巡礼1

思い出に残る昨年の『大いなる生命と心のたび』の最終日、
皆さんとチェンナイの空港に向かう前、
ホテルで美味しいお食事をいただいた。
そのとき、目の前にいた一人の方が言った。
「ねえねえ、来年はサイババに会いに行こうよう」--
もともと、皆さんをお連れしてインドに行くことを私は恐れ、
いつの日かそうしなければならなくなることも恐れていた。
昨年の旅があのような忘れられないものになったにもかかわらず、
私はなお、サイババに会いに行くことを躊躇していた。
が、このときの無邪気そのものの一言はなぜか私の背中を押し……

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半世紀 2

一昨年の12月、ほとんど20年使ったテレビがついに出なくなって、
買い換えた話を書いた。
そのとき、私は驚いた。
そんなことはよもやないとは思うが、
もしかりに、このテレビも20年使えば、
そのとき私は70に近いことになるのだ。
今日、50になってしまった私は、
10年後、同じようなブログを書いているのだろうか。
それとも少しは進化して、
今とは違ったものの考え方ができるようになっているのか。

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半世紀

『少年老い易く、学成り難し』
初めてこの故事成句を学んだとき、私はまだ10代の前半だった。
頭のなかでのみこの金言を学び、
まったく実感はなかった。
50回目の誕生日を前にして、
最近お目にかかった会員の皆さんの何人かからお祝いを言われたが、
本人は至って悲壮である。
半世紀も生きてきたのに……、という思いが、
正直、私のなかにはある。
現在2009年2月11日23時55分。
ほとんど信じがたいことだがあと5分足らずで40代が終わり……

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アイヤッパ神 2

ともに至高神であり、実在そのものであるヴィシュヌとシヴァの間にできた子は、
全知全能でした。
が、彼はそのことを隠して普通の子供のようにふるまいます。
しかしほどなくして素性が知れ、
バーラタの国全域から広く信仰を集めるようになりました。
王侯貴族がアイヤッパ神の寺院を建てたいと申し出たとき、
彼が自ら弓を引くと、矢が飛んである山に突き刺さりました。
それが現在の聖サバリ山であるといわれます。
こうして、アイヤッパ神信仰の総本山サバリマライには、
毎年何百万という群衆が押し寄せることとなりますが、
そのピークがちょうど1月14日前後となります。
この日、サバリマライの上空を鷲が飛び、
山頂には炎がたつといわれます。
アイヤッパ神のご神体はわずか30センチほどの高さですが、
これは人間が作ったものではなく、太古の聖者の手によるものです。
巡礼者は、ココナッツの実に聖なるギーを入れ、
蝋で蓋をして袋に入れ、頭に載せて山を登ります。
そうして神殿にたどり着いた巡礼者のなかでごく僅か、
特別な縁に恵まれた者は、これをアイヤッパ神におかけし、
ご神体に直接触れたギーを持ち帰ることができますが、幸運にも……

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アイヤッパ神 1

早いもので今年も残すところあと350日余り……
先日は京都で講演と<Art3>の講座を行なってきました。
新年早々、たおやかに意識の進化した皆さんと時間をともにすることができて、
こうしてたまにやってくる幸運に感謝することとなりました。
ところで、さらに新年早々、元旦に皆さまにお届けしたメールマガジン冒頭では、
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昨年末に私個人が行った巡礼の模様をご紹介しました。
その後多くの方からメールをいただいたが、一番多かったご質問は、
「その聖サバリ山に祀られている神さまは、どんな方?」
というものでした。
その昔、神々が阿修羅に打ち負かされそうになったとき、
神々に泣きつかれ、ヴィシュヌ神は考えました。
『この世のあらゆるよいものを集めて混ぜ合わせ、
不老不死のアムリタ(霊薬・甘露)を作ろう……』
そうしてできた甘露は、実はソーマ、すなわち、
瞑想中に私たちの内側で盛んに産生される精妙な物質に他なりません。
ところが、苦労の末に甘露ができた途端、
阿修羅たちがこれを横取りしようとしたので、
ヴィシュヌ神は自ら美女に姿を変えて阿修羅を幻惑し、
その間に神々が甘露を呑めるようにしました。
おかげで神々は不死の体を得ることとなりましたが、
しかしその際、一つの“事件”がおきました。
ヴィシュヌ神が姿を変えた女性はあまりといえばあまりの美しさだったため、
シヴァ神が恋に落ちました。
こうしてできたおこさまが、サバリマライに祀られているアイヤッパ神です。
ちなみに……

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予兆3

<木曜くらぶ>や<プレマ・セミナー>でときどきお話しするが、
神話や、実際に書かれた予言を読んでいると、
ある人に一つのダルマを達成させるため、
天界でさまざまな議論が行なわれたり、
場合によってはお一人の神が他の神々を説得したりすることもあるという。
しかし興味深いことに、そして当然のことながら、
そうしたことのすべてを、われわれは知らない。
ごく稀に、後になって気づくこともあるが、それはごく一部なのであって、
われわれは人生の時間の多くを、なぜそうなったか知らずに過ごし、
幾生涯にもわたってその状態は続く。
無知とはまことに哀しいもので、
おそらく知らないがためにわれわれは、
人生について、運命について、
いつもああでもない、こうでもないと思い悩むのである。
聖典や予言は……

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予兆2

大きなダルマが果たされる前、自然界は何かの予兆を与えるとヴェーダは言う。
その多くは、他ならぬ、障害となるべきさまざまなカルマの解消である。
人生の途上、
なぜ自分にこのような苦難が降りかかってきたのだろうと思うことは誰にもある。
どのように考えても心の底では納得がいかず、
ときには運命を呪うかもしれない。
しかし、聖パウロは言っている。
『真実の方である神は、
 あなた方を、力以上の試みには会わせない』(コリントⅠ 10-13)
試みに会うときには、おそらくさらに大きなダルマの遂行が待っている。
ヴェーダはまた、言う。
『準備ができたとき、神は師を地球の裏側からでも連れてくる』
その準備のため、神はかなり過酷な試練をお与えになるかもしれないが……

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予兆1

思えば昨年の今頃、私たちは南フランスの聖地を巡る旅を終え、
帰国したところであった。
旅はもともと、10月に予定されていたが、
しかし出発をあと一週間ほどにひかえたある日、
旅行代理店の担当者がどうしても会いたいと言い出し、
席が一つもとれていない事実を告げた。
結果、旅は2カ月ほど延期され、
そのお蔭で参加できたという方もおられたが、
そのために参加できなくなった方もおられた。
後者は前者よりも数的にはずっと少なかったものの、
大きな傷として私の心に今も残っている。
もちろん、何かの意味があったには違いない。
だから、精神世界の、特にポジティブシンキングを標榜する人なら、
却ってよかったんだ! と一言言ってスッキリするのかもしれないが、
如何せん、悟りの境地にほど遠い私は、
いまだに思い出すと苦しい。
旅に行けなくなって、毎晩泣いた、
旅日記の充実した旅の様子を読んではまた泣いたという方もおられ、
正直、今回の人生のなかで、私の傷がすっかり癒えることもないだろう。
一方、このときの旅で最初に訪れた先のルルドでは……

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予定

現存する地上のほとんどの文化において、
天界にはさまざまな神々がおられることが想定されている。
いえいえ、私たちの宗教は一神教ですという方もいると思うが、
それでも、その神の元にはたくさんの天使がいる。
ヒンドゥイズムにおいても、至高神が存在し、
そのもとにさまざまな神々が働いておられるという言い方をするので、
結局は同じことだ。
人間が多数存在し、国を形成すれば、そのなかに君主が生まれるように、
神々が多数存在し、国を形成すれば、そのなかに王が生まれる。
この神々の王をヒンドゥイズムではインドラと呼び、
当然に尊ばれている。
世界最古の叙事詩の一つ『マハーバーラタ』によれば、
あるとき、この神々の王インドラは、不思議なマントラによって呼び出され、
王妃の胎に宿った。
こうして、地上最強の戦士アルジュナが誕生した。
アルジュナの人生は、しかしさまざまな苦難に彩られ、
ついに彼は戦争に巻きこまれる。
開戦を目前に控えてなお、彼は戦うべきか戦わざるべきかに悩み、
「神の」化身クリシュナに相談するのである。
そのとき、クリシュナが道を説く様子が、
東洋の聖書【バガヴァッド・ギーター】であるが、
それは18章もの章立てから成る。
そのなかでもハートと呼ばれる第二章の、しかももっとも大事な部分、
クリシュナの教えのすべてが集約されていると言ってよい詩節に、
11日の<木曜くらぶ>で到達する。
また、14日の【ヨハネによる福音書】は、
いよいよエルサレムに入城し、最後の晩餐に向かうイエスを描く。
奇しくも年末、両方のセミナーがハイライトを迎えようとするのは、
単なる偶然だろうか。
ところで……

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一期一会

長い間、アーユルヴェーダの講座を開いて欲しいといろいろな人に言われてきて、
その度に検討中ですとお答えしてきた。
実際、検討中だったのだが、
生来の優柔不断で、やっと今回、これを催すことができた。
ときどき、注意して思いださせてくれた皆さんのおかげだ。
今回は、アーユルヴェーダ 〜基礎のすべて〜ということで、
アーユルヴェーダとは、アーユルヴェーダの起源、アーユルヴェーダの目的、
そしてヴェーダの教える存在の構造、なかでも、
生命の3つの基本要素ヴァータ、ピッタ、カファについて、
聖典と経験に基づき、さまざまなお話をすることができた。
質問につられて、3つのドーシャと3つのグナ、
生命と存在の始まり、
さらに、そのときにしかしないであろうようないくつもの話題に発展した。
舞台は、役者と観客の両方が創るといわれるが、つくづく、
講座も、講師と受講生の皆さんの両方が創り上げるものだと思う。
まさに、一期一会。
このような受講生の皆さんを得て、幸せだった。
ところで……

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