旅日記23

4月16日(6日目)-2
ミサは、感動的なものとなった。
『私たちの礼拝の対象がイエスであれ、
クリシュナやラーマ、ブッダやマホメット、またはザビエルであれ、
私たちが礼拝するのは同じ神だし、私たちは同じところに向かっています』 
そのようなことを言うカトリックの司祭を、私は初めて見たし、
そんな説教を初めて聞いた。
かつてであれば異端として破門されたであろうこうした真実を、
カトリック司祭が言える時代になった。
それは少なからず心動かされる瞬間であった。
見れば、何人もの方が涙を流しながらミサに与っておられる。
後にO君が言った。
「あのミサの間に、ぼくは人生で初めて、真に人のために祈れました」
今まで、数多くの巡礼の旅を、主にキリスト教の国々で行なった。
世界最大の巡礼地、世界屈指と呼ばれる聖地のさまざまな教会で……

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旅日記22

4月16日(6日目)-1
東洋の使徒・ザビエルは考えた。
日本のような偉大な国に影響を与えた中国にキリスト教を広めれば、
日本を教化することも容易になるに違いないと。
こうして中国に渡ろうとするが、しかし彼はそこで病に倒れ、息を引き取る。
遺体は中国からマラッカに移送され、埋葬されたが、腐敗することはなかった。
後に、世界中の教会がザビエルの遺体を欲しがったので、
右腕を切断すると、亡くなって数十年が経つというのにそこから鮮血が流れ、
それから遺体がミイラ化したといわれている。
かつて『大いなる生命と心のたび』でローマを巡礼したとき、
イエズス会の総本山ジェズ教会を訪ねた。
そこには、切り取られたザビエルの右腕が掲げられている。
そしてその遺体の本体があるのが、
この日最初に訪れたボム・ジェズ・バジリカである。
教会では、われわれのためにミサを挙げていただけるようお願いしておいたが……

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旅日記21

4月15日(5日目)-1
ゴアは、おそらくインド最大のリゾート地だ。
そこはまた、「東洋の使徒」フランシスコ・ザビエルがかつて訪れ、
インドに、そして日本を含むアジア全域にキリスト教を広めた最初の地だ。
十六世紀初頭、現在のスペインで内乱があったとき、
ザビエルの兄たちは、イグナチオ・ロヨラらと戦った。
後にイエズス会を創始することになるロヨラは、この戦いで負傷し、
それがもとで回心することになる。
不思議なことに、後にパリ大学に進んだロヨラとザビエルは寮で同室となる。
それが今度は、ザビエルが回心するきっかけとなった。
こうして、最初の7人はモンマルトルの丘に集まり、
1534年8月15日、イエズス会を創始する誓いを立てる。
(その歴史的な部屋に、かつて『大いなる生命と心のたび』で訪れたことがある)
偶然は、さらに続く。
本当は、東洋に布教に来ることになっていたのは別の修道士であった。
しかし彼は病に倒れ、代わりにフランシスコ・ザビエルがやってくる。
ザビエルはインドからマラッカにわたり、
そこで日本人アンジロウ(ヤジロウ)に出会う。
アンジロウは、かつて日本で人を殺め、
捕まりそうになってマラッカに渡ってきていたのであった。
自分の犯した罪を聞いてもらいたくて、彼はザビエルに会いに来、
そうして結局、日本人として最初に正式な洗礼を受けたキリスト教徒となった。
アンジロウのおかげで、ザビエルは日本に来ることを決意する。
日本に来たのがザビエルでなければ……

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旅日記20

4月14日(4日目)-3
バンガロールのホテルで豪華な夕食をいただいた後、
われわれは駅に向かった。
今回の巡礼の旅には、
なんと列車での移動が入っているのだ。
「列車の旅は、きっと楽しんでいただけると思いますよ!」
現地のオペレーターR(インド人)は、最初自信ありげにそう言ったのだ。
私自身もまた、修学旅行のときのことを思い出し、
皆さんに同じことを言っていた。
が、雲行きは、じきに怪しくなっていった。
当所、われわれだけで車両を2つ、抑えられるという話だったのに、
それができなかった。
インドの寝台車は上の段に登るのが難しいらしいという情報も入ってきていた。
その上、「実は私、寝台列車では眠れないんですよ……」と、
R自身が言い出したときには愕然とした。
真に、驚くべきことの連続だ。
だが、それでもわれわれは、列車に乗り込むしかない。
全員が乗ったことを確認して、まず、冷房の通気孔をふさぎにかかる。
冷房がまともに効けば、車内は北極のように寒くなる。
新聞紙やガムテープを駆使してこれを塞いで回ると、
ときには同乗のインド人から文句も出たが、
そこはなんとかニッコリして場を収める。
それからおもむろに各車両を回ってみると……

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旅日記19

イスカーナヤマトさん、「今日も何気なくアクセスして」いただき、ありがとうございました。
「夢かと思」われましたか?? 私も、そうです。
jagadishさんも、ありがとう。
4月14日(4日目)-2
私は生来、くじ運がよくない。
これまでの人生、ことある度、貧乏くじを引いてきたのだ。
が、今、そんなことを言ってはいられない。
4つの束を見つめると、そのうちの一つの束に注意が向いた。
「これにします」
そう言って指さすと、即、検索が始まった。
そうしてなんと、そのなかに彼女の葉があったのだった。
なぜ、彼女の葉のある一束が分かったのか、いまだに理由は分からない。
普通に考えれば偶然なのだろうが、しかし実際、
一束目で出てこなければ時間はなかった。
葉には、まるで当然のように、彼女の名、ご両親の名、(外国人である)ご主人の名、生年月日、ホロスコープが予言されていた。
そして冒頭部分には、こう書かれていた。
『あなたはこの葉を、神に会う巡礼旅行の間にのみ、読むことになる。
 そのとき、その場にいるのは、あなたとその瞑想の先生、
 そして友人のA子だ……』
A子さんに一緒に来ていただくことは、
前夜、“たまたま”私が思いつき、
辞退しようとする彼女を説き伏せて実現したことだった。
この日もまた、彼女は同席を何度か辞退しようとしたのだが、
Hさんと私が二人で勧めて、その場にいてもらったのだ。
葉にはまた、こうも書かれていた。
『過去世の一つで、あなたはプッタパルティにいた……』
すでに皆さんのなかからは、やはりプッタパルティに来れてよかった、
こうしてプッタパルティに来ることに、きっと最初からなっていた、
というふうな言葉をいただいていた。
実際、参加者のなかには……

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旅日記18

4月14日(4日目)-1
実は前夜、一つの決断をしなければならなかった。
ある事情があって、今回参加されているHさんの予言の葉を、
どうしてもバンガロールに滞在中に読まなければならなかったのだ。
そのために読み手は候補の葉を検索し、待機してくれていた。
バンガロールでは充分な時間があったはずだったが、
われわれはプッタパルティに行かなければならなくなった。
唯一、可能性があるとしたら、この日、皆さんより早く車でプッタパルティを出て、
バンガロールでの時間を作り、検索するという方法である。
しかしそのためには、皆さんと一緒にバスで帰ることができない。
予言を読むという約束を優先させるべきか、皆さんと一緒にバスに乗るべきか……。
本来なら、私は後者を優先させていたに違いない。
そうしようと何度も考えた。
が、結局、それはできなかった。
そのために読み手がもう四日もバンガロールで待っていたのだ。
ただ、Hさんお一人というのはさすがにどうかと思い、
同室のA子さんにも一緒にきてもらうことにした。
A子さんはさかんに辞退されようとしたが、受けていただいた。
バス

バンガロールに向けて、出発直前
プッタ

遠ざかっていく、プッタパルティ
さまざまな用を済ませている間に出発は30分遅れ、
さらに読み手は渋滞に巻き込まれて1時間遅れた。
計算上、3時間程度あると思っていたのに、
実際には時間はそれほど残っていない。
見れば読み手は、候補の葉を4束持ってきている。
これらをすべて検索する時間がないことは明らかだった。
(“当たり”の束を最初から引いてほしい……)
そう思った私に、読み手は信じられないことを言った……

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「私を総裁候補として、
自民党さんが次の総選挙をお戦いになるお覚悟がおありになるかどうか……」
宮崎県の東国原知事が、自らの総選挙出馬のために出した条件である。
これを聞いて、識者のなかには、
出馬を断るための彼一流の“ギャグ”であろうと推測した人たちもいた。
が、そうであろうはずはなかった。
知事はごくごく真剣だったのだ。
東国原知事の類稀なる才能も、国や県を思う気持ちも素晴らしい。
宮崎県のためによく勉強し、仕事もしておられる。
だからこそ、80%を超える驚異の支持率を与えられていたのだ。
その知事が、勝負の「時」、自分の「時」と判断し、勝負をかけられた。
しかしこの条件を聞いたとき、私は正直、やり過ぎたと思った。
知事として、権力と権限を握った。
支持率は80%を超えている。
どこへ行っても人びとにもて囃される。
何をやってもうまくいくような気がする。
そんなときが、人生、もっとも気をつけなければならないときだと、
古来、多くの先人が教えてくれた。
そんなときが、人生の頂点になりやすいときだと、
あの発言の直後、私もセミナーで言ってしまったが、
しかし私も含め、そうした失敗を繰り返すのがわれわれの人生である。
東国原知事は、その持ち前の明るさで今後も政治の道を邁進されるだろうが、
一般に政治家のような、人の上に立つ人びとは特に気をつけねばならないとされる。
権力を握ると、人は奢る。
権力を握ると、弱い者の気持ちは分からなくなる。
うまくいくと、いつまでもうまくいくような気になる。
後から振り返ると、そんなときが人生の頂点となる。
困惑させられた人びと、踏みにじられたと感じた人びと、裏切られたと思う人びと……
その人びとは普段は黙っていて何も言わないかもしれないし、
直接、何の行動も起こさないかもしれない。
しかし彼らの計り知れない怨嗟の念は、確実に、的確に、返される。
そうなってから、人は取り返しのつかないことをしでかしたことに気づき、
臍をかむことになる。
話はまったく変わるが、聖書のなかでも、
最後の晩餐を経て、ついにイエスの「時」がくる。
そのとき、イエスは栄光を求め、長く崇高な祈りを捧げる。それは……

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<Art4>

図らずも旅日記を中断したまま、
<Art4>の改訂版を創っている。
もちろん、技術の部分に違いはないが、
それにまつわる理論面を大幅に拡充していると、
相対世界に存在する苦しみや悲しみに係わらず、
ヴェーダがなんと美しいものかと感嘆してしまう。
あるいは、英知の美しさを知らせるために、
相対世界はかくもさまざまな困難に彩られているのか……。
18日の<Art4>は、拡大・補充版の理論体系でお教えする。
ちなみに、ときどきお問い合わせのある<Art5>については……

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世界遺産

昨年の『大いなる生命と心のたび』も、感動の巨編だったが、
そのときに訪れた聖地マハーバリプラムが今日、
10時からNHKで放映されるみたいだ。
あと15分しかないが……。

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旅日記17

4月13日(三日目)-6
ダルシャンは、外の列で待つ時間も長いが、
この日は特に、中に入ってからが長かった。
緊張のなか、一時間、二時間と待ってもサイババはお出ましにならない。
情報では、このところ朝のダルシャンはないという。
翌日の昼にはプッタパルティを出なければならないので、
ダルシャンがあるとしたらこれ一度きり。
しかし5時を過ぎると、人びとは緊張感を失い、私語を始め、
会場整理をするセヴァダルが制止しても聞かない状態になりつつあった。
席を立って行く者もいる。
5時半……。バジャンが始まってしまう。
もうだめかと思われたそのとき、
フッと全体の空気が変わった。
見れば、サイババのオレンジのローブが見える。
車椅子に乗られ、女性の並ぶ側を進まれる。
男性のエリアにさしかかって、サイババはそのまま右に向きを変え、
壇上に上がられると聞いていた。
拝見するのもここまでか……。
そう思ったら、なんとこの日……

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