旅日記9

4月12日(二日目)-4
なんとしても乗り継ぎ便に待ってくれているようかけあうが、
それも限界があると言われ、私は一人、待合室に座っていた。
なぜなのだろう……。
シヴァ神の予言には、旅行の時期はそのままでよいと書いてあった。
巡礼は、結局実を結ぶとも書かれていた。
それにしても、そこにさりげなく書かれていた「嫉妬」とは何のことか……。
それは、私に対するものなのか、それともこのグループの人たちへのものなのか。
少なくとも個人的には、私はそれほど幸運な星のもとに生まれついていない。
嫉妬されるようなことはないのである。
ただ、嫉妬であれ何であれ、過去、シヴァ神があのような表現をとるときには常に、
そうした悪意は本人に必ず返るとも書かれている。
ときにはその人の名前まで示唆されていて驚かされることもあるが、
何がどう書かれていたにせよ、
私のほうから何かをするということはなかった。
ほとんどを他人の言うに任せ、するに任せてきたのである。
そうしていると結局、シヴァ神の言うようになってきた。
しかし、今回はどうなのか……。
われわれはただ、心静かにサイババのもとを訪れることができれば、それでいいのに……。
そんなことを思っていたとき、突然……

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<木曜くらぶ>

『バガヴァッド・ギーター』は、
長大な『マハーバーラタ』のなかの一場面に過ぎない。
開戦を目前にしたわずかな時間に、
クリシュナとアルジュナ二人だけの間に交わされた会話であるが、
それは普遍の、「東洋の聖書」として知られている。
すでに両軍に数百万の兵が対峙した状態で、
いったいどのようにしてあれだけの会話が交わされたのか、
われわれが通常の理性で考えたり、想像したりすることはできない。
神としてのクリシュナと、
神々の王インドラの化身としてのアルジュナの意識の間で、
瞬時に交わされた「何か」なのかもしれない。
とはいえ、「わたしはもう、戦わない」と言ってアルジュナが武器を棄て、
戦車に座り込んだり、
それに対してクリシュナが微笑みかけたりするのであるから、
ある程度の動きと言葉が交わされたこともまた、間違いない。
5月31日に行なった恒例大クイズ大会のなかで、
この場面を問う問題があって、ただお一方だけが見事に正解されたが、
開戦直前という緊迫した場面で、
しかも武人としての力と名誉のすべてをかけて苦悩するアルジュナに対し、
最初に微笑みかけたというクリシュナのクールさが、しびれるところだ。
あの日クリシュナ問題を選択された皆さんは、
こういうところに心奪われたのかもしれない。
ところで、全18章になんなんとするその聖典のなかでも、
クリシュナの言葉のもっとも凝縮されたのが、第二章である。
『バガヴァッド・ギーター』のハートともいわれるこの章で、
ヨーガとサーンキヤの精髄が語られる。
そのもっとも重要な章が、いよいよ最後の10節ほどにさしかかった。
ここで、『ギーター』のハート第二章の、
さらにそのハートの部分が説かれるので、4日の<木曜くらぶ>で解説する。
また、先日、私が一人でインドに残った部分の写真の解説については……

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旅日記8

4月12日(二日目)-3
この日、飛行機は朝10時に出発するというので、
われわれはずいぶん早くホテルを出るはずだった。
が、夜、寝ている間に早くも遅れが出て、
出発予定は徐々に繰り下がっていった。
もともとの定刻である11時半はおろか、12時、1時を過ぎ、2時に。
乗り継ぎ便の待ち時間のリミットだ。
これ以上遅れれば、今日もインドにたどり着けない。
もしや、幕張、シンガポールと、少しずつ進んでいって、
一週間かかってやっとインドにたどり着くつもりなのか……(^o^;?
ところが、実はここにもう一つ、大きな懸念材料があった。
サイババがこの時点で、まだプッタパルティに留まっておられたのである。
例年なら、とっくにホワイトフィールド(バンガロール)に移動しておられる。
そのために最も安全な時期を選んだはずだったのに、
なぜか今年にかぎってまだプッタパルティなのである。
バンガロールからプッタパルティまで、移動するのに4〜5時間かかるので、
この日インドに着けなければ、サイババを直接仰ぎ見る機会自体がなくなる。
それはまさに、旅行全体の破綻を意味していた。
過去の『大いなる生命と心のたび』において……

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太古の時代、ユダヤの民は神を仰ぎ見、礼拝し、
その与える律法を守ることで神の国に入れるものと考えた。
予言者たちは神から下ろされた言葉を民に語り、
神によって創造された者、律法を守るよう定められた者、
神に仕える者、人生を捧げる者、あらゆる意味で、民は僕(しもべ)であった。
キリストに仕えた弟子たちもまた、
自分たちはキリストの僕であると感じていたに違いない。
さほど偉大でない師に対しては、人はそれほどの感情も抱かないだろう。
しかし、どこにでもいそうな普通の人間だった弟子たちにとって、
イエスはあまりに偉大であったので、
例外なく、彼らは自らをイエスの僕と感じていただろう。
そうして3年が経とうとしていたとき、ある年の過ぎ越し祭で、
イエスは突然、自分がもはや、弟子たちとそう長くはいられないことを告げた。
弟子たちには、意味が分からなかった。
が、イエスは続けて言う。
「最後に、一つの掟を残す。それは互いに愛し合うことだ」
そうして、その掟を守る弟子たちを、もはや僕とは呼ばない、
おまえたちはわたしの「友」だとまで言い切った。
最後の晩餐というイエスの生涯のクライマックス、
そしておそらくは、聖書のなかでも最も美しいこの場面について、
四福音書のなかでも圧倒的に語ったのは……

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旅日記7

4月12日(二日目)-2
思えば過去、十五年間、シンガポール航空を使って40回はインドに行った。 
その間、ただの一度も、飛行機が遅れて困ったなどということはない。
遅れたことはあったのかもしれないが、記憶にないのである。
それがよりにもよって、八十数名の皆さんと一緒のときに欠航とは……。
この日、幕張から成田への移動は、
他のお客さんのいない専用バスを使えることになった。
「みんなで一緒に瞑想したい」
そんな声を何人かから聞いたので、思い切って皆さんに提案してみた。
バス一台はすでに出ていたので、添乗員さんに電話して、
同じ時間帯に一緒に瞑想してもらう。
約40分の移動時間は、こうしてとてもいい瞑想タイムとなった。
皆さん、お顔が生き生きしている。
これで一体感が出ましたね、と言われる人もいた。
すでにBREAKはあった。
後は快適で……

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旅日記6

4月12日(二日目)-1
今年の一月、パーンバッティという名の聖者の予言が出てきて、
そこにはこう書かれていた。
『今、おまえはサティア・サイババの許へ行こうとして、
 そのために準備している。
 だが、旅行においては、Break(破れ、破綻)があるだろう。
 それを避けるための方法は、
 シヴァ神ご自身がお書きになっている……』
それを読んだのは、旅行のチラシを印刷所に廻そうという前日のことだった。
急遽、印刷を延期して、シヴァ神による新たな予言を探してもらうことになった。
果たして、予言は出てきて……

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旅日記5

4月11日(初日)-5
初日の夜も更けた頃、私は大浴場にいた。
大変な一日だった。
でも大丈夫だ、という気持ちと、それとは裏腹の不安の両方が押し寄せる。
以前、インド航空で行くアーユルヴェーダ関係のツアーで、
成田に三泊したという人がいた。
そういえば、参加者のお一人もサイババの夢を見たという。
『待て……三』
そう言われたというが、まさかこのままわれわれも三日待たされるのか……。
一日欠航しただけでも信じられないというのに……。
いろいろなことが脳裏を掠める。
しかし、風呂に入り、髪を洗って出てくると、なんとなく身も心も落ち着く。
              
そうして大きな鏡の前で髪を乾かしていたとき、
信じられないことばかりあったこの日のうちでも最も信じられないことが起きた。
外人の若い女性が裸で、こちらを向いて立っていたのである。
向こうも私に気がつき、鏡越しに目と目があって、互いに絶句した。
ここは女湯だったのか……?!
そういえば、妙に誰もいなかった……。
さまざまな思いが一時に頭を駆けめぐったが、そんなはずはなかった。
ここは男湯のはずだ。
そう言ってみたのだが、英語を理解しないのか……

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旅日記4

4月11日(初日)-4
陽も傾こうという夕方5時までバスを待ち、
見知らぬ他のお客さんたちと一緒に幕張に着くと、
なんとそこには添乗員も、ガイドもいなかった。
いったいどうしたらいいのだ……。
八十数名の方が続々到着され、孤軍奮闘していると、
やっと添乗員と大陸旅遊のスタッフが着いた。
キーを配って三十分後、皆さんには降りてきていただいた。
全員が一カ所で食事できるレストランはないので、
となりのホテル・ニューオータニに移動して二カ所のレストランで食事。
でも、疲れていたこともあり、これがなかなか美味しかった。
ホテルの部屋はまあまあだったし、大浴場もあり、
後で聞いてみると……

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旅日記3

4月11日(初日)-3
午後2時出発ということだから、シンガポールでの乗り継ぎはぎりぎりだ。
チャンギ空港では、インドで特別にお世話になる方や、
慈善活動を助けてくれる方たちのためのお土産を買わなければならないのに、
どうするか……。
買う物も、買う場所も決めてある。
そんなに時間はかからないはずなのだ。
が、皆さんに急いでいただいているときに、
突然私が一人買い物に走ったら、顰蹙(ひんしゅく)に違いない……。
それとも、ハラに買い物を任せるか。
だが、そうしていて万一、ハラが遅れたらどうする??
その場合は諦めて置いて行くか……(ToT)/~~~
インド56

牛丼を食べなかったYさんと、
置いて行かれそうになったハラ

さまざまなことが脳裏を駆けめぐるが、
そもそもちゃんと乗り継ぎ便は待ってくれているのか。
強い口調で交渉していると、
まるでそれをあざ笑うかのように、次の情報が入った。
「出発は3時となります」
ああ、これではもう、乗り継げない。
ミールクーポンも尽きた。
今日はシンガポールで一泊か……。
でも、オーチャード通りの洒落たホテルなら我慢するしかないか……。
なんとか自分を慰めようとしていたところ、また新たな情報が……

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旅日記2

4月11日(初日)-2
シンガポールでの乗り換え時間は2時間40分。
ならば、午後1時出発でも間に合う。
そう思ってたかをくくっていると、情報が入った。
「午後2時の出発となります」
すでに全員、お腹が空いている。
そのタイミングで2000円のミールクーポンが出たので、
皆さん、嬉々としてレストランに向かわれた。
半端な金額を上手に使うためには、
何人か分のクーポンを一緒にして、金額を使いきるといい。
すぐに皆さん、その手法をマスターして、
そこここで数人のグループができる。
私も6、7人のグループに混ぜていただき、
一緒に海鮮丼や天丼、その他数種の定食を注文する。
それらを分け合って食べてもまだ金額が少し残っていたので、
インドに行ったらもう牛肉は食べられない、
この際、牛丼も注文しようかと悪のりしてみたら……

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