旅日記1

4月11日から一週間、第17回『大いなる生命と心のたび』が催行され、
18日には全員が元気に帰国されました。
遅ればせながら、その折りの旅日記を少しずつ掲載していきます。
もちろん、すべては到底書き切れない、思い出の旅ではあったのですが……。
4月11日(初日)-1
この日はきっちりした集合時間を設けることなく、
おおむね8時半から9時の間に来ていただいて、
三々五々、チェックインしていただくことになっている。
ならばおそらく、8時くらいにおいでの方もおられるに違いない。
私自身は8時に成田到着目標。
Yさんが車で迎えに来てくださるというので、
無理を言って6時に来ていただくことにした。
彼もおそらく、前日徹夜であるに違いない。
たぶん、実際の到着は6時半くらいか……。
そう思ってつい、ブログなど書いていると、朝6時にYさんから電話!
もうすぐそこに来ているという。
空港に着いてから気がついた。
前日、遅くまでスタッフのハラと練り上げた資料がない。
空港で、サイババのアシュラムの説明をするための大きな地図もない。
自宅を焦って飛び出したとき、忘れてきたのだ。
それでも、空港で皆さんに会うとすべての憂えを忘れてしまう。
そして、心を尽くしてご挨拶と、最善を尽くして旅行全体の説明をした。
河-1

皆さんにご説明
いよいよ出発! と思ったが、
まだまだ空港でやることが残っている。
TCを買い、必要な電話をしていると、もう搭乗時間だ。
走って出国検査場に向かう私を、大陸旅遊の職員が最後まで見送ってくれた。
まずい、遅れそうだ……!
電話をしながら搭乗ゲートに走り込んだと思ったら……

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聖灰

3週間の旅から帰ってみると、日本は華やかなGW、
あまりの落差になかなか適応できなかった。
【バガヴァッド・ギーター】の解説も明日は二カ月ぶりで、
久しぶりにテキストを見、何を話そうかと思うと、
一つひとつの詩節が新鮮だ。
ところで、巡礼をご一緒した皆さんがお帰りになった後、私はインドに残り、
かずかず儀式を行ない、施設を訪れた。
お預かりしたサイババへの手紙は、
皆さまと一緒の旅行中にはおとりいただく機会がまったくなかったため、
昨年建てたガネーシャ寺院でのホーマ(聖火)の儀式にお捧げした。
また、皆さまからお預かりしたご寄付は、主に障害を持つ子供たちの孤児院と、
身寄りのない老人ホームの施設の一部となった。
お寄せいただいたペンと鉛筆、お菓子類も、
貧しい子供たちとその先生方、また一部は、
こうした活動を手伝ってくれたボランティアの人たちに手渡すことができた。
そのようにしながら、インド最南端に近い聖地クットララムまで移動していたところ、
サイババがコダイカナルに入られたというニュースに接したので、
急遽、私もコダイカナルに移動した。
朝、3時にサイババの夢を見て目覚めた私は、
やおら手紙をしたため始めた。
こうして書いた手紙は、サイババに直接受け取っていただき、
神聖灰ヴィブーティまでいただくこととなった。
このときおとりいただいた手紙は手書きであったので、
正確な文面は残っていないが……

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椅子に座ったまま一瞬、フッとしたと思ったら、朝5時を過ぎていた。
最近は日の出が早く、もう朝を迎えている。
このときまでにできることは全部しようと決意していたのに、
こうして出発の朝を迎える。
6時過ぎには迎えがくるようにお願いしていたのに、
自分の準備ができていない。
毎回、同じことの繰り返しだ。
それでも、空港に着いて皆さんにお目にかかれることを思うと、
疲れも飛ぶ。
今回はイスカーナ・ヤマト氏がそのなかにいるはずなので、
さすがにこのブログに返信することはできないだろう。
歓びと哀しみ、苦しみと楽しみ……

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インドへの旅

大いなる英知に触れるため事務所にこもり、
会員の皆さんと個別の時間を費やし始めた頃は、まさに厳冬。
数々の奇跡を見、感動している間に、
いつの間にか桜の咲く季節となっていました。
こうして春がきて、夏となり、秋が深まるとまた一年が終わります。
一回の人生も、そのようにして速やかに終わるに違いないと感じてしまいます。
インドに発つ日も近づいてきました。
参加される皆さんは、期待と不安の両方がおありのことと思います。
結果的に、この二カ月間、
20回以上も浅草や鶴見、鎌倉の寺社仏閣を巡ることとなりましたが、
そこで行なった礼拝や瞑想のすべてが、
同時に今回の旅に臨むためのものでもあったに違いないと思っています。
昨年、聖者ナーラーヤニ大シャンカラーチャーリヤにお目にかかった際も、
実際にお目にかかれるかどうかは直前まで分かりませんでした。
今回もまた、サイババの所在を含め、
すべては大いなるものの意志のままにしか進まないと覚悟しつつも、
しかし人間の力でできることについては最大限の努力をしてきました。
ただ、いずれにしても、どこにいたとしても、
人生自体が困難な旅であることに変わりはありません。
さて、今年は謹んで、サイババのアシュラムにお邪魔しようと思っていますが、
ルルドに行くときと同様、
手紙を持って行ってほしいという方がおられました。
現在、サイババに直接手紙をとってもらうのは困難な状況のようですが、
試みてみます。
手紙を託したいという方は、
4月9日必着で、株式会社ライトフィールドまでご郵送ください。
また、昨年の旅行では、11組の貧しいカップルのための結婚式をお出しした際、
皆さまから託された奨学金を学生の代表に手渡すことができました。
結婚式

結婚式を挙げた11組のカップル

カップル

カップルのうちの一組

皆さまからのご寄付70万円は、
学生12名と身障者の皆さんのために使われました。
セミナーの際にもご報告したように、
昨年12月、聖サバリ山に巡礼した際
そのうちの一人Chitraさんが面会に訪れ、皆さまへの感謝の気持ちを託されました。
(彼女はこのお蔭で進学が可能となり、スポーツ奨励賞をとりました!)。
chitra

お礼に来てくれたChitoraさん

今回も皆さまから、
インドで使ってほしいというお金を託されることがありますが、
今年は特に、治療費が払えなくて苦しんでおられる
病気の方を支援したいと思っています。
母子

ガンの窮状を郡の助役に訴える母子

また、昨年の旅でホーマの儀式にあずかったチダンバラム
──ナタラージャ寺院とカーリー寺院で有名です──
の身寄りのない老人ホームでは、
古く汚れた食器、炊事・洗濯用具、寝具などの生活必需品をどうしても買い換え、
補充しなければならない時期に来ているので、
それらに用立てることも計画しております。
私自身は旅行後インドに残り……

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講演

会員の皆さんとあまりに充実した日々を送り、
月日が経つことや曜日の感覚をすっかり忘れてしまっていたところ、
もう明日が福岡の講演の日になってしまった。
広島と沖縄はしばしば訪れることがあるが、
福岡はあまりなくて、久しぶりになる。
『東洋の哲学と現代科学』
宇宙や意識、生命について話すときには、
必ずコアになる部分があるが、
明日は質疑応答を含めて相当に時間があるので、
かなり踏み込んだ話までできそうに思っている。
「今日来れたのはラッキーだった……」という気持ちに、
全員がなって帰っていただきたいと、
講演の度、思う。
ところで、一昨日、外に出ると……

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聖書

『聖書』は、いうまでもなく、ユダヤ教、キリスト教の一大聖典である。
イスラム教もまた、実はこれを教典にしているので、
世界三大宗教のうちの二つ、
五大宗教のうちの三つまでもがこれを聖典にしていることになる。
発行部数に至っては、
1815年〜1998年で推計約3880億冊、
2000年一年間だけで約6億3300万冊が配布・販売されたという(国際聖書協会)
究極のベストセラーだ。
しかし、では、なぜこの聖書が「聖なる書」といえるのかについて、
実はわれわれはたしかなことを知らない。
聖書のなかには、その無謬性をうかがわせる表現があり、
したがって聖書に誤りは一つもないと素朴に信じるキリスト教徒も多いが、
むろんそれは循環論法である。
では、聖書は、普通の人間が書いた普通の本かというと、
もちろんそれもあり得ない。
では、どこが違うのか。
イエスはこのような議論が起きたときのためか、
弟子たちのため「保護者」を遣わすと、亡くなる前に言い残した。
これをわれわれは聖霊と呼び、
まことに通常の人間の理解を超えるものではあるが、
キリスト教の根幹を成す概念の一つとなっている。
ちょうど……

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巡礼5

シヴァ神がお書きになったものが出てくるまではホームページも変えられないし、
チラシも印刷できない。
そう思い詰めていたところ、
果たして、シヴァ神による予言は出てきて、
そこにはこう書かれていた。
『これから、まさにわたしに会いに来ようとするそのとき、
 弟子の皆と共に
 わたしと、女神パールヴァティにアビシェーカム、アルチャナを捧げて来なさい』
それから9日間続けて、
シヴァ神と、女神パールヴァティにアビシェーカムとアルチャナを捧げなさいと、
そこには書かれていた。
初日、シンガポールを経由してバンガロールに入るわれわれは、
バンガロールのホテルに泊まり、
翌早朝、おそらく5時頃、
サイババのアシュラム目指して出発する予定だった。
しかしこの指示により、予定が少し早められる。
その日、出発前、私たちはこのプージャにあずかる。
シヴァ神が指示されたとおり、
シヴァ神と女神パールヴァティに捧げられるアビシェーカムとアルチャナにあずかり、
心を鎮め、謹んでアシュラムに向かうことになる。
その後、このプージャは、私たちのために9日間、続けられる。
私たちがゴアを巡礼するときも、
そしてシンガポールを経由して日本に帰ってからも、
なお、このプージャは続けられる。

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巡礼4

今年になってから出てきた聖者パーンバッティの予言には、
こう書かれていた。
『今、おまえはサティア・サイババに会いに行こうとしている。
そのために心を込め、感謝を込めて準備している。
だが、一つだけまだ足りないことがある……』
昨年、困難なインドの旅を初めて計画したとき、
一部の人には、うまくいかないだろうと言われていたのを私は知っている。
たしかに、旅は困難な要素に満ちていた。
しかし実際には、行く聖地ごとに恩寵を感じ、祝福され、
若き聖者ナーラーヤニや、老師シャンカラチャリヤに拝謁することもできた。
今年は、さらに難しい旅になることが予想されたので、
私なりに大きな決断が必要だった。
その障壁を乗り越えて作ったチラシが、
このときすでに、印刷を待つだけという状態になっていた。
突然出てきた予言を受け、私はあわてて旅行会社に電話して、
チラシの印刷をストップするようお願いした。
聖者パーンヴァッティの予言には、こう書かれていた……

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巡礼3

年に一度、会員の皆さんのお一人お一人と濃密な時間をもつ季節を過ごしている。
今年はまたひときわ、毎日が神秘的で、奇跡的だ。
そんななか、聖者の指示により、
「アサクサ」に行くことが何度もあり、
この一カ月ですでに11回にのぼっている。
最初、「ア・サ・ク・サ……」とぎこちなく発音されていたが、
今ではすっかり流暢にアサクサと出てくる。
ここへきてどうしてこんなに浅草が出てくるのだろうか……。
そう考えたとき、どうしても、
初めてサイババに会う前に浅草寺に行ったことが思い出される。
もしも、あのとき祈りを捧げた聖観音様が、
または、観音様の別のお姿である聖母マリアが
私をサイババに取り次いでくださっていたとしたら、
今、浅草に何度も行くことになる意味が分かる。
これから皆さんをお連れしてサイババのところに行こうとしているのだから……

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巡礼2

中学一年のときにヨーガの先生について以来、
瞑想を習い、インドにも行きたいと思い続けていたが、
長い間その機会は訪れなかった。
常に、目前の勉強や仕事を優先しながら30になっていた私は、
とうとうサティア・サイババの65回目の誕生日に合わせ、
インドに行くことを決断した。
1989年の11月なので、もう20年近く前になる。
だからといって、私の人生がどう変わるかは、
まったく分からなかった。
あの国に、何か底知れない魅力を感じつつも、
客観的には、特に何も変わらないかもしれない、
いや、その可能性のほうが高いと私は自分に言い聞かせようとしていた。
何かが変わると思ってインドに行き、
そうしてカルカッタの雑踏で、ガンジスの堤でタバコやハッシッシを吸いながら、
残りの人生を過ごしていく人たちも大勢いるのである。
そんなとき、一人の友人が旅の安全を祈りに行こうと言い出し……

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