五輪 9

それにしてもS猫先生はなぜ、「せいぜい」などと言ったのだろうか。
この言葉にももしかして肯定的な用法があるのだろうかと思い、
辞書をひいてみると、なんと、それがあったのだ。
せいぜいには、「たかだか」という意味のほかに、
「できるだけ」「一生懸命」という意味がある。
用例として、平家物語中の文例などがひいてあるが、
S猫校長は古文の先生だからそんなことを知っていたのか。
現代では、その意味に用いられることはほぼ皆無に等しく、
もっぱら「たかだか」という意味で使われている。
そんなことを35年間、思い出すたび考えていたところ、
今回、オリンピック関連の番組を見ていて
思わぬシーンに遭遇した。
それは、中国を訪問したわが国の首相が、
日本選手団を前に行なった激励の訓話中に起きた。
「せいぜい、頑張ってください」
それぞれ国を代表してオリンピックに来た選手たちを目の前にして、
福田総理は、S猫とまったく同じことを言ったのだ。
しかも:「せいぜい」に抑揚をつけたその言い方がまさに瓜二つだったのには、
驚きを通り越して感慨すら感じさせた。
では……

続きを読む

カテゴリー: スポーツ | コメントする

五輪 8

それは今から35年も前の出来事だ。
広島市の中学総体に出場する選手たちは、
土曜日の授業を途中で抜け、体育館に集められた。
そうして、校長のS先生が訓話を行なった。
「まあ、せいぜい、頑張ってきてください」
校長は確かにそう言った。
が、私の知る限り、「せいぜい」という言葉は、
「どうせ君らはダメだろうが、まあ、せいぜい頑張りたまえ」
というような意味で使うし、
彼の言い方もまた、そのとおりのように聞こえた。
たしかに我が校は、ほとんどすべてのスポーツにおいて
非力というほかなかったが、
それでもそれなりに一生懸命練習に励み、
さあ、これから総体だというときに、
「まあ、せいぜい頑張ってください」と言われれば、
聞いていたわれわれがあるいは耳を疑い、
あるいはコケたことは言うまでもない。
だが、この訓話を行なった校長は、なにも……

続きを読む

カテゴリー: スポーツ | コメントする

五輪 7 

オグシオを見ていれば、可憐で、才能にも恵まれた二人が出会い、
互いにライバルとなり、しかし後にはペアを組み、
片方が骨折しようが、不調だろうがもう一人はその復帰を待ち続け……と、
これらすべてが運命に導かれたものであろうことを
われわれは容易に想像することができる。
同じように、末綱・前田選手も才能をもって生まれ、
同じ会社の先輩・後輩となってペアを組み、
そして仲が微妙なのも、すべては過去からの縁のなせる業であろう。
そのうち、仲の悪い点だけなかったら……といっても、
そういうわけにはいかない。
カルマはより好みできない。
良いカルマも、悪いカルマも一緒にセットで訪れる。
年上の末綱選手のほうはこれで引退するというが、
もしそうだとすれば、厳しい競技生活は終わったのだ。
これを機に、私生活上は一転、仲のよい二人で一生いてほしいと、
つい思ってしまう。
ところで、イスカーナヤマトさん……

続きを読む

カテゴリー: スポーツ | コメントする

五輪 6

(五輪5より続く)しかし、私にとってより興味深かったのは、
もう一組のスエマエといわれるペアのほうだ。
世界ランキング一位のペアを敵地中国で撃破し、
感激に浸るその姿は、普通とは少しだけ違って異様だった。
コートに倒れ込んだ前田選手は、一人でかがみ込み、泣いている。
末綱選手も、一人でコートを叩きながら泣き始めた。
通常、団体競技においては、泣くときには抱き合って泣くシーンが多いし、
まして二人で苦しみを分かち合ってきたやってきたペア競技ならなおさらだ。
シンクロでも、ソフトでも、
もしあの人びとが一人ひとり別々に泣き始めたら、
いったい何があったのだろうと思ってしまうだろう。
そこを二人別々に泣いているこのペアはいったい何者? と思っていたが、
マスコミ報道によれば、要するに二人の仲は“微妙”なのだという。
意見も、感性もあわず、いわばいつも反目しあっている。
コートに立っても、目も合わさないことがある。
そう言われてあらためて見てみると、
年上の末綱選手は意地悪そうに見え、
年下の前田選手のほうも負けてないように見える。
(実際どうなのかは、もちろん分からないが……)
それでも彼女らは、世界の強豪を破り、4位になった。
そのような二人だったからこそ、
ここぞという場面で爆発できたのか、
あるいは、もしこの二人の仲がよければ、
さらに上にまで行けたのか……。
それを知る術はわれわれにはない。
ところで、スカーレットさん……

続きを読む

カテゴリー: スポーツ | コメントする

五輪 5

長い間なんのことかと思っていた「オグシオ」なるものを、
今回初めて見た。
世界の強豪を相手に、あるいは中国の観衆までも一身に敵にまわし、
健気に戦う彼女らを見ていると、
この子たちに人気がでるのも無理はないと思ってしまう。
聞けば、高校時代からライバルだった二人は、
しかしあるとき意気投合してペアを組んだ。
片方が故障で競技を続行できなくなったようなときにも
もう一人は他人とペアを組むことをせずに待ち続け、
今回、ついにオリンピック出場を果たしたのだという。
ますます日本人好みの美談のヒロインたちだが、
スポーツの感動というのは、技術や肉体の美しさもさることながら、
結局はそういう人間の心の綾から来るのに他ならないと、
あらためて思ってしまう。
ところで、イスカーナヤマトさん……

続きを読む

カテゴリー: スポーツ | コメントする

五輪 4

野口選手、土佐選手の場合は、
ほとんどの日本人が同情しているからまだいいといえるかもしれない。
同じ棄権も、
男子110メートルハードルの劉翔選手にはさらに厳しいものだった。
前回アテネで、東洋人で初めて陸上短距離で優勝した、中国の国民的英雄。
CMを含めた年収10億は、平均的な中国人数千年分の稼ぎに相当する。
今回、祖国中国でオリンピックが開催されるのは、
まさに劉翔のためとまでいわれた。
しかし、どんなことがあっても勝たなければならなかった英雄は、
結局レースを行なうことができなかった。
この事態に、中国国民は態度を一変させた。
われわれは子供のころから「人の評判なんか気にしない!」などと、
常に正しい学校の先生から言われてきた。
しかし、そのようなふりはできても、
人びとの評判を本当に気にしないということは、
悟りを啓く前の人間にはできない。
国家のためにと思いベストを尽くしながらなお、
国民的な誹謗・中傷を浴びた同選手の心の傷が真に癒えることもまた、
今回の人生の間にはないだろう。
人生を生まれ変わって忘れたと思っても、本当に忘れられるはずはなく、
その印象や記憶は、次の、そしてそのまた次の人生に
影響を与えないではいられないだろう。
しかしそのようにしながらも……

続きを読む

カテゴリー: スポーツ | コメントする

五輪 3

帰国してまもなく見た記者会見で、
おや、と思うシーンがあった。
野口選手欠場の報とともに、図らずも
5大会連続のメダル(3大会連続金メダル)の期待を背負うことになってしまった、
土佐選手である。
この方、ドイツに住んでいる私の友人に顔がソックリなものだから、
もともとなんとなく親近感を抱いていたのであるが、聞けば、
「(ちゃんと)ゴールします」
みたいな健気(けなげ)なことを言っている。
まるで、ゴールすること自体が目標みたいにも聞こえる。
もちろん、闘志の表現の仕方は選手によって違うのではあるが、
私はこのとき、この選手に結果を期待するのは間違いなのではないか、
もしかして彼女はゴールすらしないのではないかという感にとらわれた。
結果は、25キロで無念の棄権。
外反母趾の持病は日を追うごとに悪化し、
実際には疲労骨折に近い状態であったにもかかわらず、
野口選手の欠場により、強行出場せざるを得なくなってしまったらしい。
棄権するときの泣きじゃくり方も尋常でなく、同情を禁じ得ないが、
類は友を呼ぶというように、悪いときには悪いことが重なるもので、
善も悪も、それぞれ、連鎖しながら自ら増殖していくとう相対界の姿に、
あらためて思い至ったのは私だけか……。
ところで……

続きを読む

カテゴリー: スポーツ | コメントする

五輪 2

このような事態に図らずも陥ってしまった野口選手を非難する人は、
日本人にはいないだろう。
どこまで選手がトレーニングに耐えられるのか、
どこからが限界なのかを、
正確に予見することは誰にもできない。
しかし、それにしても今回、せっかく時差のない北京で大会が開かれ、
それは日本人選手にとって限りなく有利なことだったというのに、
なぜ直前になって激しく時差のあるヨーロッパで合宿を張ったのだろうかという、
素朴な疑問が私には残る。
もともと時差は、東に行くときよりも、西に行くときのほうが、
はるかに調整が難しい。
また、長距離を移動するだけで、
生体にはわれわれの想像を超える負荷が、実はかかっている。
エコノミークラス症候群は、単に体をじっとさせていることから起こるものではなく、
移動すること自体による生体の負荷がその基礎にあるので、
グリーン車に乗ろうがファーストクラスに乗ろうが、
その部分については変わらない……

続きを読む

カテゴリー: スポーツ | コメントする

五輪 1

第16回『大いなる生命と心のたび』から帰国して、
あっと言う間に三週間が経った。
常に旅日記を書かなければと思い続けていたが、溜まりにたまった雑務にかき消され、
会員の皆さんからの個別のメールのお返事にも、こちらは楽しく追われたりして、
なかなか手を着けることができなかった。
その間に、北京オリンピックが始まり、終わった。
前回アテネのときにはインドにいて見られなかったオリンピックを、
今回は多少なりとも日本で見ることができたのは幸せだった。
帰国早々驚かされたのは、
前回、女子マラソンで優勝し、今回も優勝候補の筆頭だった野口選手。
彼女をふたたび勝たせるために、たくさんの専門家がチームを組み、
あらゆる知恵を絞っていた。
上下動の大きなフォームをよりスムーズなものに努め、
北京の硬い路面対策のため筋力を強化し、
本人は4年間、毎日30キロほども走り続けた。
が、不幸にして、大会まであと1、2週間という合宿中に故障し、
出場辞退を余儀なくされた。
慰めの言葉や手紙の山が……

続きを読む

カテゴリー: 人生 | コメントする

旅行3

9月13日の広島チャリティ講演の打ち合わせで、
久々に倉光誠一先生とお話しした。
いつも快活で、人を幸せにすることが天職であるような先生だ。
たまたま話題が、ネパールのオイル事情のことになった。
本来物価の安いネパールで、
なんとガソリンは日本と同じくらいの価格になったという。
たとえお金があっても物がなく、
何時間も待って、少しだけ譲ってもらえたりもらえなかったりという状況らしい。
原油価格高騰のおかげで、
世界中でガソリンや食品、その他あらゆるものが値上がりしている。
われわれは物価が上がって嫌だという程度かもしれないが、
もっとも苦しむのは、貧しい人びとであるに違いない。
インドでは、結婚式を予定していたところ、
金が値上がりしてマンガリアン(新郎が新婦に贈る金の護符)が買えず、
式を延期したという話を聞く。
延期して金が下がればよいが、
原油の高騰につれ、金もますます値上がりする。
インドでは、皆さんの健康と幸せを祈るが、同時に、
原油価格が下がることを、私は祈る。
このような現世的なことを祈るべきではないのかもしれないが、
しかしそれでも、現在の状況はあまりによくない。
ところで……

続きを読む

カテゴリー: 大いなる生命とこころの旅 | コメントする