<Art4>

先日の広島では、主に西日本からの、
そして一部は東京や東北からの皆さんに新しい瞑想の技術をお教えすることができ、
幸せだった。
<Art3>の技術がやや長めだったので、
皆さんにも一抹の不安があったかもしれないが、
まったくの杞憂であることが分かっていただけたと思う。
ところで、瞑想の技術もさることながら、
その背後にあるヴェーダの理論には、
毎度のこと、私のほうが驚く。
今生でご縁のある皆さんとそのような知識を共有できることは、
今の私にとって幸せの大きな源泉だ。
まさに

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復活

今年もあっという間に5カ月が過ぎ、今日から6月。
2月下旬から今日まで、
エッセイをほとんど更新できなかった。
その間のパソコンの不調については、それ自体“数奇な”命運をたどり、
また、会員の皆さんとかなり密度の濃い時間を過ごしてきたことも理由の一つだ。
そうした意味では悔いはないにしても、
しかしなんと言っても、要するに、とどのつまりは、
私の怠惰が原因だ。
ところで、今日は友人のスリ・ランカ人の誕生日。
スリ・ランカに皆さんで行ったときにもお世話になった。
彼は今回の誕生日に際しては、
お祝いをしてもらうよりも、
逆に何かをしたいと考えた。
そこで今日、彼の郷里では5000人の人たちに食事が配られる。
スリ・ランカは不毛な内戦のため、観光業がさっぱりで、
経済成長もおぼつかない。
そんななか、一回でも美味しい食事を食べていただき、
多くの人に一息ついてほしいという気持ちで、
微力ながら参加させていただくことにした。
<プレマ倶楽部>の皆さまからのお金は巡り巡り、
知らないところで、知らない人びとに幸せをもたらしている、というのが、
一つのモットーでありたい。
ところで、早くも一カ月後に迫りつつあるインド旅行のほうは、
それほどの大人数にもなることなく、
より“快適な”旅をしていただけそうだ。
先日、広島で初めて教えた<Art4>は、
お蔭さまで自信・お勧めの逸品となった。
と言っても……

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会員の皆さまと過ごす日々は3カ月目を迎え、
それはまるで私にとって、一つの大きな旅のようです。
一昨年も、昨年もそうでしたが、今年はさらに、
皆さんと時間や空間、生命そのものを共有しているという
強い感覚に打たれています。
普通ではあり得ない学びや、表現しようのない感動があり、
密度の濃さに圧倒されます。
ところで、それと並行して……

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旅日記30

12/ 6(8日目)その7
ものごとおしなべて、最後まで気を抜いてはいけない。
後で聞いた話だが、
今回空港で、ある方が買い物をしていたら、
他人の航空券を拾った。
見れば、われわれのツアーの方のものだった。
もしこれを悪い人が拾っていたら、
落とした方は日本に帰れなかっただろう。
おおむね定価の30万円で、
日本までの片道チケットを買わねばならなかったに違いない。
最初はどうなるのかと思われたこの旅も、
実はこうして守っていただいていたに違いない。
それはもちろん、
日本で旅の無事を祈ってくださっていた皆さんのおかげでもある。
そもそもなぜ、途中でバスが故障するときに、
長い道のりのなかの、
よりにもよってスーパーの真ん前で故障したのかなどと思い返すと、
私は不謹慎にもおかしくなって、
ついクスクス笑ってしまうのだった。
旅をふり返って……

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旅日記29

ホテルには、午後6時集合の予定だった。
夜11時のフライトにしては、少々早すぎる。
少し早めたのは、バスでもう一度パリ市内を観光するためだった。
バスがエッフェル塔の脚のところに止まると、
最後に祝福するかのように、
ちょうど白熱の大点滅が始まった。
コンコルド広場のイルミネーションのところでふたたびバスは止まり、
記念撮影。
これも旅行代理店と、今回初めて参加の添乗員が考えてくれたアイデアだった。
旅をふり返って……

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旅日記28

12/ 6(8日目)その6
ミサが始まり、私はその場に釘付けになっていた。
今出れば買い物に間に合うというふうには、あまり思わなかった。
思えば、第4回『大いなる生命と心のたび』、
2000年の12月31日にベルナデッタが眠る聖堂でミサに与った後、
世紀が替わって21世紀になった。
中学に入って以来、無数のミサにあずかってきたが、
あれが、20世紀に与ったもっとも美しいミサ、
そしてこれが、21世紀に入って与ったもっとも美しいミサとなった。
人生、いつ、何に遭遇するか分からない。
終わって、司祭に挨拶に行った。
日本から50人近くの敬虔な人たちとフランスに巡礼に来たこと、
ルルドやヌヴェール、アルスやロカマドール、コンクなどを旅し、
これから日本に帰ること等をお話しした。
司祭は、この巡礼団の皆さんために特別にミサを挙げ、祈ることを約束してくれた。
そうして、次回は全員をこの教会に連れてくるようにと言って、
握手をされたのだった。
旅をふり返って……

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旅日記27

12/ 6(8日目)その5
ちょうどお昼の12時のミサが始まったので、
多くの方はそのままミサに与られた。
午後の時間、自由にパリを闊歩していただくため、
全員の方に、地下鉄の切符を4枚ずつお渡しした。
しかしその後、私には私的な務めが残っていた。
日本で頼まれた“買い物”である。
お昼はパリ三越横の評判の中華料理屋に行って食べてみたが、
美味しいとは思わなかった。
私は中学の寮生活以来、
だいたい何でも美味しいと思っていただくほうなので、
フランス人の味覚が貧相だという疑いがさらに濃厚となった。
それから、パリ三越、ラファイエット松阪屋、プランタン伊勢丹、
その他有名ブランド店街のすべてを無視し、
とある教会に入った。
今回の旅行に参加された皆さんと、来られなかった皆さん、
ついでに自分のためにもロウソクに灯をともし、
お祈りの文言を紙に書いて嘆願のバスケットに入れ、
買い物に向おうとした。
が、平日の昼間なのに妙に人が集まってくる。
午後1時45分、聖堂を出る直前にオルガンの音が聞こえ、ミサが始まった。
人にはそれぞれの都合がある。
ミサが始まっても、都合の悪い人は聖堂を出ればよいのである。
が、私は出ることができなかった。
旅をふり返って……

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旅日記26

12/ 6(8日目)その4
3カ月の黙想が明け、
頭にリングの輝いていた司祭の一人に、
日本から来たので是非祝福を、とお願いしてみた。
すると、「15年間日本にいた神父が一人いるから」と呼びにやられた。
しばらくして出てきた神父は、
まったく謙遜、というより小心、という感じの方だった。
「イエ……ワタシ……ニホンゴ……ワスレタ……」
などと英語でもぐもぐ言っている。
「日本語でなくていいですから」
と言っても、「イエ……ソノ……」と、なかなか承知しない。
私は思いついて、
「今回の巡礼で私たちはロザリオやご像を、たくさん買いました。
それらもすべて、祝福していただけませんか」
と言った。すると彼は、恥ずかしそうに、
「チチト、コト、セイレイノ、ミナニヨッテ」
とだけ日本語で言いながら十字を切り、
その後はフランス語で短い祈りを唱えた。
こうして、われわれが旅行中に買ってきたものが、
一人の司祭によって無事、祝福されたのだった。
旅をふり返って……

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旅日記25

12/ 6(8日目)その3
今回の巡礼中、数々の聖人・聖女にお目にかかってきたが、
この日うかがったラザリスト会の聖ヴァンサン・ド・ポールがいなければ、
聖人・聖女としての彼らは存在しなかったかもしれない。
聖ヴァンサンは、女子実践修道会を教会史上初めて創始した。
もし彼がいなければ、
愛徳姉妹会も、マザー・テレサの「神の愛の宣教者会」も、
今のような形で存在しなかったことは確実だ。
この日、われわれはラザリスト会で、
聖ヴァンサン・ド・ポールのご遺体を拝礼する予定だった。
ところが、聖堂に入ってみて驚いた。
中では2〜30人の司祭がミサを挙げているのに、
列席者はなんと、マザー・テレサの修道会の修道女ただ一人なのだ。
しばらく呆気にとられていたが、
そのうちにミサが終わり、
神父たちは派手に握手し、抱擁を始めた。
カメラを持った神父もいて、
全員の記念写真を撮ろうとしている。
そのうち、二人の神父は、われわれのなかの二人に頼んで、
シャッターを押してもらうというシーンが見られた。
聞いてみると、
今日、3カ月間の黙想会が終わり、
最後のミサが挙げられたところだといわれた。
旅をふり返って……

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旅日記24

12/ 6(8日目)その2
愛徳姉妹会に着く前、実は先に着いたのは、
東洋に布教の足跡を残したパリ・ミッション会だった。
ここでふたたび、われわれは、
とてもとても親切な案内の方に遭遇。
日本人を妻に持つという彼は特別に資料館を開けてくださり、
説明をしてくださった。
資料館には、実際に日本で用いられた踏み絵や、
人びとが信仰を隠すために用いたマリア観音の実物などがあった。
また、庭に出てみると、
そこには一つの聖母子像があった。
長崎の外海で布教と慈善活動をされ、
(列聖こそされていないが)聖人の誉れ高いド・ロ神父が、
まだパリにおられたときに彫られた聖母子像だといわれ、
驚き、感動したのだった。
旅をふり返って……

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