旅日記4

7月5日ー4
何とか飛行機がチェンナイに着き、機外に出ると、
そこはインドの空港特有の、消毒液のような匂い。
荷物はちゃんと出てくるか、
破損したりしていないかが早速心配になる。
前回はパリで、あんなにいくつも荷物が届かなかったり、
または破損していたのだ。
しかし、いかにインドといえども、
シンガポール航空なのが効いたのか、まったくそのようなこともなく、
無事に全員の分の荷物を回収、空港を出た。
チェンナイ着

チェンナイ到着
現地で待っていてくれたガイドさんと落ち合い、
バスを見て愕然とした。
古い……。
「最高級のボルボ社製観光バスを用意します!」
インド側ガイドはそう豪語し、
事細かにボルボのバスの素晴らしい点を説明していたのだ。
約束が違う!
一瞬、そう思ったが……

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旅日記 3

7月5日-3
シンガポールのチャンギ空港は、いつ来ても心楽しい場所だ。
見て回るだけで勉強にもなるし、つい買い物もしたくなる。
しかし、私は心を決め、とにかく静かに座っていられる場所を探した。
瞑想していると、多少なりとも心身が回復してくるのが感じられる。
皆さんがすぐ前を通りすぎていくが、
よくわかっておられて黙って通りすぎてくださる。
そのことに甘えて、私は一人瞑想する。
少しでも体調を回復してから、インドに入らなければならない。
空港

おもちゃ箱のようなチャンギ空港を
三々五々そぞろ歩く

制服

イスカーナヤマトさんの着るシンガポール航空制服(中央)
制服2

その売店
シンガポールからチェンナイ行きに乗り込むときは、
いつも緊張する。これから後は、
あらゆる意味でわれわれとは考え方、
感じ方の違うインド人が大量に乗り込んでくる。
狭い座席の仕切りの肘掛けは、
どのように戦っても、我が物顔にインド人に占拠されてしまう。
ときには、目の前の座席の下に、
となりのインド人が脚を延ばして平気でいる。
そんな戦いが、シンガポールから始まる。
だが、今回は嬉しいことに、
周りは全員、日本人だ。
だから、少しでも旅の予習も進むかと思われたが、
まったく進まなかった。
シンガポールからチェンナイまでの間も、
すっかり眠りこけてしまったのである。
ところで、マサコサマ……

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旅日記2

7月5日-2
常に、どんな旅のときも、出発前は慌ただしい。
特に今回はインドだし、参加者の数も多く、バスは3台、
ホテルも行く先々で最高のところを抑えるのだが、
聖地には大きなホテルがないことがある。
そんなときには、2カ所、3カ所に別れて泊まるほかはない。
それでもとにかくいい旅行を、ということで、
旅行代理店や現地の人びとと打ち合わせを重ねてきた。
その上、私自身はおおむね一カ月も滞在しなければならないため、
片づけなければならない仕事も無限。
今の時点ではどうすることもできないものもある。
だが、そうは言っていられない。とにかく出発しなければと、
それだけを思い、ぎりぎりの準備を進めてきた。
とりあえず、行きの機内は寒いに決まっているので、
皆さんに早々に風邪をひいていただいてはまずい。
そのことをいつ、どのように伝えるべきかなどと思案していると、
急激に暑くなりつつあった7月上旬、
自分自身が飛行機のなかで羽織るものを忘れて成田に着いてしまっていた。
そうして、離陸して5時間後、
冬のように寒く、乾燥した機内でふと落ちた眠りから目覚めてみると、
私はしっかり風邪をひいていた。
飛行機

乗ったのは最新鋭・世界初のオール2階建てエアバス
空

窓の外に続く景色
ところで、イスカーナヤマトさん……

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旅日記1

7月5日-1
「成田空港でお会いしましょう」
数カ月の間、たくさんの方とそのような挨拶を交わしてきた。
しかし、実際に皆さんとインドへ旅立つ日がくるというのが、
私のなかでもなかなか信じられなかった。
が、それが今、現実になろうとしている。
空港でのご挨拶のとき、私は心情をそのまま吐露するしかなかった。
「この日が来るのを、正直、私は恐れていました。
ヨーロッパですら旅をすればあんなにいろいろなことがあるのに、
インドともなれば何が起きるかわかりません。
霊性の大国。でも、インドだけは皆さんをお連れしてはいけないと、
何年もの間、思い続けてきました。
しかしこの旅は巡礼の旅、
何が起きたとしても皆さんの広いお心と神の導きを信じて、
進んでいきたいと思います」
2008_07_05_1成田

総勢70名が成田空港南ウィングに大集合
瞑想を教えるようになったのがどうにも避けがたい運命だったのと同じように、
今回のインド旅行も、どんなに避けようと思っても避けられない、
そんな展開から実現したものであることだけは疑いようがなかった。
ところでマサコサマ……

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五輪 15

今回、「ブラッドバリーの奇跡」ほどではないにしても、
しかし似たようなことが陸上で起きた。
男子400メートルリレー。
オリンピックの最後を飾る花の一つだ。
優勝候補筆頭はもちろん、アメリカ。
次いで、メダル常連のイギリス、ウサイン・ボルトを擁するジャマイカ、
アテネ銅メダルのナイジェリア等が続く。
ところが、予選の段階でアメリカはバトンを落とし、
イギリス、ナイジェリアもバトンミスで失格。
結局、前回のメダル3チームは決勝に出られず、日本は銅メダルを得た。
日本男子陸上短距離で初の快挙! 
それは、いくつもの偶然が重ならなくしてはあり得なかった。
が、3位は3位だ。
泣いて喜ぶ選手たちの姿を見ていると、
36歳になってなお、夢を追い続けた朝原選手ら、
不屈の精神力がこれを呼びこんだとしか言いようがない。
まさにオリンピックである。
ところで……

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五輪 14

アテネ・オリンピック、男子ハンマー投げで銀メダルに輝いた室伏選手は、
その後、金メダルの選手のドーピングが発覚し、
繰り上げ金メダルに輝いた。
なんと今回、5位となった同選手は、
上位選手二人のドーピンク発覚により、
ふたたび銅メダルに繰り上がるという。
そういえばかつてブログに、こんな話を紹介した。
ソルトレークオリンピックの行なわれた2002年2月、アイススケート・ショートトラック男子1000メートルの準々決勝が行なわれた。世界の強豪がひしめくなか、南半球の選手がこの種目でメダルをとったことは一度もない。案の定、ブラッドバリーはこの日4位に終わり、準決勝に進めなかった……と思われた。が、上位選手のなかから失格者が出、繰り上がった彼は準決勝に臨んだ。
五輪選手とはいえ、並の選手かそれ以下に過ぎない彼を注目する者は、誰もいなかった。五輪を前にして、政府からの強化費は早々に打ち切られていた。練習に使う車の修理代8万円が出せなくて、父親から借金をした。この日のレースで、自分は競技人生を終える。そうしたら、故郷に戻って消防士になろう。借金も返そう。そう思って臨んだ準決勝だったが、ゴール直前で異変が起きた。前を行く二人が転倒し、彼は決勝に進むことになった。
翌日、決勝に進出した5人のなかで、ブラッドバリーは圧倒的に弱かった。問題にもならない。実際、競技場を数週し、最終コーナーにさしかかったとき、はるか前方で4人がメダル争いをしていた。あとは滑り終えるだけだった。……が、運命の女神はこの夜も弱者に微笑む。前を行く4人が交錯、4人とも転倒したのだ。競っていたら、それに巻き込まれただろう。ところが幸い、彼は圧倒的に弱かった。転倒した先陣の間隙を縫って、一着でゴール。栄えある南半球初の金メダリストとなった。
帰国したブラッドバリーを、故国のマスコミと観衆が待ち構えていた。世界一幸運な男。それは、連日マスコミを賑わすに充分な話題だった。テレビ出演、講演、CMの依頼が引きも切らない。ほどなくしてブラッドバリーは、故郷に2500坪の豪邸を建てたが……

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五輪 13

韓国選手の必死さや充実度に比べ、どうしても比較されるのは、
気の毒だが、メダルのかかった二戦で、
比較的簡単な飛球を三度も落としたG.G.佐藤かもしれない。
その登録名が珍しいこともあって、
今後、彼が国民から忘れられることはないだろう。
G.G.佐藤という名前がでる度に、
「ああ、あの……」と野球ファンは思うだろう。
なんでも、G.G.には西武球団がメンタルトレーナーをつけて、
帰国させたという。
それでもおまえプロか! と言われそうだが、仕方がない。
プロであろうが、アマであろうが、人はみな、
一皮むけば弱いものだ。
固唾を呑んで、皆が注視した帰国後最初の公式戦、
簡単なフライを追うG.G.の足どりは、覚束ないものだった。
が、なんとかこれを捕ったとき、
球場のファンからはさざ波のような拍手が起きたという。
苦笑まじりの拍手だったのかもしれない。
しかしいずれにしても今回の苦難(大げさでなく)を乗り越えて、
「ああ、あのG.G.佐藤が、こんなに活躍してるんだ」
と言われるくらいになってもらいたいものだ。
ところで……

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五輪 12

その昔、日本での現役生活を終えた投手が韓国にわたり、
20勝も30勝もした時代があった。
今でも、ちょうど大リーグに行った松井がそうであるように、
韓国で50本以上もホームランを打つ大打者が、
日本にくれば普通の巧打者になってしまう。
それほど、日本と韓国プロ野球の間には、もともとレベルの差があった。
しばしば世界最強といわれるキューバは、
しかしいくら強いとはいえアマチュアだ。
大リーガーが出てこないアメリカは、ナショナルチームとすら言えない。
今回のオリンピックの野球で、戦力的には日本が一番だというのは、
たぶん間違ってなかったのだと思う。
が、結果は、上位3チームと5回戦って、日本は一度も勝てなかった。
勝敗はともかくとして、特にメダル争いとなった最後の二戦は、
内容がよくなかった。
ウイニング・ボールをつかんだ瞬間、
グラウンドにへたり込んで動けなかった韓国選手の様子から、
兵役が免除されたり、多額の報奨金が出る、
または国家・国民の名誉を担うというのが、
これほどまでに人を必死にさせるものかということを、
善し悪しは別として、われわれは学ぶことができる。
ところで、Kanamiさん……

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五輪 11

高校3年の夏、最後の甲子園大会の県予選決勝、
この一戦に勝てば甲子園にいけるというその試合は、
味方のリードで9回裏二死まできていた。 
この打者を討ち取ればゲームセットというまさにそのとき、
打球は彼の守るセンター正面に飛んだ。
それほど難しい当たりではなかったライナー性の打球は、
しかしグラブの土手に当たって落ちてしまう。
結果、試合は逆転負け。
あの一瞬さえなければ、歓喜の甲子園が待っていたのである。
さらに悪いことに(といえるだろうが)、こうして負けたその相手が、
結局、甲子園では決勝まで進み、優勝して凱旋して来たのだった。
「自分たちの分まで、よく頑張ってくれた」--
などというきれいごとが、彼の脳裏にあろうはずはなかった。
それから何年が経っても、彼はあの一瞬を忘れることができない。
なぜ、あのとき落としてしまったのか、
その理由が知りたいが、誰も教えてはくれない。
あの瞬間まで人生を遡ってやり直したいと思っても、
それもできない。
たかがスポーツ、趣味の範囲だとわれわれは思うかもしれないが、
しかし実際にやる者は命懸けだ。
以上……

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五輪 10

数多くの驚きと感動を与えてくれたオリンピック。
そんななかでこの首相訓話もまた、大きな驚きであり、
かつ感慨深いものとなった。
が、同首相は最近、突然辞任会見を開き、ふたたび国民を驚かせた。
いつも淡々・飄々としているところがいいという人もいれば、
まるでひとごとみたいだとも評される福田首相。
「総理の言葉は他人事のように聞こえるといわれているが……」
と聞いた記者に対し、
「私は自分を客観的に見ることができるんです。
あなたとは違うんです!」
と、最後に珍しく気色ばまれた。
 
たった一言がその人の人間味をあますことなく引き出し、
テレビはそれをありのまま伝え、
生徒は一生忘れることができない。
デジタル大画面となって、その傾向はますます強まっており、
政治家の微妙な表情の変化も、
女優さんの化粧の乱れ一つも、視聴者は見逃さない。
微笑ましく、またある意味、恐ろしい時代に入ったものである。
ちなみに……

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