旅日記16

4月13日(三日目)-5
ダルシャンホールに入るまでの間、われわれは汗をかきながら、
じっと列に並び続けなければならない。
そうして時間になると、くじ引きがある。
列の最初の人がくじを引き、その順番に中に入ることができる。
そうしないと、敬虔な帰依者の皆さんは、前の晩から来て並んだり、
席取りをすることになってしまうのである。
どの列に並んだらいいかは、当然のことながらまったく分からない。
今回は、服装や持ち物などについていろいろやっていてやや遅れたので、
セヴァダル(ボランティアの皆さん)が、
ここに並べとばかりに指定してきたその場所に素直に並んだ。
すると、その列の先頭の人が、一番くじを引いてくれた。
前から並んでいる皆さんに申し訳ないと思いながら立ち上がり、
ダルシャンホールに向かうと、すぐ脇を並んで歩いてくる何人かのインド人がいる。
スキを見て列に割り込もうとする人であろうと思ったが、
やはりその通りであった。
インド人に対して同じことをすれば、場所柄もわきまえず騒ぎ出すかもしれない。
欧米人は総じて、原理原則にうるさい。
なので、何も言いそうにない東洋人のところを狙うのかもしれない。
私個人はそれで特に不利益を被るわけではないし、
折角の瞑想的な雰囲気を壊したくないので、
やはり何も言わないのが普通なのかもしれない。
だからこの人たちは、いつも同じことをしているのだろう。
しかしそれでは、真面目に何時間も並んだ人たちに対して悪いと思ったし、
要するになめられていることになるので、私は「これはまずいですよ」と言った。
それでも、相手は無言のまま割り込みを続けたので……

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旅日記15

4月13日(三日目)-4
インドでは、男性の服装はすこぶるシンプルである。
おおむね、北インドはクルター・パジャマ、
南インドではシャツにドーティという出で立ちであるが、
サイババのアシュラムは南インドにあるにもかかわらず、
クルター・パジャマが着られる。
こちらのほうが機能性に優れ、
普段着としても、公的な場でも、儀式用にも着ることができる。
それに対して、女性のほうは複雑だ。
サリーは美しいが、しかし着付けが結構大変だ。
その上、機能性という面でやや難点がある。
ダルシャンホールに入る際の服装も大事で、
胸元や二の腕、足首までが隠れるようにしなければならないし、
持って入ることのできるポシェットの大きさも微妙だ。
さまざまな判断に迷い、ほとほと困り切っていたところ……

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アドリア海の真珠

今、たまたま新聞を見たら、
以前にメジュゴリエを巡礼したときに訪れた、
アドリア海の真珠、ドブロヴニクが
NHKの『世界遺産』で10時から出るみたいだ。
ああ、だけどもう10分しかない……!

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旅日記14

4月13日(三日目)-3
かつてサイババ襲撃事件などという信じられないことがあったり、
インド国内のさまざまなテロのおかげで、
特にプッタパルティはダルシャン会場に入るときの規則が厳しい。
昔なら、サイババを待つ間に講話集などを読んでいられたが、
現在は本の持ち込みは禁止だし、
水も持って入れない。
かつてダルシャンに並ぶとなれば、私は必ず油性のサインペンを持っていた。
機会があれば、本や写真にサインをしていただくためだ。
そうしてサイババの名前の入った『理性のゆらぎ』や『アガスティアの葉』は、
まったく仮にであるが、
私に子孫ができるなどという事態に至ればわが家の家宝となるであろうし、
サイババのサイン入りの写真が実際に奇跡を生んだこともある。
しかし今は、サインをいただくことができない。
ペンの持ち込みが禁止されているからだ。
人類の歴史上……

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最後の晩餐 2

エドガー・ケイシーは、20世紀アメリカの生んだ大予言者である。
彼はしばしば、いわゆる変成意識状態に陥り、
対象となる人の過去世やカルマを見、それらの解消法について述べた。
彼は敬虔なクリスチャンだったので、
キリスト教が異端と断じた輪廻転生を自ら語ることに当初は罪悪感を感じたが、
後にはこれを克服している。
個々の宗教は教義上はもちろん誤謬を犯すが、
より重要なのは教えの内容であり、真理だからである。
以下の文言は、以前にもご紹介したことがある。
『瞑想し、祈り、そして聖書を読むがよい。
 特に【ヨハネ】第14、15、16、17章を読むがよい。
 ただ機械的に読むのではなく、
 そこに表されている律法、愛、恵み、あわれみを読み取りなさい。
 主は言われた。
「天地は過ぎ去る。だがわたしの言葉は過ぎ去らぬ」』
予言者ケイシーは、おそらく知っていた。
この部分が、われわれが聖書から学ぶすべてを含むものであると。
旧約聖書は膨大で、すべてを読むことはできないし、
新約聖書のなかにも、解釈の難しい部分が多々ある。
しかし心配はいらない。
【ヨハネ】の14〜17章に、すべてがカバーされている。
14日の<プレマ・セミナー>では、第16章の解説をする。
また、先日の<木曜くらぶ>では……

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最後の晩餐 1

【ヨハネによる福音書】は、しばしば、
他の三つの福音書に比べて特別な地位を占めるといわれる。
イエスの言葉と行いを簡潔な文体で、かつ崇高に書き表し、
三福音書に比べてはるかにイエスの内面に迫っている。
それは、あまりに有名なあの冒頭の
『初めに言葉ありき……』
の文言に象徴される。
その哲学的内容はあまりに深く、このひと章、
またはこの一節が、新・旧約聖書のすべてにも匹敵すると言っていいほどだ。
もう一つのクライマックスは、
いうまでもなく『最後の晩餐』のシーンでやってくる。
冒頭の部分が哲理であるのに対し、
こちらは、神と一致した人格としてのイエスの、情と感性に溢れている。
先月、解説した第15章、
『もはやわたしはあなた方をしもべとは呼ばない。
 あなた方はわたしの友だ』
という部分もそうであるし、この14日に読む第16章
『あなた方はこの世で苦しむだろう。
 だが、勇気を出せ。わたしはこの世に勝ったのだ』
のくだりもそうだ。
高校時代から、この部分を何度繰り返し読み……

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旅日記13

4月13日(三日目)-2
インドには、48人乗りとか52人乗りというバスはない。
33人乗りでちょうど3台。
プッタパルティまでの途上、私はおおむね1時間ずつ、
マイクでサイババの言葉、その他を解説する。
『わたしが呼ばなければ、誰もわたしのところに来ることはできない』
帰依者ならだれでも知っているこの言葉を、
今回ほど深くかみしめたことはない。
だが、前夜はまったく寝ていない。
過去、『大いなる生命と心のたび』で眠れなかったことはさまざまあったが、
今回は、かつてないほどの睡魔との戦いとなる。
不思議なことに、話しながらフッと眠っていることがあり、
次の瞬間には、今、眠りながら言ったことが正しかったのを確認しながら、
次の言葉を語り続けている。
折角プッタパルティに来たのだから、
プッタパルティでは遠くのホテルではなく、
アシュラムのなかで寝たいというのは、誰もが思うところ。
ところが、プッタパルティで部屋がとれず……

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旅日記12

4月13日(三日目)-1
バンガロールでは、快適な4つ星ホテルが用意されていた。
だが、フライトが遅れたので、
ホテルに入れたのは日付が代わって13日の午前2時。
サイババは、依然としてプッタパルティに止まっておられることが分かったので、
この日の午後のダルシャン(拝謁)に必ず間に合わせるためには、
朝6時にはバスで出発しなければならない。
したがって、シヴァ神が指示されたプージャ(儀式)は朝4時半に設定されている。
いろいろなことを準備していたら、もう4時。
ベッドには一度も体を横たえることなく、着替えてホールに降りていく。
ホールでは、シヴァ神の語ったプージャのための準備が行なわれていた。
もともと、僧侶三人が待っていてくれたはずだったが、
日にちがずれたため、二人はやむを得ずお帰りになったという。
しかし、残ってくれた一人の僧侶の吟唱してくれたマントラと
執り行なってくれた儀式、祝福は……

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旅日記11

4月12日(二日目)-6
シンガポールで飛行機を降りると、現地の地上職員が待機してくれていた。
乗り継ぎ便が待っているという。
ほっとする間もなく、最短の時間で乗り継ぎをしなければならない。
こうして駆け込もうとしたとき、
その直前、数人の取り巻きと共に、この便に最後に乗り込んだ白衣の人物がいた。
後ろ姿だけで分かる。
現在、インドで最も多くの弟子を擁する師の一人と言われる、
シュリ・シュリ・ラビシャンカールだった。
この機の行き先であるバンガロールに大きなアシュラムを構えておられるが、
おそらく、シンガポールに“布教”に行かれた帰りであろう。
われわれは、聖者と呼ばれる人を待たせていたのだ。
搭乗してからご挨拶にうかがうと、
なんと師は、ご自分で入国カードのようなものに記入しておられるところだった。
以前、来日されたとき、大使館で歓迎のスピーチをしたことがある。
「太古の昔から、自然界はダルマが廃れるとこれを復興するため、
 地上に聖者を送り出してきました……」
そんな話を一人で英語と日本語の両方でしたところ、
インド大使館の職員に受けた。 
師はそのときのことを覚えておられたようだった。
今年の巡礼の旅の目的と、
去年の巡礼の旅の様子をお話しすると……

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旅日記10

4月12日(二日目)-5
シンガポールの乗り継ぎ便に必ず待ってもらっていてくださいなどと、
客室乗務員に言ってもそれは無駄だ。
だから、地上職員に、いやというほど頼んできた。
だが彼らは、飛行機を必ず待たせておくとは最後まで明言しなかった。
シンガポールで買うはずだった、
インドで特別にお世話になる方や、
慈善活動を助けてくれる方たちのためのお土産もすべて諦める。
今や、この日のうちにインドにたどり着けるかどうか、
したがって、サイババに一目会えるかどうかの瀬戸際なのだ。
そんな状況であることは、皆さんには十分伝わっていない。
昨日のホテルで一応休養がとれ、今朝の出発も遅かったので、
機内では、皆さんすこぶるリラックスされている。
K1の勇者大山峻護君は前日が誕生日で、
フライト同様、スライドしてこの日にお祝いする。
他にも、シンガポール航空の機内サービスは充実していて、
たとえば、映画『おくりびと』を早くも観ることができる。
機内でうるうるしている方がおられて、
出発が遅れて、または日本を離れて泣いているのか、
またはサイババに会えないかもしれないと思って泣いているのかと思ったら、
『おくりびと』を観て泣いておられたのだった。
私自身は、インドに着いてから皆さんにお話しする内容の勉強にいそしむが、
ときどき意識が戻っては、乗り継ぎ便がシンガポールにいることを祈った。
もし飛行機がいなければ……今日はシンガポールに泊まるしかない。
なおかつサイババが依然、プッタパルティにとどまっておられた場合は……

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