旅日記23

7月9日-5
「お願い」は以下のように続く。
彼女は働き者で勤勉です。
卒業後すれば、貧しい人に尽くすでしょう。
彼女の父は貧しく、残額の支払いは困難です。
よろしくお願いします
Dr. ○○○○○
昔、中学・高校の寮で、カトリックの司祭である外国人寮長が、
「洗濯のおばさん」を「洗濯おばさん」と呼び、生徒にうけていた。
おそらく彼は、教科書に出ている昔話などで日本語を学んだのだ。
同様に、この手紙に出てくる「働き者」も正しい日本語ではあるが、
実際にはわれわれはこのような使い方をしない。
実は、われわれが中学・高校で学んだ英語のテキストは、
そのような、実際には使われない“正しい”英語であふれているといわれる。
しかしそれにしても……

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旅日記22

7月9日-4
最近、こうしたわれわれの活動が知られてきているのか、
私のところへも突然、手紙が届けられたりするようになった。
ストーカー……ではなく、依頼の手紙である。
AN APPEAL  お願い
『……申請者は、全インド選抜試験により薬学科○○○課程に抜擢され、
現在○○大学3年次に学んでいます。
彼女が支払うべき年間授業料は40万ルピー(約100万円)です。
銀行より、15万ルピー(約40万円)の
教育ローンを取り付けることができました。
心ある方からの援助をお願いします。』
英語を訳したのではない。
このような日本文で、寄付の依頼をしてきたものだ。
それにしても……

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旅日記21

7月9日-3
昔、勉強していた英語のテキストに、次のような文言があった。
『一人のニュートンが生まれるのに、
 数十人のニュートンが失われる』
イギリスは、ニュートンという人類史上に残る大天才を生んだ。
だが、ニュートンのような才能を持った少年は、
あの国に、あるいは他の国に、無数にいたに違いないのである。
たとえば、当時のイギリスでは貧しい家庭の少年に煙突掃除をさせた。
だがその方法は、煙突の上から生身の少年を下ろしていくのである。
そうして少年の体で煤を掃除する。
降りてきた少年は当然、真っ黒になっており、
体が外から汚れるだけならまだしも、
おそらく大量の煤塵を吸引したであろう。
そうして、多くは結核や、その他の病気で亡くなっていったに違いない。
このようにして、多くの少年・少女が、
おそらくは自分たちの才能に気づくことすらなく、
亡くなったり、一生を無為に過ごしたりしたに違いない。
まさに、一人のニュートンが生まれるのに、
数十人のニュートンが失われてきた。
産業革命や植民地政策によって
世界で最も富んだイギリスですらそうだったのだから、
まして支配された側であるインドでどれほどそのようなことがあったか、
想像に難くない。
一年分の学資を稼ぐために土嚢運びを3年行なう、
などというのは、貧しい国ではよくある話だ。
そのうちに進学を諦めることのほうが多いだろうし、
身体が弱ければ病気になったりもするだろう。
今回、参加者の一部の方から寄せられた寄付金で、
こうした真面目な生徒・学生を村周辺から選び、
奨学金を差し上げることになった。
前日のパーティの際、
皆の見ている前でステージ上で目録が代表者に手渡され、
また、全員が食事会にも招待され、ご馳走をいただいた。
彼らがおいしいものを無心に頬張っているのを見ると……
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India 2008 236

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旅日記20

7月9日-2
南インドで結婚するとき、式のクライマックスは、
新郎が新婦にかけるマンガリアンである。
金でできたこの護符は、一度かけたなら妻は死ぬまで、
または夫が死ぬまではずさない。
結婚式をお出しした5人の参加者が、これをそれぞれ新郎に手渡し、
新郎の手からこれが新婦にかけられた。
このシーンが、キリスト教式でいえば指輪の交換のような部分なので、
カメラマンたちが群がって写真を撮る。
そのなかに地元の新聞社のカメラマンもいたようで、
ふたたび、翌日の新聞紙面を飾ることとなった。
式が終わり、村を挙げての大食事会では……

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旅日記19

7月9日-1
どんな寺院も、それが始まるときに最大の儀式を行なうように、
ヒンドゥ寺院もまた、最初に落慶式を行なう。
これをクンバ・アビシェーカムという。
クンバとは、英語でgrand (=偉大な)という意味である。
今回、昨年から改装してきたガネーシャ寺院と、
あらたに造った9つの惑星の寺院のクンバ・アビシェーカムが行なわれる。
そのため、私たちは朝食もとらず、朝6時半にホテルを出た。
が、それでも、到着したときにはもう、大方の儀式は終わった後で、
最後に御神体の上部にある天屋根の上での儀式のみが残されていた。
僧侶は神聖な水や大量の花びらを容器に入れ、組まれた階段を上がっていく。
そうして、下から見上げるわれわれの目の前で、
クンバ・アビシェーカム最後の儀式を行なってくれた。
寺院の上からは聖水と花びらが盛大に降らされ、
全員を祝福してくれた。
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クンバ・アビシェーカムの儀式
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儀式後の天屋根上部
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ご本尊のガネーシャ神
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至福のひと時
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9つの惑星の神々に祈りを捧げる
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9つの惑星のご神体
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本邦初公開
アガスティア・パリハーラムの
マントラが唱えられている場所

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巨木に祀られている
蛇の神様

その後、特設の会場では、11組の貧しいカップルの結婚式が行なわれた。
現地の助役や警察所長、大学教授など、主立った人びとが呼ばれ、
僧侶がマントラを唱えるなか、式が行なわれていく。
今回は当初、私が個人的に9組の結婚式をお出ししようと思っていたのだが、
結婚したいけれども経済的な理由でできないというカップルは近隣に多く、
絞ってもなお、11組になってしまった。
しかし……

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旅日記18

7月8日-3
この日の夕食は、なんと日本の天ぷらだった。
そのために、日本から食材を取り寄せ、料理人を呼んだという。
味はなかなかのもので、堪能させてくれた。
特設の会場では、ホーマが始まりそうになっていたが、
その前に登場したのは一人のきりりとした老人。
儀式の前に行なう舞を舞ってくれる。
神聖な舞いを伝承してきた、特別な家系に伝わる儀式のための舞い。
それは踊るシヴァ神・ナタラージャに捧げるもので、
過去15年、50回もインドに来て、初めて見るものだった。
バラモン階級出身のインド人ガイドも、やはり初めてだという。
一方、もう一つの特設ステージのほうでは、
身障者たちの踊りが始まろうとしていた。
これもわれわれのため、わざわざチェンナイから来てくれたのだった。
彼らは、人びとのお恵みをいただきながら生きていこうというのではなく、
自分たちで技能を身につけ、各地で公演を行なって生きている。
それは、われわれにも勇気や力を与えてくれる。
どの一つをとっても、それだけで幸せな時間だった。
が、無情にも、時間は夜11時を過ぎ、
われわれはホテルに戻らなければならない。
それでも、最後に会場を後にしようとしたとき……

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旅日記17

7月8日-2
この日夜、バスでクマーラクディに向かった。
昨年より携わらせていただいていたガネーシャ寺院が落慶し、
また、今回は11組の貧しいカップルの結婚式をお出しするので、
現地ではそのお祝いの儀式を行なっているはずだった。
バスが着き、まずわれわれの目に飛び込んできたものは、
全員の写真が入っている大きな歓迎のパネルだった。
これを用意するために、二日目の朝、
インド側はどうしても集合写真を撮りたいと言ったのだ。
続いて花火が打ち上げられ、会場前には巨象が待っていて、
なんとその巨大な鼻から、われわれに一人ずつ、レイをかけてくれた。
いや……

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旅日記16

7月8日-1
儀式のスケジュールの関係で、この日午前は特にすることがないので、
希望者をピッチャーワラムの湖にお連れした。
湖というが、そこまで船で30分。ほとんど海である。
美しい海を見て、添乗員のOさんは我を忘れて入水。
何人かの皆さんがそれに続いた。
水着を持ってきていないので、もちろん、普段着のままである。
日本では考えられないそんなことも、インドにおいては珍しくない。
インド人は、普通のズボンやパンジャビ・スーツのままで水に入る。
そうしてしばらく外にいると、強烈な日差しで乾いてしまうのである。
現地では、われわれを歓迎する村長さんが地元の伝統的な踊りを手配してくれていて、
これも思わず、何人かの方が一緒に踊る。
昼食は、いわゆるケータリングが、船で孤島まで運ばれてきた。
旅行中、あらゆるホテル、レストランで、
辛さを抑えた料理にするよう強く依頼してあったので、
大きくお腹をこわす人もいなかったが、
ここの人びとはどこ吹く風で、本格的なインド料理でもてなしてくれた。
美味しいのだが、辛すぎて多くは食べられなかったのが残念。
船出のとき

船出のとき
歓迎の踊り

歓迎の踊り
大塚さん

真っ先に泳いだのは添乗員でした
海 4人組

我を忘れて入水中?!
ところで……

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旅日記15

7月7日-4
今回、一部の投機家が短期的な利益のために原油を高騰させたおかげで、
われわれは石油の有り難みを知り、
化石燃料を使いたいだけ使って地球環境を汚してきたことの非を、
ある程度認識することができた。
それはそうなのであるが、しかし現実に、
このことで世界中の人びとが苦しんでいる。
石油と一緒にあらゆる商品が値上がりし、
特に食料品の値上がりが著しい。
それはとくに、貧しい国の、貧しい人びとに重くのしかかる。
世界の平和を願うのは崇高であるが、
より具体的には何が必要かを認識することもまた大事かと、思ったのだった。
(ちなみに調べてみると、WTI原油先物の値段は、
7月7日の時点で1バレル144ドルをつけていた。
その後急落に転じ、現在は90ドル台の前半である。)
140ドル台は明らかにバブルなので、
いつかそれははじけるほかなかったと考えられるが、
あたかも予定調和のように、
ちょうど暴落するときにわれわれはインドで儀式を行なったのか。
それにしても、神々の恩寵がそこにあったことには間違いなく、
さらに原油が値下がりし、
それがガソリンや食料品の値段に反映されていくことを願わないではいられない。
花

神々に捧げるフルーツと花輪
ところで……

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旅日記14

7月7日-3
儀式が始まる前、一人の僧侶が近づいてきて言った。
「儀式は世界平和のために捧げられます。
ほかに特別な意向があればおっしゃってください」
世界平和のために捧げられるのであれば、それで十分なはずなのに、
私は思わずこう言っていた。
「はい、でも特に原油価格が下がるよう、神々にお願いしたいと思います」
そして、参加者の皆さんには、
それぞれの願いを心に思い描くようにと申し上げた。
僧侶はしばらく私のほうをまじまじと見ていた。
やはりまずかったのかもしれない。
神聖な儀式でそのような現世的なことをお願いするなどとは、
たとえわれわれがお金を出して行なうとはいえ、いけなかったか……。
そう思って後悔していたら、僧侶は言った。
「私は、あなたを心から誇りに思います」
僧侶

僧侶たちは、南インド独特の髪形をしている
ところで、この寺院では男性は上半身裸にならないと儀式に与れないので、
私たちもその伝統に従ったことを昨日書いた。
添乗員のOさんもまた、例外ではなかったが、
彼がその際にもらした一言をここにご紹介するのも、
まったく意味のないことではないだろう。
O添乗員はこう言った……

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