許を受けていない者が、
こうした旅行を催行することは、法律上許されない。
今回の事態はどんなにお詫びしてもお詫びしきれないものだが、
それでも日本旅行においては、それを多少なりとも挽回するべく、
今、懸命の調整を続けている。
従来の計画では最終日、
ヌヴェールの修道院で聖女ベルナデッタにお別れをした後……

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相対界3

『禍福はあざなえる縄のごとし』と、古の日本人は言った。
そうなのだろう。
そうであるに違いない。
しかしそうであったとしても、
今回、楽しみにしておられた皆さんの気持ちを思うと胸が痛い。
本来なら明日出発、明後日には、
あの天上的なルルドの泉に皆さんは浸かっていた。
南フランスの古寺たちの「奇跡の聖母子像」の前で瞑想し、
または自分自身が奇跡を体験するはずだった。
腐敗しなかった聖女のお姿の前に、
時間を気にせず、いることができたはずだ。

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相対界2

相対界においては、よいことも悪いことも両方起こるが、
好ましくないことが起きたとき、敬虔な人びとは言う。
「きっとこれは、なにかもっとよいことが起きるための準備なのです」と。
さらなる賢者たちは言う。
「これらを禍とするも福とするも、すべては当人次第です」と。
哲人イスカーナ・ヤマトさんや、叡智に満ちたBlessedTruthさんのコメントも、
そういうことだと思われる。
これはここだけの話で、人にはあまり言わないでほしいのだが……

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相対界

一人の天才的な聖者がいた。
彼は若くして両親を亡くしたが、その途端、
親類縁者からよってたかって遺産を奪い取られそうになるのを経験した。
裁判となり、辛酸を舐めた。
そのとき、一人の司祭がやって来て言った。
「これらはすべて、何かよいことのために起きているのです」
数年が経ち、司祭に子供が生まれた。
お祝いの席に若き聖者も呼ばれていた。
人びとが口々に祝いの言葉を述べ、祝宴が盛り上がったとき、
聖者は言った。
「これらの結果、何かより悪いことが待っているに違いありません」
世界が相対的であるとはそういうことだと、
たしかに認めざるを得ない。
われわれにとって一見、よく見えることも、
実は他人の犠牲のうえに成り立っているのかもしれない。
かつてキリスト教徒がさんざん楽しんだ享楽は……

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学会(番外編5)

学会関連の話題を連載していたが、
つい旅行について書きたくなり、
番外編が始まった。
そうして今日から、また学会の話題を書こうと思っていたところ、
驚きの知らせが入ってしまった。

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学会(番外編4)

夢は誰もが毎晩見ているはずであるが、
私はほとんど覚えていることがない。
ところが今朝は珍しく長い時間、夢を見てから目覚めた。
──毎年楽しみにしている『大いなる生命と心のたび』で、
私たちはフランスに来ている。
ルルドに行く前、パリで最初のお寺を巡礼した。
ノートルダム寺院やサクレ・クールのような大寺院ではなく、
こじんまりしたお寺だ。
それでもしこたま感動に浸ってバスに戻ったが、
なかなか全員が揃わず、バスが出ない。
よせばいいのにガイドさんが、
こちらのほうが目立つからと、バスの位置を変えてしまった。
しかし、待てど暮らせど皆さんは帰ってこない。
そのうちにあのシモエさんがあちらこちらから二人、三人と探してきて、
(いったいどうやって探したのかは不可解であるが……)
やっと全員揃ったと思ったら、今度はバスがエンストだ。
今日中に飛行機でトゥールーズに入る予定なのに、
運転手さんはのんびりとかまえ、ニヤリと笑って言った。
「こうなることを、私は最初から知っていた……」──
そんなこととは裏腹に……

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学会(番外編3)

1975年から81年にかけ、秋田の聖母マリアが断続的に涙を流された。
81年の正月に、最後の、101回目の涙を流された後、
その年の6月、
メジュゴリエの6人の少年と少女が同時に聖母出現に与りました。
その後、聖母は彼らに毎日ご出現になるという奇跡が続きましたが、
現在もなお、ご出現は続いています。
毎月25日には世界に向けたメッセージを聖母が語られますので、
これをふたたび、本エッセー欄でご紹介することにします。
2007年9月25日
愛する子どもたち!
今日もまた、あなたたち皆を呼びます。
あなたたちの心が、
十字架にかけられた方へのより熱烈な愛で燃えるように。
そして忘れないでください……

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