五輪16

一昨日の<瞑想くらぶ>のとき、
相対世界を生きるなかで、
われわれがときに得ることのできる“小さな喜び”について、
例を挙げて説明した。
それはたとえば、東京オリンピックのとき、
芸術的に美しいクロールで4つの金メダルをとったドナルト・ショランダーや、
ミュンヘンで、がむしゃらに7つの金メダルをとったマーク・スピッツ、
今大会でさらにそれを上回ったマイケル・フェルプスのような場合が当てはまるかもしれない。
あるいは、二大会連続で、平泳ぎで2個ずつ金メダルをとって、
「なんも言えねぇ……」と絶句した北島康介のような場合もそうだろう。
いずれにしても、相対世界の、それぞれの小さな分野で成功することで、
人は一時的で、限定的な喜びを得ることができるが、
しかし、現象界の背後にある実在に近づいたり、
到達したときに得られる至福はその比ではない、
とうたわれたインドの詩の解説のために、たとえとして使った。
そうしたところ、これを聞いていた方からは、
以下のような興味深いコメントが寄せられたので、ご本人の承諾をとって、
ほぼ原文のままご紹介したい。
それは私にとっても、思い出に残るシーンの一つだが……

続きを読む

カテゴリー: スポーツ | コメントする

旅日記11

7月6日-6
かつて聖者は、この聖なる山の周りを、
ゆっくり歩いて巡礼するようにと語られたことがあった。
まるで妊婦がそうするように、ゆっくり、ゆっくり歩けというのである。
したがって、今も、インド人、欧米人を問わず、
そのようにしてこの山の周りを歩いて巡礼する人びとがいる。
周囲は14キロ。3、4時間はかかる。
今回のスケジュールに組み込むのは不可能だと思っていたが、
なんとこの日の夜、
これを一人で歩いたという人がわれわれのなかにも現れた。
夜11時ころから、夜中の3時まで、
しかも半分は裸足で歩いたそうだ。
そのような聖者・聖女らと旅をご一緒できたのは、
望外の喜びである。
聖地ティルヴァンナマライ

聖地ティルヴァンナマライ
ところでこの日、われわれは現地で一番と二番のホテルに泊まったが、
ティルヴァンナマライ一といわれるホテルの個室は、
なんとテントであることが判明した。
洒落た感じのテントで、冷房も、シャワーもちゃんとあるのではあるが、
普通なら大きな文句が出そうなものである。
しかしインド旅行の醍醐味とばかりに、
それも楽しかったと言ってくださる方もいた。
しかしそれでも、テント張りの個室に泊まっていただいた皆さまには、
この場を借りて、心よりお詫びしたい。
ところで、台風の去った後の昨日のパーティは……

続きを読む

カテゴリー: 大いなる生命とこころの旅 | コメントする

台風情報

昔、東京に出てきたころ、
中央線の黄色い電車に乗っていて、赤い電車に抜かれたとき、
隣で父親に連れられていた子供が吐き捨てるように言った。
「ちぇっ! 根性ないんだから……」
世の中に、台風が好きだという人がいる。
吹きつける雨や風の、あのなんともいえない緊張感がいい、というのである。
実は、かく言う私もその一人なのだが、
数年前、戦後最大級の台風が首都圏を直撃、という触れ込みだったのに、
ほんのちょっとした雨風で終わったときには、
あのときのオコサマよろしく、
「ちぇっ! 根性ないんだから……」
と、言ったものである。
そうはいっても、台風がいいのも、
家から外に出ないでいられるときだけで、
被害に遭われる皆さんがいた場合には全力で救済するべきだし、
また、今日のような日にはなんとか逸れてほしいと願わないではいられない。
特に、昨夜遅くまで、
今日のパーティで使うクイズ問題を検討し、
セミナーで読むイエスの言葉にも共鳴してしまっているので、
本当は聞きたかったのだけれど、
台風のおかげで聞けなかった、という方がおられたら、
申し訳ないなと思う。
前回、8月28日の<木曜くらぶ>のときには、
至近距離に次々と雷が落ちるのを聞きながら、
暴風雨のなか、傘をさして自転車を疾走させた。
いつ、その傘に落雷してもおかしくない状況で、
その場合は、やっぱり死ぬだろうな……、
スポーツ紙とかに、
『作家の青山圭秀、落雷で即死』
と、隅のほうに小さい見出しが出たりするのかな……、
黒こげになった写真だけは載せないようにと、
社長がマスコミと交渉してくれるのかな……などと想像しながら、
唯一、ホッとしたのが、
車も人も一切行き来していない大きな通りを、
救急車が走っていたときだった。
さて、心配された今回の台風(アジア名・シンラコウ)について……

続きを読む

カテゴリー: 人生 | コメントする

旅日記10

7月6日-5
母親を山の麓に埋葬した後、聖者はときにその墓を訪ねていたが、
あるときを境に、そこから動かなくなってしまった。
そこでその場所に、人びとはアシュラムを建てた。
現在のラマナ・アシュラムである。
おかげでわれわれは、
壮大な登山をしなくても、聖者の墓所を拝礼することができる。
この日の夕方、私たちはアシュラムに入り、
聖者と母親が今も眠る場所で、
それぞれに祈りを捧げ、瞑想した。
礼拝堂には、欧米人の姿も多数見られた。
ちょうどアッシジの聖フランシスコが東洋人にも愛されるように、
今や聖者ラマナ・マハリシが世界中の人びとに知られ、
愛されている証左である。
逆に、世界中から、
そして日本から来た私たちそれぞれのことも聖者は知っておられて、
祝福してくださっているに違いない。
そのような聖者の息吹が感じられるのだ。
ラマナアシュラム

ラマナ・アシュラム
ラマナアシュラムベッド

聖者の使われていた石のベッド
マハリシお像

聖者のご像
ところで、事務局よりお知らせがあります。

続きを読む

カテゴリー: 大いなる生命とこころの旅 | コメントする

【カルマの法則】とイエス

かつてのユダヤ教社会においては、
【カルマの法則】や【輪廻転生】の思想が、
普通に語られていた。
ユダヤ教社会だけでなく、
同じような思想が世界中の民族に見られる理由は一つしかなくて、
それは、そうした事実を、誰もが心の奥底で感じることができるからである。
現在読んでいる【ヨハネによる福音書】のなかでも、
私たちはそれを示唆する記述をしばしば見ながら話を進めている。
ところが、後に成立したキリスト教においては、
そうした思想がすっかり抜け落ちることとなってしまった。
特に【輪廻転生】は異端とされて、
これを奉ずる人びとは断罪され、
または迫害を逃れて異国に亡命していく他なかった。
なぜ、そのようなことが起きたのか。
今回ちょうど、その謎を語る部分にさしかかる。
盲目で生まれた人はなぜ、そうなったのか。
本人の責任なのか、あるいは親の責任なのか。
その問いに対するイエスの答えは興味深く、
ある意味で、その後の西洋キリスト教社会の
基本的な考え方を決定づけたと言える部分でもある。
ところで当日、<プレマ・セミナー><瞑想くらぶ>終了後……

続きを読む

カテゴリー: キリスト教 | コメントする

旅日記9

7月6日-4
ご母堂入滅の部屋のとなりには、聖者が寝起きした石の寝台があり、
そのとなりは礼拝室になっている。
そこでは今も、神と聖者を讃える讃歌が、僧侶によって歌われる。
畳みにして2、3畳にも満たない小部屋に10人ほどが入り、
ただ、この讃歌に聞き入った。
さながらサウナ状態だったが、
静寂のなか、僧侶の歌う讃歌の美しさの前にはものの数ではなかった。
アシュラム内部

(左から)ご母堂入滅の部屋 ・石の寝台・礼拝室
かつてクットララムの滝に48日間滞在したとき、
たまたま訪れたラーマクリシュナ・アシュラムのことを私は思い出した。
そこでは、やはり一人の僧侶が、
大聖ラーマクリシュナ・パラマハンサの写真を前に、
一枚ずつ花びらを捧げ、マントラをとなえながら、
礼拝の儀式を行なっていた。
まるで迷い込むようにしてその場所に入っていった私は、
まったくの静寂のなか、僧侶の捧げる儀式を見つめたまま、
一時間も二時間も動くことができなかった。
ちょうどあのときのような、
または過去世からかもしれないデジャヴュ感覚のなか、
ひとときの、至福の時が過ぎていった……。
ところで、イスカーナヤマトさん、スカーレットさん……

続きを読む

カテゴリー: 大いなる生命とこころの旅 | コメントする

旅日記8

7月6日-3
引き続き、聖者が生き、瞑想された洞窟を次々訪ねる。
ヴィルパクシャの洞窟は、かつて来たときには入ることができたが、
今は入ることができず、皆さん、外から記念撮影をする。
そして、聖者が生涯の多くの時間を割かれたスカンダ・アシュラム。
そこはまた、聖者の母上が息を引き取られた場所でもある。
外観

スカンダ・アシュラム外観
キュート猿

キュートな猿
聖者が16歳で出家された後、家族はその消息を必死に探した。
聖地ティルヴァンナマライで、
一日中、まさに不動の姿勢で瞑想している若者がいる……。
そんな噂を聞きつけて、まず叔父がやってきたが、
まったく相手にされず、帰っていった。
次に母親が直々に聖者のもとを訪れるが、
母が泣こうがわめこうが、怒ろうが、
聖者はまったくこれを意に介することなく、瞑想を続けたので、
見かねた帰依者の一人が言った。
「いくらなんでも、お母上です。
一言くらいお声をかけて差し上げてはいかがでしょうか」
それにたいして聖者はなお、沈黙の業を続けながら紙に書いた……

続きを読む

カテゴリー: 大いなる生命とこころの旅 | コメントする

旅日記7

7月6日-3
当初、私は、聖者がお建てになったアシュラムから
なだらかな坂を登って洞窟に向かおうと考えていたが、
現地のガイドさんは、それでは時間がかかりすぎると主張した。
そこで急遽予定を変更し、
ティルヴァンナマライの寺院側からやや急な坂道を登る。
ただですら暑いなか、急峻な坂を登ったので、
難渋された方もおられたに違いない。
が、巡礼のため、皆さん黙々と登られる。
牛の出迎え

聖なる牛の出迎えを経て
登り

黙々と登る
最初の洞窟は、マンゴー林の洞窟。
晩年、聖者が夏の間だけ、降りてきて瞑想されたという場所だ。
現在は一人の僧侶が日々瞑想し、儀式を捧げ、
毎日、周辺の貧しい人びとに食事を与えている。
この僧侶から直接話をうかがい、祝福をいただき、
聖者の瞑想された場所を拝礼させていただいたのだが、
実は僧侶はもともと……

続きを読む

カテゴリー: 大いなる生命とこころの旅 | コメントする

旅日記6

7月6日-2
この日、5時間かけて、聖地ティルヴァンナマライへ。
『自分は誰か』を問い続け、
悟りを啓いた大聖者ラマナ・マハリシが瞑想した地へ向かう。
ティルヴァンナマライは、今でこそラマナ・マハリシで有名だが、
太古の昔からここは聖地だ。
地図

チェンナイ→ティルヴァンナマライは
東京→浜松くらいの距離

車中 先生

バランスを取りながら解説する
バス 窓

はるか前方に見える聖なる山
その昔、ブラフマー神とヴィシュヌ神との間に、
どちらが偉大であるかという論争が起きた。
至高の二神が争ったために世界は大いに乱れ、
困り果てた神々がシヴァ神に窮状を訴える。
シヴァ神は言った。
「今、私が光の柱となる。
その頂点か、一番底か、どちらかを見たものが真に偉大である」
これを聞いたブラフマー神は、白鳥に姿を変え、光の頂点を目指した。
が、シヴァ神の光の頂点を究めることは、ブラフマー神にもできなかった。
ヴィシュヌ神は、猪に姿を変え、地中深く掘り進んでいった。
が、もちろん、シヴァ神の限界を見ることなどできようはずもなく、
ヴィシュヌ神は自らの非力を素直に認めた。
ところで、シヴァ神の光の柱からは美しい花びらが舞い降りてきていたので、
その一枚をとってブラフマー神は言った。
「柱の頂点から花びらを持ち帰った!」
だが、その嘘を見抜いたシヴァ神は、
正直に自らの限界を認めたヴィシュヌ神を讃え、その勝ちを宣言した。
こうして戦いは決着を見たが……

続きを読む

カテゴリー: 大いなる生命とこころの旅 | コメントする

旅日記5

7月6日-1
 
朝食後、皆さんで早速記念撮影。
ありふれた都会のホテルの前でなぜ記念撮影なのか理解できなかったが、
インド側のガイドからそうしてほしいと、たっての願いだった。
カメラマンとして、旧知の間柄であるSが来ていた。
われわれが依頼する儀式の模様を撮影してくれている人だ。
かつて心臓の手術をしなければならなくて困っていたとき以来の間柄だが、
なぜ彼がここにいるのか。
ふたたび心臓を悪化させた彼は、
入院して再手術を受けなければならないはずなのだ。
ところが彼は、淡々としてこう言った。
「皆さんの旅行が終わるまで、撮ってから入院します」……

続きを読む

カテゴリー: 大いなる生命とこころの旅 | コメントする